2017-01-01から1年間の記事一覧

聖家族(ルカ2:22-40)

聖家族の祝日を迎えました。ヨセフとマリア、幼子イエスで始まった家族のことです。わたしは、ただぼんやりとヨセフとマリアとイエスがいる姿を思い描くのではなく、幼子イエスを母マリアが腕に抱いて、ヨセフが見守る姿、このように聖家族を描いてみたいと…

主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)

主の降誕を、あらためてヨハネ福音書の朗読から学びなおします。ヨハネ福音書の冒頭は、「言が肉となった」という抽象的な言い回しですが、今年はわたしの中で学ぶところがありましたので、分かち合い、学びを持ち帰っていただきたいと思います。神の独り子…

主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)

主の降誕おめでとうございます。誕生の喜びはどんな人、どんな時代、どんな状況でも喜ばしいものですが、イエス・キリストの誕生はすべてに勝る喜びです。この夜半のミサでは、誕生の瞬間、幼子イエスが目にしたものを想像しながら喜びを分かち合うことにし…

待降節第4主日(ルカ1:26-38)

待降節第4主日です。今年はこの日が12月24日になっています。いちばん遅くやってくる待降節第4主日です。「救い主の誕生」はもう目の前です。ゆっくり構えてはいられない。そのつもりで福音朗読の学びを得ることにしましょう。親子韓国旅行のきっかけはわ…

待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)

待降節第3主日はヨハネの証しについてです。今回の説教を準備しながら、よく考えてみれば「証し」とはそういう意味なのだなと再認識しました。学びを皆さんと分かち合いたいと思います。ひょっとしたら、この説教は二回目になっているかもしれません。もし…

待降節第2主日(マルコ1:1-8)

待降節第2主日と第3主日は洗礼者ヨハネを登場させる朗読が取り上げられています。洗礼者ヨハネは「荒れ野で叫ぶ者の声」です。声に耳を傾け、声の促すほうに向きを変えるよう努めましょう。平戸地区ではあまり見かけませんが、かつての太田尾小教区時代や…

待降節第1主日(マルコ13:33-37)

主の降誕を迎える準備の季節、待降節がやって来ました。教会の暦「典礼暦」もB年に移行します。季節の切り替わり、暦の切り替わりに、第一に考えておくべきことを福音朗読から学ぶことにしましょう。亡くなった川添神父様のことでもう一つ忘れられない思い…

王であるキリスト(マタイ25:31-46)

年間最後の主日「王であるキリスト」がやってきました。わたしたちが復活の主を迎えて、年間を通して導かれてきた、この一年を振り返ってみましょう。親孝行のために旅行に行くことにしました。5月28日、田平小教区での銀祝の祝い金をいただく際、「お願い…

年間第33主日(マタイ25:14-15,19-21)

年間の主日も今週と来週の「王であるキリスト」二週となりました。与えられた福音朗読は「『タラントン』のたとえ」です。17日(金)に長崎教区の川添神父様がお亡くなりになったので、そのことと重ねながら福音の学びを得たいと思います。川添猛神父様が85…

年間第32主日(マタイ25:1-13)

本日「黒瀬の辻殉教祭」が午後2時から予定されています。説教師はわたしなので、田平教会での説教も大枠は「黒瀬の辻殉教祭」の説教を使わせていただきます。世界中でブームになっている授業があります。「最後の授業」というものです。「引退を迎えた教授…

年間第31主日(マタイ23:1-12)

典礼の年間の季節も押し迫ってくる第31主日に、鯛之浦教会へお招きいただいて銀祝の記念ミサをささげることができました。感謝申し上げます。ひょっとしたら25周年を迎えられるかもしれないとは思っていましたが、まだ遠い先の話と高を括っておりましたらそ…

年間第30主日(マタイ22:34-40)

「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」今週の福音朗読の答えがここにあります。わたしたちの生活も、この二つの掟に基づいているはずです。わたしは、神を愛する見えるしるしを、隣人を自分のように愛することで表すことができているでしょ…

年間第29主日(マタイ22:15-21)

「彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、『これは、だれの肖像と銘か』と言われた。」(22・19-20)ファリサイ派の人々は、「皇帝への税金」を餌に、イエスを罠にかけようとします。イエスは偽善者たちの罠を打ち破り、本来考えなければならないこ…

年間第28主日(マタイ22:1-14)

年間第28主日A年で取り上げられた「婚宴」のたとえは、神の国に多くの人が招かれる可能性があることを教え、同時に本人の責任で放り出される可能性もあると教えます。鍵となるのは、「礼服を着ているかどうか」です。長崎教区の先輩司祭が一人亡くなりまし…

年間第27主日(マタイ21:33-43)

年間第27主日A年の福音朗読を味わうために、第一朗読を少し意識してみましょう。ひごろから、第一朗読、第二朗読のことを前置きして福音朗読に向き合うことが望ましいですが、今週は特にそのことを意識してみましょう。数日前に広島のMさんからショートメ…

