諸聖人(マタイ5:1-12a)

教区広報担当者の全国会議のための東京出張から帰りました。教区報や、教区ホームページの効果的な作り方について、さまざまな会社のホームページ作りにアドバイスを与えている人が講師に招かれ、「カトリック教会の教区報・ホームページにも、会社のホームページの作り方から刺激を受けて、インパクトがあり、説得力のあるホームページ作りを心掛けてください」という内容でした。

講師の授業の中で、サイモン・シネックという人の15分くらいの動画をみんなで見ました。社会に大きな影響を与える人とそうでない平均的な人とでは正反対の行動パターンを取るという説明が印象的でした。大衆を動かせずに終わる人たちの行動は「それは何か」から説き起こして「どのようになっているか」を説明し、「なぜそうなのか」で大衆に行動を促しますが大衆は動かないというのです。

社会に大きな影響を与える人は、「なぜそうなのか」から説き起こして「どのようになっているのか」を説明し、「それは何か」と最後に大衆に示す。すると大衆は行動するというのです。

講師が例に挙げたのは録画ができるテレビでした。多くのメーカーは「これは録画ができるテレビです」から始まって、「今見ている番組を録画したり、前もって予約して録画したりできます」と説明します。最後に「何度でも見たいと思う番組を残せるって素晴らしいでしょ。買いませんか?」と勧めるわけです。ですが実際にはあまり行動を起こしません。

他方ぜひ買ってみたいと思わせるメーカーの宣伝方法は、「なぜあの時録画しておかなかったのだろう。後悔したことはありませんか?」から始めます。そして、「今見ている番組は、録画ボタンを押せばすぐに録画できます」と説明し、最後に「これからはこの録画できるテレビがあなたの悩みを解決してくれます」と売り込むというのです。順番を逆さまにして「なぜそうなのか」から始めるだけで人は行動するのだそうです。あなたも「なぜ」から出発すべきだというのが彼の主張でした。

言われてみると、長崎教区のホームページも「これは何か」から始まって、「どのような中身か」を説明し、「なぜ必要か」と最後に訴えかけているありきたりの作りになっていると思いました。11月10日に、研修で学んだことをどう生かすか、わたしも加わって話し合いを持ちます。ぜひ出張費の元を取れるように努力したいと思います。

11月1日は諸聖人です。せっかくですから、諸聖人の祭日に思いを向け、行動を引き出すために「なぜ」から始めてみましょう。なぜ教会は、死者の月の最初に諸聖人の祭日を祝うように促しているのでしょうか。神のもとにある諸聖人とわたしたちは、どのようにつながっているのでしょうか。

教会はその誕生の初めから、迫害の中にあり、殉教者が絶えませんでした。そして教会は殉教者を記念し続けてきました。4世紀頃からはある特定の日(復活節中のある日、または聖霊降臨最初の主日)に祝っていました。9世紀になって、教皇グレゴリウス4世はこの祝日を11月1日に移し、すべての殉教者から諸聖人にまで広げました。諸聖人は、神によって幸いとされたすべての人を指しています。

すると、福音朗読でイエスが宣言した幸いな人々も諸聖人に加えることができると思います。心の貧しい人々が、天の国を約束されました。さまざまな困難にある人が、イエスによって幸いな人とされました。「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(5・10)と約束されました。

これらの人々もすでに神のもとで幸いな人々と呼ばれているのですが、彼らはきっと、同じような境遇にある人々のことを思い、神に取り次ぎを願っているのではないでしょうか。

すると、わたしたちも多かれ少なかれ、心の貧しい人々、悲しむ人々、義に飢え渇く人々であり、迫害者にも柔和で憐れみ深く、心清らかに憎しみを抱かず、争うのではなく平和を作る人々であり、義のために迫害される人々のはずです。

ただ日常生活では罪な生活もあり、純粋にイエスの示された生き方を貫くことができずに悩みつつ歩いているわけですが、そのわたしたちを、同じ道を歩いて先に幸いな人々として神の至福のもとにある人たちが取り次ぎによって助けてくれるはずです。殉教者だけではなくすべての幸いと宣言された人々が諸聖人の交わりにあることを祝うのは、わたしたちにとって意義深いのです。

最後になりますが、来週8日(日)は上五島地区の堅信式です。今日の時点ですでに堅信組の2人は祈りと教えの試験を受け、合格していれば今週のリハーサルを経て大司教さまから堅信の秘跡の恵みを受けることになります。

これまで、「なぜ堅信の秘跡が必要なのだろう」と思ったこともあるかもしれません。また、自分の周りで教会の教えと違うことをしたり人に勧めたりしているのを見て、「注意しなければいけないけど、注意する勇気がない」「どうして注意しなかったのだろうか」思うこともあったでしょう。

堅信の秘跡は、そんなあなたたちの信仰を強め、信仰を力強く証しするために聖霊の賜物を注いでくださいます。忠告すべきときにできなかったあなたに勇気の賜物を与えて、キリストの兵士としてくださいます。これまで信仰の面で「なぜだろう」と思っていたことに答えを与えてくれる。それが堅信の秘跡です。

この大切な瞬間もあと一週間と迫ってきました。祈りは試験に受かるために学んだものではありません。ぜひ習い覚えた祈りを今週一週間まじめに唱えて、すべての聖人方の取り次ぎを願いましょう。知恵と理解、判断と勇気、神さまを知り、神さまを愛し、神さまを敬う心を聖霊である神に与えていただけるよう、諸聖人の取り次ぎを願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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日本シリーズソフトバンクの圧勝で終わった。ヤクルトもホームゲームの勝ち方を十分知っているはずだが、ソフトバンクの打線がそれを許さないほど破壊力があったということだろうか。そんな中でシリーズ第2戦をこの目に焼き付けることができた。一生の思い出になった。
▼出張先では日本シリーズの話はほとんど聞こえてこなかった。やはり巨人が日本シリーズに出ていないからだろうか。そもそも野球に関心がないのだろうか。懇親会の歓談の時は、それどころではないとばかり、司教空位の教区にどんな司教さまがどのタイミングで与えられるだろうか、そういう話題が活発に交わさた。基本的にまじめな人たちだ。
▼都会だなぁ、とつくづく思う。担当者の全国会議でカトリック中央協議会に出張していたが、交通手段が3通りも4通りもあったり、料金に1円単位の設定があったり、キメ細かさ選べる数の多さ、確かに都会は便利だと思う。
▼ところがいったん会議から帰ってみると、ぐったり疲れて帰ったその日は何も手につかなかった。飛行機で移動して疲れたのかもしれないが、東京にも飛行機で行ったわけだから、そのことばかりではないはずだ。何か田舎とは違う疲れの原因があるから、田舎に戻ってみると疲れが出るのではないだろうか。
▼そうしてみると田舎は本当に素晴らしい。不便を並べれば数え切れないが、疲れずに日々を暮らすことができている。それだけでもありがたいことだ。生産性は下がるかもしれないが、生産性の歯車に使われ弾き飛ばされて疲れることはまずない。人にやさしい環境は、いつかきっと生産性にも貢献するようになるだろう。
▼話は前後するが、中央協議会に叙階3年目の司祭が教区広報担当者として参加していて、直接話すことはなかったが「若いなぁ〜」と思った。それはそうだろう。自分は23年目で、20年の開きがあるからだ。全体のスケジュールの終わりに感謝のミサがあって、主司式をしていたこの神父さまの説教は、なかなか良くて響いた。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===