2016-01-01から1年間の記事一覧

主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)

あらためて主の降誕おめでとうございます。主の降誕日中のミサは、ヨハネ福音書の冒頭が必ず福音朗読に選ばれます。今年は大人の方の入信の秘跡(洗礼・堅信)がこの後に控えています。そこで秘跡の恵みを思い浮かべながら学びを得たいと思います。朗読から…

主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)

主の降誕おめでとうございます。中田神父にとっては、初めて田平教会で迎えるご降誕です。今日の福音朗読から、「見失った一匹の羊にも届く大きな喜び」という見方で考えてみたいと思います。今年のクリスマス、わたしは初めてある人々に、「力が足りず申し…

待降節第4主日(マタイ1:18-24)

待降節第4主日、ご降誕まで1週間と迫ってきました。ヨセフの取った行動から、これから1週間の過ごし方のヒントをいただくことにしましょう。皆さんは夢を見ることがあるでしょうか。夢を見た時、夢から何かを感じるでしょうか。わたしは、夢を解いてくれる…

待降節第3主日(マタイ11:2-11)

待降節もすでに2週間進み、第3主日を迎えました。救い主を迎える準備を、外面でも、内面でも急ぐことにしましょう。内面的には、ゆるしの秘跡を受けたり、久しく教会に通うことができないでいる人を訪ねたりして、温かい心を自分の中に持つように努めまし…

待降節第2主日(マタイ3:1-12)

待降節第2主日を迎えました。洗礼者ヨハネが登場します。ヨハネは事態が切迫していると感じて人々に悔い改めの洗礼を促しています。事態は一刻を争う。その緊迫した呼びかけに、わたしたちも耳を傾け、必要な行動は何か、考えてみましょう。かんころもちが…

待降節第1主日(マタイ24:37-44)

A年の待降節が巡ってきました。マタイ福音書を手に、これからの新しい典礼暦年を過ごしていきたいと思います。マタイは本来救われるはずのユダヤ人に対して呼びかけようと福音書を書き記しました。洗礼を受けたわたしたちが本来救われるはずの新しい民だと…

王であるキリスト(ルカ23:35-43)

王であるキリストの祭日を迎えました。典礼暦年に沿って歩んできた信仰の歩みを振り返りましょう。イエスがわたしたちの王であると認めてこの一年生きてきたでしょうか。イエスがわたしたちの王であると、この一年の歩みの中で宣言してきたでしょうか。教会…

年間第33主日(ルカ21:5-19)

「だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。」(21・14)イエスは弟子たちがだれかの前に引き出される時を見据えて、弁明の準備ではなくイエスへの信頼こそが弟子たちを守ると教えます。わたしたちもイエスの呼びかけを自分のものとしまし…

年間第32主日(ルカ20:27-38)

年間第32主日C年の福音朗読は、復活を否定するサドカイ派の人々との問答です。わたしたちキリスト者にとって復活の信仰はなくてはならないものですが、当時のユダヤ人にとっては、復活を信じる決定的な出来事を持ち合わせていませんでした。復活したイエス…

年間第31主日(ルカ19:1-10)

年間第31主日C年は「徴税人ザアカイ」の物語です。「この人は徴税人の頭で、金持ちであった。」(19・2)少し嫌味を感じる登場の仕方をしています。その彼が、イエスと出会うことになります。たくさんの人がイエスの前を通り過ぎ、出会うことなく去っていく…

年間第30主日(ルカ18:9-14)

年間第30主日を迎えました。「30主日」と聞くと、「あーそろそろ年間の主日も終わりだな。次に待降節がやってくるな」と意識できると素晴らしいと思います。今週与えられた「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえから、学びを得ることにしましょう。皆さんは…

年間第29主日(ルカ18:1-8)

「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(18・8)イエスは信仰が一時の熱狂で終わってしまい、人の子の再臨の時に絶えてしまわないか心配しておられます。地上に、わたしたちの教区、小教区に、イエスが期待するような信仰が見られる…

年間第28主日(ルカ17:11-19)

年間第28主日C年の福音朗読は「重い皮膚病を患っている十人の人をいやす」という物語でした。6年前の説教ですが、内容が面白かったのであらためて取り上げて、今週の学びを得たいと思います。間違い電話は、よくある話ですが、わたしは過去に間違い電話の…

年間第27主日(ルカ17:5-10)

「わたしどもの信仰を増してください」(17・5)弟子たちはなぜ、このような願いをしたのでしょうか。そこから出発して、イエスが言う「信仰」がわたしたちに備わっているのか、考えてみたいと思います。司祭団ソフトボール大会に参加してきました。4チーム…

