年間第26主日(マルコ9:38-43,45,47-48)

「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」(9・41)キリストの弟子は、性格や取り組む姿勢などそれぞれ違いがあるかもしれませんが、宣教の働きに対して一杯の水を受けるに値する人々です。

12人の弟子たちは自分たちに従わない宣教者を排除しようとしていました。多様性を持つことが豊かさにつながることを今週学びたいと思います。同時に、キリストの弟子たちが受け取る一杯の水とは何か、その水を差し出す人に与えられる報いとは何かも考えてみましょう。

秋の大型連休中に妹夫婦が実家の母親を訪ねてきました。妹夫婦の子どもは9月23日が誕生日ですから、母親の敬老のお祝いと、甥の4歳の誕生日を一度に祝うまたとない機会に恵まれました。

わたしは特に何もしてあげられませんが、魚くらいは持って行ってあげようと思い、無類の釣り好きである義理の弟さんを月曜日、火曜日の2度にわたってボート釣りに誘い、お魚を確保しに行きました。

月曜日はイトヨリやオオモンハタなどがぼつぼつは釣れましたが、船頭としては物足りない釣果でした。五島で釣りをしているのですから、忘れられないような魚を釣らせてあげたいと思っていたのです。

チャンスは偶然やってきました。火曜日もクーラーボックスになかなか魚が増えないまま、このまま帰ることになるのかと諦めかけていましたが、「あと30分だけ」と思い、最近アジを釣った場所にボートで移動して釣り始めたのです。しばらくして義理の弟さんのリールから糸がひったくられ、竿がしなり、海中に突き刺さりました。

「よっしゃ来たか!」何が掛かったかはその時点で分かりませんでしたが、ただものでないことはすぐに分かりました。絶対にバラさないでくれ。「もう少しだったね」とか「惜しかった〜」では終われないのだからとハラハラして見守りました。

7分近いやりとりをして、ようやく上がったのは3.5キロのカンパチでした。たまたま、その魚もアジを食べに来ていたのだと思います。義理の弟さんも大満足、船頭のわたしも鼻高々で、実家ではさもわたしが釣ったかのような自慢をしながら食べました。

ごく最近、命の危険にある一人のシスターを見舞いました。長崎の病院に入院しているので長崎に行ったついでに見舞いに行くのですが、前回見舞いに行った時は歩き回ることができたのに、今回見舞いに行ってみるともうそんな元気はなくて、ベッドに釘づけになっていました。いっぱい話すのですが、言葉がところどころ呂律が回っていませんでした。おそらく、痛み止めの薬の副作用か何かで、言葉にも障害が出ているのだろうと思いました。

わたしは、シスターの状態を判断して、これは聖体拝領だけではなくて病者の塗油も授けておいたほうがいいなぁと思い、両方の秘跡を授けました。わたしは縁あってこのシスターの両親にも洗礼を授け、またその両親共に旅立ちのための葬儀ミサをしたので、いよいよとなればシスターのためにもできるお世話はしてあげたいと思ったのです。

病院の手厚い看護に比べれば、わたしが気が向いたときに見舞ってご聖体を授けたりするのは、シスターにとってほんのわずかの時間、わずかなお世話かもしれません。それは、今週の福音朗読の「キリストの弟子に与える一杯の水」程度のことかもしれません。

けれども別の意味もあると思います。乾燥地帯にあるパレスチナの人々にとって、水を手に入れるのはたやすいことではありませんでした。宣教活動をするイエスの弟子たちが、一杯の水を飲ませてもらうということは、何にもまして嬉しいこと、天の恵みだったと思います。

また、水を提供するということも、水道からコップ一杯水を汲んで渡すようなそんな単純なものではなかったのです。時間もお金も費やして水汲みに行って、自分たちにとっても貴重な水なのに、それをあえて人に譲って飲ませる。そういう重みがあったわけです。

時間で計れば、わたしがシスターに施したお世話はたかが知れているかもしれません。けれども命の危険に差し掛かっても運命を恨むことなく、神さまからたくさん愛されたのに神さまにあまりお返しできなかったと悔やみながら秘跡にあずかる姿は、キリストの弟子だという理由で一杯の水に値すると思いました。

わたしはこのシスターと何度も衝突しました。わたしの落ち度を、シスターはどんなに嫌がられてもわたしに忠告してくれました。シスターにも言い分はあると思うけど、わたしにも言い分がある。そう言いながら昼ご飯を食べながら大声で喧嘩したこともありました。

キリストの弟子という生き方をお互いに背負いながらも、アプローチの仕方も解決法も意見が合わないことが多々ありました。けれどもわたしは、このシスターが秘跡の恵みという一杯の水を受けるにふさわしい人であることは疑っていなかったので、個人的なこととは別に秘跡を授けに行ったのです。

シスターは残された時間がそう多くないことを知っていたので、わたしと頻繁に衝突したことをゆるしてほしいと言っていました。わたしは「何も言うな。もう何も言わなくていいから」と遮って、帰りの船の時間ギリギリまで最後になるかもしれないひと時を過ごしました。

キリストの弟子は、寝たきりであってもキリストの弟子です。命を削って、主キリストのために身を捧げます。意見が対立することがあっても「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方」(9・40)です。意見が合わない、考え方の違いをはっきり主張するこのシスターと出会ったので、わたしも人の話を少しは聞くようになれたのだと思います。

シスターも秘跡の恵みという一杯の水を受けました。さんざんこのシスターに心配をかけましたが、これからもずっと、手のかかる一人の長崎教区司祭のために、祈ってほしいと思っています。

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ちょっとひとやすみ
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▼シルバーウィークも終わり、甥っ子も嵐のように去って行った。今は現実の9月10月に差し掛かる中で必要なことを一つ一つ追われながら作業している感じだ。最近耳に入って来た話を、個人を特定しない形で取り上げてみたい。
▼メルマガを通して知り合った人が、最近結婚し、今は母となる恵みをいただいているそうだ。これはめでたい。この人は言ってみればメルマガの活動でカトリック教会に導かれた貴重な一人と言える。元気な子が生まれることを心から願う。
▼「女は強し、されど母はより強し」ということわざがあったような気がするが、それにさらに一言「シスターはもっと強し」と加えたい。長崎教区のカトリック教報には司祭や修道者の訃報が掲載されるが、最近の号に40代で天国に旅立ったシスターの報告があった。
▼さぞ悔しいことだろうと思うと同時に、立派に旅立って行ったのであれば50歳になろうかという年齢で自分は覚悟なんて無理無理、と思っているのだから、シスターは本当に最強だと思う。わたしの身近でも、3年も意識が戻らないまま寝たきりのシスターがいるし、闘病生活にありながら見舞に行くわたしを笑わせるシスターもいる。やはり「シスターは強し」だ。
▼シスターがなぜこうも強くたくましいのか、それぞれ十人十色だとは思うが、まずはキリストのものとなっているからというのが最大の理由だと思う。自らの命はキリストのもので、キリストが生かし、キリストが命を取り去るのだと十分理解しているので、怖いものがないのだと思う。
▼加えて、シスターたちはある意味母となるので強いのではないかと考えた。わたしが病院に見舞ったシスターは、父と母を洗礼に導いた。洗礼は人を神の子に生まれさせる秘跡である。「子を産む」のは母である証拠だ。シスターは霊的な母となって、さらにたくましくなるのだと感じた。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===