2006-01-01から1年間の記事一覧
今日は12月31日、日曜日で聖家族の祝日、明日は1月1日で神の母聖マリアの守るべき大祝日、まるで日曜日が2日続けてやって来るような感じです。今年のようなカレンダーの年は、説教をする側としてはあまりやってきて欲しくありません。2日分の説教を続けて準…
皆さんあらためて、クリスマスおめでとうございます。朗読は「聖書と典礼」に印刷されたものではなく、あえて「早朝」にあわせて用意されたものを使いました。朗読の中で、羊飼いが目立っています。「さあ、ベツレヘムへ行こう」と語り合う羊飼いたちは、救…
主の降誕おめでとうございます。待降節を通して待ち望んだこの喜びの日を、「生まれた」というその場面に特に注目して考えてみたいと思います。救い主が、マリアからお生まれになりました。「生まれること」それ自体が神秘的な出来事です。お産が始まる直前…
今日の福音で、マリアの挨拶を受けたエリザベトに目を注いでみましょう。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言いました。「あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方…
今週の朗読で、荒れ野にいる洗礼者ヨハネのもとに群衆が集まり、それぞれ、自分の置かれた立場で何をすれば悔い改めにふさわしい実を結ぶことができるのか尋ねています。その中で、徴税人が洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいので…
今日の福音は、洗礼者ヨハネの登場と、イザヤの言葉の引用で、私たちにクリスマスの準備を促しています。これからの一週間、私たちの心の準備に当てていく何かをつかむことにいたしましょう。この福音書を書いたルカは、最初のところで、二つの動きを紹介し…
いよいよ待降節に入り、教会のカレンダーは新しい一年が始まります。「聖書と典礼」のパンフレットをお持ちの方は、待降節という文字に目をやってほしいと思います。ない方もどうぞ、頭の中で漢字を思い浮かべてみてください。そこに書かれている漢字は、「…
今日は、年間の最後の日曜日、「王であるキリスト」をお祝いしています。朗読された箇所の中心点は、「イエスはわたしたちの王です。わたしたちはどうやって王であるキリストを意識しますか」ということになります。過ぎた一年を振り返りながら、私たちが態…
説教に入る前に、一つお知らせをしておきたいと思います。説教と信仰宣言、共同祈願を終えてから進んでいく「感謝の祭儀」の中で聖体拝領が行われますが、今日聖体拝領をなさった方は、「おや、今日のは違うぞ」と思うことでしょう。じつは、今日の祭儀に使…
今日の福音朗読で「やもめ」が登場します。マルコによれば「一人の貧しいやもめ」です。「やもめ」と書かれている時点で、「夫を亡くした人、社会的にも弱い立場の人」を表す象徴的存在です。それに加えて「貧しい」とあえて書かれていますから、いかに弱い…
11月、死者の月に入りました。馬込教会では、教会の共同墓地で、追悼ミサの形で今日のミサをささげています。私たちが今いるこの墓地という場所は、死者が復活の時までの時間を過ごす場所です。もちろん魂はこの墓地にいるわけではありませんが、骨はここに…
金曜日と土曜日、天気良くて、二日続けて釣りに行かせてもらいました。どちらも3時間くらいです。金曜日はまあ、いろいろ釣れたのですが、納得できる結果ではありませんでした。翌土曜日は、皆さんもご存知でしょうが、ビックリするくらいの天気で、海は鏡の…
東京に行って来ました。それぞれの教区で「教区報」を作っている広報委員会の人たちが全国から集まって研修を受けました。東京に3日間もいたので、東京弁が抜けなくなったらどうしようかなあと心配していましたが、行ってみたら長崎教区の司祭が3人も中央…
私は車に乗っていてとっさにブレーキを踏むとき、後ろを見る習慣が付きました。もちろん、厳密には、前を見てブレーキを踏むわけですが、同時に後ろの車の動きも見ることにしているのです。この習慣が身に付いたのは苦い経験をしてからです。そのうちの一つ…
今日の福音は、前半が本来の結婚の姿を考えるきっかけとなったファリサイ派の人々との議論についてでしたが、今回は後半部分の人々がイエスに触れていただくために子供たちを連れてきた場面について取り上げたいと思います。ちょうど、木曜日から土曜日にか…
