年間第28主日(マルコ10:17-30)

「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(10・17)イエスに走り寄ってきた人の問いは、誰にとっても答えを知りたい問いかけでしょう。ただ、よく考えると、答えを知っているかもしれません。ひょっとしたら答えを避けているかも…

年間第27主日(マルコ10:2-16)

今週の福音は、2006年の説教を参考にしてまとめました。いろいろ重なって全くのゼロから練り上げるのは困難と考えたからです。取り上げたいのは後半部分、人々がイエスに触れていただくために子供たちを連れてきた場面についてです。今日から明日にかけて、…

年間第26主日(マルコ9:38-43,45,47-48)

「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」弟子のヨハネの言葉で思い出したことがあるので、今週はこの部分を取り上げてみたいと思います。夏休みにミサとラジオ体操に来た子供たち…

年間第25主日(マルコ9:30-37)

9月の第4日曜日は、「世界難民移住移動者の日」と定められています。教皇様は年に6回ある特別献金を伴う日に向けてそれぞれメッセージを出されるのですが、今年の世界難民移住移動者の日に向けて発表されたメッセージを、今週は少し取り上げたいと思いま…

年間第24主日(マルコ8:27-35)

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(8・34)イエスがご自分に従おうとする者に最初に求める姿勢です。ひとまずイエスに従いながら、最終的にこうなれと仰っているのではなく、まず「自分を捨て、自分…

年間第23主日(マルコ7:31-37)

「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(7・37)周りにいる群衆の、イエスに向けた最大級の賛辞です。これ以上ないくらいにイエスを褒め称えましたが、褒めて褒め…

年間第22主日(マルコ7:1-8,14-15,21-23)

9月に入りました。子供たちにとっては夏休みが終わり、新学期に向かう心の準備に今週の説教を聞いてくれると嬉しいなと思います。8月最後の週に、年間を通して平日にミサの侍者と祈りの先唱をしてくれる子どもたちに呼びかけて下五島に行ってきました。「…

年間第21主日(ヨハネ6:60-69)

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」(6・68)ペトロの信仰告白です。これまで何週かに渡ってイエスは誰であるかを言葉と態度で見て、学んだ弟子たちの代表として、信仰を表明しました。私たち…

年間第20主日(ヨハ6:51-58)

「ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた。」(6・52)ユダヤ人のつぶやきは、現代人も含めイエス・キリストという食べ物を知らない多くの人のつぶやきでもあります。私たちもユダヤ…

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)

聖母被昇天の祝日、この祝日をどのように祝うのか、そこから広げて、私たちはふだんのミサをどのように祝うようにすれば、より積極的にミサに参加する気持ちになれるか、考えてみたいと思います。13日月曜日に、ご年配の男性がミサを頼みに来ました。この日…

年間第19主日(ヨハネ6:41-51)

聖母被昇天直前の日曜日、暑くもあるし、今日か明日か気になることもあるし、説教は短めにしたいと思います。何かを手にする時、先を争って手にしようとする場合と、順番に沿っていただいたりする場合とでは、手の出し方が違うと思います。先を争って手を出…

年間第18主日(ヨハネ6:24-35)

今週の福音朗読で群衆が問いかけ、イエスが答えるやり取りが出てきます。群衆とイエスの、しりとりのような言葉のやり取りはまったく噛み合っていません。「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」「わたしが命のパンである」この噛み合わないやり取…

年間第17主日(ヨハネ6:1-15)

年間第17主日は典礼暦B年の福音朗読の流れから外れていますが、ペトロの信仰告白に至るまでの奇跡物語の一つとして捉えてみたいと思います。選ばれたのは「五千人に食べ物を与える」奇跡です。単にパンを増やした奇跡としてではなく、「いかにして五千人に…

年間第16主日(マルコ6:30-34)

「使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」(6・30)今週年間第16主日の福音朗読はこのように始まっています。先週どのような指示を受けて出かけていったのかが語られていました。一週間も経つと、なか…

年間第15主日(マルコ6:7-13)

マルコ福音書を中心に日曜日の福音朗読を組み立てるのがABC年さん年周期のB年です。B年の年間第15主日は、弟子たちが十二人呼び寄せられ、派遣されていきます。私たちが日曜日にこの聖堂に呼び寄せられ、派遣されていく姿を思い描きながら、今週の糧を…

年間第14主日(マルコ6:1-6)

まず、この度の台風被害に心からお見舞い申し上げます。「なぜこんなことが」と言いたくなるような災害でした。慰めと、励ましをイエスに願いたいと思います。今週の福音朗読箇所は、故郷のナザレでイエスが受け入れられない現実を弟子たちが見ることになり…

