2015-01-01から1年間の記事一覧

聖家族(ルカ2:41-52)

聖家族の祝日、与えられた福音は神殿での少年イエスの物語です。両親と少年イエスがエルサレムへ旅をして、いったん両親がイエスを見失い、再会するまでに三日間を要しました。この「両親と離れていた三日間」について、思いを巡らせたいと思います。子ども…

主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)

あらためて主の降誕おめでとうございます。夜半のミサの朗読を一枚の絵と表現するなら、日中のミサの朗読はその一枚の絵の解説のようなものかもしれません。今年のご降誕日中の福音朗読から、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの…

主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)

主の降誕おめでとうございます。今年のクリスマス、「しるし」として示された幼子イエスについて思い巡らすことにしましょう。与えられた朗読に「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしる…

待降節第4主日(ルカ1:39-45)

待降節第4主日、ご降誕もいよいよ間近に迫りました。与えられた福音朗読はマリアがエリサベトを訪問する場面です。この中に出てくる「挨拶」について考え、ご降誕の直前の準備に充てたいと思います。来年2月20日(土)の夜と21日(日)の昼に上演される信徒…

待降節第3主日(ルカ3:10-18)

「群衆は、『では、わたしたちはどうすればよいのですか』と尋ねた。ヨハネは、『下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ』と答えた。」(ルカ3・10-11)今日わたしたちは2つの意味で、「わたした…

待降節第2主日(ルカ3:1-6)

待降節第2主日は洗礼者ヨハネが現れる場面が福音に選ばれます。6年も同じことを言っているので、さすがに覚えてくれていると思いますが、「洗礼者ヨハネ」と聞くと「悔い改め」を思い出してほしいと思います。今年の待降節、洗礼者ヨハネが悔い改めについ…

待降節第1主日(ルカ21:25-28,34-36)

待降節を迎えました。カトリックの暦「典礼暦」はこの待降節から始まります。ですから典礼的には新しい年が始まり、主の降誕を待ち望む季節が始まったということです。待降節はラテン語でadventusと呼びますが、これは英語のadventureに通じる言葉です。つま…

王であるキリスト(ヨハネ18:33b-37)

王であるキリスト、年間最後の主日を迎えました。キリストはどのようにわたしたちを導くのか、わたしたちはどのように王の国民であることを証しすればよいのか、考えることにしましょう。来週日曜日、故郷の鯛ノ浦教会で意義深いお祝いが予定されています。…

年間第33主日(マルコ13:24-32)

今週の福音朗読で、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」その日について描かれています。これはイエスの再臨についての予告です。イエスの再臨について、わたしたちはどのように受け止め、今の暮らしをどのように結びつけていけばよいのでし…

年間第32主日(マルコ12:38-44)

年間第32主日、年間の主日もあとわずかです。この時期、11月の第2週は上五島地区で堅信式が行われます。わたしたちの小教区からも2人の受堅者が午後2時からの堅信式に臨みます。今週の福音朗読に触れながら、堅信の秘跡を受ける心構えについて考えてみた…

諸聖人(マタイ5:1-12a)

教区広報担当者の全国会議のための東京出張から帰りました。教区報や、教区ホームページの効果的な作り方について、さまざまな会社のホームページ作りにアドバイスを与えている人が講師に招かれ、「カトリック教会の教区報・ホームページにも、会社のホーム…

年間第30主日(マルコ10:46-52)

「そこで、イエスは言われた。『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。」(10・52)道端にいたバルティマイに、イエスは目が見えるようになる奇跡と、歩むべき道を示してくださいま…

年間第29主日(マルコ10:35-45)

「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」(10・43-44)イエスは弟子たちに彼らの歩くべき道を示されました。支配者や偉い人たちが目…

年間第28主日(マルコ10:17-30)

「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(10・7)今週の福音朗読に登場する金持ちの青年は、先の問いを、イエスのもとに走り寄り、ひざまずいて尋ねました。真剣に、永遠の命を受け継ぐ手段を知ろうとしていたのです。なぜ、この…

年間第27主日(マルコ10:2-16)

「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。」(10・5)ファリサイ派の人々は「モーセが離縁状を書いて離縁することを許しました」(10・4)と主張しましたが、モーセがこのような考えに至ったのは人間の頑固さに妥協したからという…

年間第26主日(マルコ9:38-43,45,47-48)

「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」(9・41)キリストの弟子は、性格や取り組む姿勢などそれぞれ違いがあるかもしれませんが、宣教の働きに対して一杯の水を受けるに…