年間第26主日(マタイ21:28-32)

今週年間第26主日の福音朗読「二人の息子」のたとえは、さらっと書かれていますが疑問が残ったままです。この疑問に正面から向き合うことが、たとえをよりよく理解する鍵なのではないかと考えました。月が替わり、9月のことはすべて忘れてしまいました。司…

年間第25主日(マタイ20:1-16)

今週の朗読は「ぶどう園の労働者」のたとえで、たとえに登場する主人の考え方にどこまで賛成できるかが問われています。何かが引っかかって、このたとえに登場する主人の考え方に賛成できないわたしたち。どこをどう変えていけば、喜んで賛成できるようにな…

年間第24主日(マタイ18:21-35)

年間第24主日A年の朗読で紹介されたたとえは、この世での損をあえて取ってでも、恵みが働く体験を失うべきではないと教えています。わたしたちの生活を見まわして、神の望みに答えていく具体的な道を考えることにしましょう。最近司祭館玄関で面白い会話が…

年間第23主日(マタイ18:15-20)

わたしの車はETCが取り付けてあります。通常ETCレーンで降りるのですが、考え事をして佐々から乗って佐世保中央を通過してしまい、次の大塔でも動揺していたのか、ETCレーンではなく一般レーンに入り、そのまま通り過ぎようとしたのです。すると係員が叫びな…

年間第22主日(マタイ16:21-27)

今週年間第22主日はフィリポ・カイサリア地方でイエスへの信仰を表明したペトロに、これからご自分が歩む道を示します。人間の理解を超える道で、ペトロも戸惑います。イエスに従う力を願い求めましょう。ずいぶん前の話です。浦上教会の助任司祭だったとき…

年間第21主日(マタイ16:13-20)

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」(16・19)これまでよく見えてなかった部分に照らしを感じましたので、ペトロに託されたこの「天の国の鍵」について考えてみたいと思います。先週、前半と後半でお休みをいただきましたが、前半は平戸地区の司祭5…

年間第20主日(マタイ15:21-28)

「しかし、イエスは何もお答えにならなかった。」(15・23)異邦人であるカナンの女の切なる願いに、イエスは返事をしませんでした。イエスはカナンの女の覚悟を知りたかったのだと思います。今週わたしたちも、イエスに対する覚悟を問われていると思います…

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)

聖母の被昇天の祝日を迎えました。マリアを祝い、マリアのもとにとどまるということは、どんな意味合いがあるのでしょうか。与えられた朗読を通して考えてみましょう。朗読の後半、46節から56節にかけては「マリアの賛歌」と呼ばれる個所です。マリアが言葉…

年間第19主日(マタイ14:22-33)

今週の福音朗読は、「湖の上を歩く」というイエスの超人的なしぐさが取り上げられています。物語の中には、イエスが湖の上を歩くこと以上に大切なことが含まれています。そうでなければ、イエスが湖の上を歩く超人である、ただそれだけの物語です。イエスが…

主の変容(マタイ17:1-9)

暑さもピークを迎えているこの時期に、「主の変容」の祝日を迎えるのは、厳しい夏を乗り越えるための神さまからのプレゼントのように思えます。気力も萎えてしまうような場面をどのように乗り越えたらよいのか、学びを得ることにしましょう。近況報告です。…

年間第17主日(マタイ13:44-52)

「天の国は次のようにたとえられる。」年間の主日もおよそ半分を過ぎました。イエスは天の国を三通りにたとえて説明なさいました。畑に隠された宝、商人が探しまわる高価な真珠、網にかかった魚から良いものを選り分ける。この三通りのたとえはさまざまなこ…

年間第16主日(マタイ13:24-43)

年間第16主日は先週の「種をまく人のたとえ」と結びつけて考えてよいと思います。イエスによってまかれた種は実を結ぶ。しかも、実を結ぶことに何の疑いもない。先週と合わせて、このように今週の朗読を読み解くことができます。2週間ほど前に、郷里の鯛之…

年間第15主日(マタイ13:1-23)

年間第15主日は種まく人のたとえです。種まく人のたとえは、続く毒麦のたとえと並んで、イエスがたとえ話の説明をする珍しいたとえです。わたしたちの生き方につながるたとえだと読みましたので、一緒に考えてみましょう。熱中症なのか、土曜日一日で五回く…

年間第14主日(マタイ11:25-30)

年間第14主日、朗読は大変厄介です。「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(11・30)「イエスの軛は負いやすく、イエスの荷は軽い」と、信仰を誰かに伝えるときに語らなければなりません。むしろ「だれかがあなたの右の頬を打つなら、…

年間第13主日(マタイ10:37-42)

(ミサの初めに)年間第13主日を迎えました。今日は7月の聖トマスの祝日にいちばん近いので、わたしの霊名も祝ってもらえて感謝しています。そして佐世保から「みことば会」の皆さんがこの日のミサに参加してくれました。懐かしいです。小教区の皆さんのた…