「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」(9・41)。今日はこの、イエスが取り上げた「一杯の水」「一杯の水を飲ませてくれる者」を私たちの生活の中で見つけましょう。身近…
今日の福音朗読は、二度目の死と復活の予告から始まっています。「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」(9・32)とありますが、一度目の予告のあとに弟子の代表であるペトロが「サタン、引き下がれ」(8・34)と叱られたあとの…
非常に強い台風13号が接近しつつあります。台風が襲いかかるときほど、私たち人間にできることはほんの少ししかないことを思い知らされます。去年でしたか、台風がもたらした大雨で川が氾濫し、家が流され、屋根が橋桁にぶつかる様子がテレビに流れたことが…
今日朗読された箇所で行われた奇跡、「たちまち耳が開き、舌のもつれが解けてはっきり話せるようになった」この場面は、イエスが直接働きかけるならば、この人間世界において奇跡は起こりうるということを物語っていると思います。私は、今でも身近なところ…
今日はまず、ファリサイ派について勉強することから始めましょう。もともとは、「分離された者」という意味があって、律法を忠実に守るものとして一般のユダヤ人からは分離された者だという自負を表す表現でした。イエス・キリストの時代に6000人あまりいた…
夏休みもいよいよ終わりに近づきました。神学生、特に中学時代などは、夏休みが終わろうかというこの時期になると天気予報を穴の開くほど見て、「フェリーが欠航にならんかなぁ」といつもつぶやいていました。ちょうど台風が長崎を通過する時期でもありまし…
真夏の八月も下旬に入りました。子どもたち学生たちはあと10日しかないなあと思っているかも知れませんが、おうちの人はあー早く夏休みが終わって学校に行ってくれんかなぁと思って・・・いるかも知れません。親の心子知らず。こういう場合は使わないのでし…
今年、聖母被昇天の祭日の説教を考えながら、すごく基本的ですごくあたりまえのことになるほどなあと一人で感心してしまいました。それは、「祝福は神から来るものだ」ということです。祝福は神が人間に与える恵みであり、祝福の場には神がおられて人間と深…
今週の福音は、私たちに一日一日のこと(日常)と永遠とがどのようにつながっているかを考えさせてくれます。朗読箇所から関係する一節を取り上げてみましょう。「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることは…
皆さんようやくこの日がやってまいりました。タオルを振って、一生懸命応援してください。選手のみんなも、一生懸命練習しましたので、きっとよいところを見せてくれると思います。今年のドラたたきは経験もだんだんと積み上がって、魂のこもったドラたたき…
昨日夕方から小学生と中学1年生を集めて夏の宿泊学習を行いました。子どもたちは偉いと言えば偉いわけですが、いろんなことを絡めて考えると、この教会学校はどんな意味があるのだろうかと考えさせられることがあります。先週も話したとおり朝6時半のミサに…
今日の福音でイエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れたところへ行って、しばらく休むがよい」(6・31)と言われました。「休む」ことが本来の使命をよりよいものにすることを知った上での勧めだと思われます。子どもたちも夏休みに入りましたし、イエス…
大きいことを言えた義理ではありませんが、長崎の小神学校では典礼係の先輩が中学生に霊的な話や信仰を育てる話、教訓になるような話を聞かせるという習慣がありました。今でも続いているといいなあと思っています。高校生はそれぞれ係を受け持つようになっ…
私は勝負事にはあまり強くないらしくて、勝ち負けがかかると力んでしまって思うような結果を出せません。あれか、これかを決めないといけないというようなときでもずいぶん弱気の虫が表に出てきて痛い目に遭うのです。たとえばスポーツで、これまでに監督の…
今日のような朗読箇所はちょっと読みにくいなあと感じます。その理由は、会堂長ヤイロの娘の物語が始まったところに、途中でイエスの服に触れる女性が登場し、いったん物語が中断してしまうからです。そこでみなさんの手元にある「聖書と典礼」では、イエス…