年間第13主日(マルコ5:21-43)

マルコ福音書4章35節から8章26節は、一連の奇跡物語です。これら一連の奇跡は、それぞれ癒やされた人の物語であると同時に、ペトロの信仰告白を引き出すための出来事でもあります。私たちも、物語を読むことで、イエスへの信仰を告白する、信仰を宣言する機…

洗礼者聖ヨハネの誕生(ルカ1:57-66,80)

今年は洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日6月24日が日曜日と重なりました。祝日が日曜日と重なるとその年は暦から消える中で、イエスの先駆者となった洗礼者聖ヨハネの誕生は特別です。ほかにも聖ペトロ聖パウロの祝日が日曜日と重なったときも特別扱いです。洗礼…

年間第11主日(マルコ4:26-34)

ミサの中で説教の時間は、ミサが長くなったり短くなったりするのに最も影響する要素です。思い込みかもしれませんが、大司教様が説教するミサと聞けば、長くなるかなぁと想像してしまうものです。以前お話ししたように今日私はミサのあとすぐに福岡に行くの…

年間第10主日マルコ(3:20-35)

一連の大きな祭日が終わって、年間の主日に移りました。今週年間第10主日に選ばれた福音朗読個所に、「これはイエスが語るような言葉だろうか」と思わせる箇所があります。私たちの器が小さくて、イエスの言葉を理解できない場合は、私たちの思い込みをあっ…

キリストの聖体(マルコ14:12-16,22-26)

キリストの聖体の祭日を迎えました。この祭日に選ばれた福音朗読を通して、私たちが神の望みや神の思いに触れるために、どのような心構えが必要なのかを考えてみましょう。そのヒントとなる言葉は、弟子たちがイエスに尋ねた「過越の食事をなさるのに、どこ…

三位一体の主日(マタイ28:16-20)

三位一体の主日を迎えました。三年かけて、三位一体の主日を学ぼうと昨年話しました。今年はその二年目です。今年は「子なる神」について考えてみたいと思います。先週からナイターソフトが始まりました。開幕試合で、誰もがなしえないであろう記録を打ち立…

聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)

聖霊降臨を迎えました。聖霊である神さまがわたしたちにどのように関わってくださるのかを考え、学びを得ることにしましょう。献堂百周年記念は、皆様一人ひとりが力を貸してくださったおかげで、立派な記念の一日となりました。皆さんご苦労様でした。そし…

主の昇天(マルコ16:15-20)

主の昇天の祝日です。弟子たちの行動を取り上げながら、私たちも何かを学び取ることにいたしましょう。イエス様が天に昇られたときの様子を、私たちは二つの朗読から聞きました。第一朗読の「使徒たちの宣教」と、「マルコ福音書」です。これら二つの朗読で…

復活節第6主日(ヨハネ15:9-17)

復活節第6主日B年に選ばれた福音朗読は、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(15・13)が際立っています。私たちが大きな愛を感じる方について考えてみましょう。献堂百周年一週間前となりました。私は記念ミサの終わりに予…

復活節第5主日(ヨハネ15:1-8)

「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(15・5)この言葉は田平教会献堂百周年をいよいよ迎えるわたしたちに、終盤の準備の仕方を教えてくれています。イエスが教えてくださる準備の仕方を学び、教会…

復活節第4主日(ヨハネ10:11-18)

復活節第4主日、与えられた福音朗読でイエスは何度も「命を捨てる」という言葉を繰り返します。その中でも特に目を引くのは「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」(10・18)この言葉です。イエスのこの言葉が当てはまるのはどん…

復活節第3主日(ヨハネ20:19-31)

復活節第3主日、長崎教区ではしばしばこの日が転勤した主任司祭助任司祭の新しい任地での最初の日曜日です。私もこの復活節第3主日に最初の日曜日の説教をしました。3種類の薬を飲んでいるという話でした。初心を忘れず、また献堂百周年に向かって心を一…

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(20・29)神のいつくしみの主日にあたり、このみことばを味わってみたいと思います。「見ないのに信じる」という姿には、二つのことを汲み取れると思います。一つは、「見ないのに信じ…

復活の主日(日中)(ヨハ20:1-9)

あらためて主の復活おめでとうございます。復活徹夜祭と復活の主日日中のミサは、同じ復活の主日と思われがちですが、朗読される福音が違うということ一つを取り上げても、私は違うミサだと思っています。つまり、別々にあずかってほしいミサだということで…