年間第26主日(ルカ16:19-31)

年間第26主日C年は「金持ちとラザロ」のたとえが取り上げられました。金持ちはもっとも遠ざけていた出来事を死後に問われました。わたしたちも、日頃何を遠くに追いやってしまっているか問われているのだと思います。火曜日は修道院のミサの日ですが、先週…

年間第25主日(ルカ16:1-13)

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」(16・10)わたしたちは何に忠実を尽くすか試されています。今週、天に宝を積む事柄に忠実を尽くす生き方について考えることにしましょう。…

年間第24主日(ルカ15:1-32)

年間第24主日に選ばれたルカ15章は福音記者が最も伝えたい神のいつくしみとあわれみの姿です。「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、「放蕩息子」のたとえいずれも味わい深い朗読ですが、その中で「見失った羊」のたとえについて取り上げてみ…

年間第23主日(ルカ14:25-33)

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」(14・26)弟子の条件として示されたこの招きは一瞬ぎょっとするものです。誤解を解いてから…

年間第22主日(ルカ14:7-14)

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(14・11)神様は日本にいるわたしたちに生き方の模範、道しるべを示してくださいました。ユスト高山右近です。彼の生き方を通して、今週の福音を身近なものとしましょう。雨がなかなか降らない…

年間第21主日(ルカ13:22-30)

「狭い戸口から入るように努めなさい。」(13・24)イエスの招きは、「できればそうしなさい」ではなく、狭い戸口の先にしか、主人と喜びを共にすることはできないという強い招きです。自分のこととして受け止めるきっかけを探しましょう。リオデジャネイロ…

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)

聖母の被昇天の祭日を迎えました。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(1・45)天に上げられたマリアを、エリサベトと同じ言葉で今日わたしたちもたたえることにしましょう。初めてマリア様の御像の塗り直しを間近で…

年間第20主日(ルカ12:49-53)

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」(12・49)「火」は、2つの働きをもたらします。わたしたちの生活にイエスの投げ込む「火」が働き続けているか、振り返ることにしましょう。赴任して4ヶ月、馴れ合いが生じてきたのか、子供たちの中に…

年間第19主日(ルカ12:32-48)

「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。」(12・35)イエスは今週朗読に選ばれたたとえ話の中で、主がどのようなお方であるか、教えようとしておられると考えました。どれほど偉大で、どれほど謙虚な方であるかを知り、誠実にお仕えしようと決意を新…

年間第18主日(ルカ12:13-21)

年間第18主日C年は「愚かな金持ち」のたとえが選ばれました。「神の前に豊かになる生き方」とはどのようなものでしょうか。わたしたちはどんな生き方をすべきでしょうか。夏休み中は朝6時のミサ後にラジオ体操をしています。「頑張って来てくれた子供たち…

年間第17主日(ルカ11:1-13)

「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(11・1)。祈りを教えてくださいと願った弟子たちは最終的に何をいただいたのでしょうか。考えてみたいと思います。先週書籍販売にパウロ会の修道士(たぶん)が来てください…

年間第16主日(ルカ10:38-42)

「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10・42)年間第16主日C年の朗読に選ばれた「マルタとマリア」の物語の最後の場面です。ここに注目して今週の学びを得ることにしましょう。水曜日の雷は怖かっ…

年間第15主日(ルカ10:25-37)

年間第15主日C年の朗読として「善いサマリア人」のたとえが選ばれました。イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」(10・37)と呼びかけます。きっとそれは、わたしたちにも向けられた言葉です。どのように理解し、消化すべきか、考えることにしま…

年間第14主日(ルカ10:1-12,17-20)

年間第14主日C年の朗読として、七十二人の任命と宣教活動への派遣の様子が選ばれました。今週のように福音朗読が長い形と短い形を用意しているときがありますが、わたしは、短い朗読の形では省略される七十二人が宣教から帰ってきて報告し、イエスがさらに…

年間第13主日(ルカ9:51-62)

今週の福音朗読は「弟子の覚悟」を問う場面が選ばれました。神の救いのわざを目の当たりにした人にイエスは覚悟を求めます。わたしたちもイエスの求めに答えることにしましょう。最近司祭館で食器が見つかり、騒ぎになりました。わたしの歓迎会の日の晩、何…

年間第12主日(ルカ9:18-24)

「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」ペトロの信仰告白が今週取り上げられました。ペトロは立派な信仰を言い表しましたが、それは十分だったのでしょうか、わたしたちも信仰の心構えを学ぶことに…