年間第25主日(マルコ9:30-37)

年間第25主日B年、イエスは弟子たちに問いかけます。「途中で何を議論していたのか」(9・33)この言葉を手掛かりに今週の糧を得たいと思います。またこのミサは敬老者のためのミサです。わたしたちの先輩にミサを通して感謝を表しましょう。16日(水)にお…

年間第24主日(マルコ8:27-35)

年間第24主日B年、「ペトロの信仰告白」が福音朗読に選ばれました。ペトロの言葉はまだ炉から取り出された鉄のようなもので、イエスによってこれから信仰告白が試され、強められていく様子が描かれています。わたしたちの信仰も試され、強められる必要があ…

年間第23主日(マルコ7:31-37)

年間第23主日B年、耳が聞こえず舌の回らない人のいやしが福音朗読に選ばれました。この奇跡は本人だけでなく、周囲の人々にも変化をもたらします。周囲も含めた変化に注目し、今週学びを得ましょう。今年は今週、9月第2週に夏休みをいただくことにしまし…

年間第22主日(マルコ7:1-8,14-15,21-23)

年間第22主日B年はユダヤ人の「昔の人の言い伝え」に関する議論を取り上げています。ユダヤ人は宗教上の清さに関してとても気を配っていましたが、ファリサイ派の人々と律法学者たちが大切にしていた実践はイエスにとって偽善と映っていました。今週は清さに…

年間第21主日(ヨハネ6:60-69)

年間第21主日B年はヨハネ福音書第6章の最後の部分で、イエスと群衆の一連の対話の結びとなっています。イエスとの対話の中で、多くの人々は離れ去っていくことになります。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」(6・60)しかしイエ…

年間第20主日(ヨハネ6:51-58)

「ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた。」(6・52)イエスがご自分の肉を食べさせ、血を飲ませるのは聖体拝領によってですが、ユダヤ人たちには理解できません。ユダヤ人たちの陥…

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)

聖母の被昇天の祭日、福音朗読個所からマリアの賛歌の次の言葉に注目したいと思います。それは「身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし」(1・52-53)という言葉です。今年は特別に暑い夏だと感じます。去年まではどんなに暑くても釣りに行って…

年間第19主日(ヨハネ6:41-51)

「ユダヤ人たちは、イエスが『わたしは天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始め(た)」(6・41)。年間第19主日B年の朗読から学びを得るために、群衆の「つぶやく」態度に注目したいと思います。今年は8月9日長崎原爆の…

年間第18主日(ヨハネ6:24-35)

年間第18主日B年はイエスと群衆の対話が繰り返される場面が描かれていますが、この対話は実りのない不毛な対話に終わってしまいます。問いかける群衆にイエスは的確な答えを示すのに、群衆がイエスの示す答えを受け入れようとしないからです。イエスの示す…

年間第17主日(ヨハネ6:1-15)

年間第17主日B年の福音朗読はヨハネ福音記者が描く「五千人に食べ物を与える」場面が選ばれました。出来事そのものは共観福音書と呼ばれる「マタイ・マルコ・ルカ福音書」にも記されています。ヨハネは共観福音書とは異なる捉え方を持っています。出来事を…

年間第16主日(マルコ6:30-34)

「あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」(6・31)イエスは弟子たちに休みなさいと言われました。イエスが弟子たちに与えようとした休みの模範はご自身の姿にあると思います。弟子たちに休みを与えて、弟子たちを守り育てるイエスの姿…

年間第15主日(マルコ6:7-13)

「(イエスは)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。」(6・7)イエスが十二人を派遣します。十二人から始まった宣教活動が、今どのように広がっているのかを考えることにしましょう。先週の浜串教会での霊名のお祝いに釣り道具の鯛ラバ…

年間第14主日(マルコ6:1-6)

年間第14主日B年は、「ナザレで受け入れられない」という場面を取り上げます。イエスが生まれ故郷のナザレの人々に受け入れられないのは、ナザレの人々がイエスの素晴らしい業を目にして驚いた後に、イエスの業を何に結びつけようとしたかに原因があります…

年間第13主日(マルコ5:21-43)

年間第13主日B年は、「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」の物語が選ばれました。選ばれた朗読から、「イエスに触れる」「イエスが触れる」ということについて学びを得たいと思います。先週、これぞ船の船頭という仕事をすることができました。ある浜串出…