2005-01-01から1年間の記事一覧

主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)

今日は、お手元の「聖書と典礼」に「主の降誕(日中のミサ)」と書かれているこのことから話を始めたいと思います。主の降誕のミサは、「夜半のミサ」「早朝のミサ」「日中のミサ」この三つのミサが典礼上用意されています。福音朗読はそれぞれ、夜半のミサ…

主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)

主の降誕、おめでとうございます。ものすごく寒い中で今年はこの喜びの日を迎えました。12月22日は交通船の最終便が欠航になったとは知らず、最終便の10分前に大波止ターミナルに着いてみるとそこには誰もいませんで、ただ一人床にワックスを掛けている男性…

待降節第4主日(ルカ1:26-38)

私たち人間は、経験で物事を判断します。経験したことのないものについては、言葉で説明されてもなかなか理解できません。たとえば、イエスが大勢の群衆を前にして「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と仰った山上の説教につ…

待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)

だれにでも一番最初の時の出来事、一番目の思い出のようなものを一つや二つは持っているのではないかなと思いますが、中田神父が神父として思い出す第一番目というと、秘跡を授けた中での思い出ということになります。いくつかの秘跡、婚姻の秘跡とか病者の…

待降節第2主日(マルコ1:1-8)

かつて私が福岡の大神学校にいた頃の先輩に、「ダジャレ四天王」と呼ばれる先輩がおりまして、食事の席や会話の中でダジャレを連発する先輩がおりました。今も四人の名前を覚えておりますが、ここで名前を言うのは控えたいと思います。この四名のうちおそら…

待降節第1主日(マルコ13:33-37)

木曜日に司祭を対象にした半日研修会が開かれまして、リーダーシップについてというテーマで勉強会が開かれました。リーダーとして主任司祭に求められることが話の中心でした。大まかに言えば、小教区をうまくまとめるために主任司祭は司会者の役割だけでは…

王であるキリストの祭日(マタイ25:31-46)

今日は「王であるキリスト」の祭日です。今日に限っては、A年の最後の週の説教を準備しているという気持ちと、「キリストが王である」ということをどのように理解し、皆さんに伝えるかということの両方が頭にありました。この世の王であれば、身なりによっ…

年間第33主日(マタイ25:14-30)

今日の福音朗読は、神に信頼を置き、恐れずに働きなさいということを強調していると読みました。五タラントン預かった僕と二タラントン預かった僕とは、主人に信頼を置いて働きました。ところが一タラントン預かった僕は、恐れて預かった金で働こうとはしな…

年間第32主日(マタイ25:1-13)

今日選ばれた福音朗読は、「十人のおとめのたとえ」と言われるものです。十人のおとめが花婿を出迎えるために選ばれ、ともし火を用意して待っていました。すでにイエスから「そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」と指摘されていますが、ともし火を携え…

年間第31主日(マタイ23:1-12)

今週の朗読にはずいぶん悩まされます。「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない」(23章8節)とイエスは仰るのですが、中田神父のことを「先生」と呼ぶ人に「わたしを先生と呼ばないでください」と口止めをするのは時として難しいからです。先週水曜日、…

年間第30主日(マタイ22:34-40)

今日、神の島教会の皆さんが巡礼においでになり、合同でミサをささげております。二つの教会で主の平和と挨拶を交わし合う喜びを与えてくださった神の島教会の主任神父様と信徒の皆さんに感謝したいと思います。今日、神を心から愛し、隣人を自分のように愛…

年間第29主日(マタイ22:15-22)

今週の説教案は、3年前のリメイク版です。朗読された福音で、どんな小さなことでも、慎重に読み返すと良いものが見つかるのだなあと思いました。それは、イエスの言葉「税金に納めるお金を見せなさい」(19節参照)です。つい読み流してしまいそうになりま…

年間第28主日(マタイ22:1-14)

最近頻繁にダンプカーが通るようになって、ふっと昔を思い出すことがあります。昔というのは昭和50年頃のことですが、ふるさとの五島では土建業がにぎやかな時代でした。そこに、私の母方の祖母が仕事に出ていました。親方に雇ってもらって、毎日その日その…

年間第27主日(マタイ21:33-43)

今日の朗読は、神さまの遠大な救いの計画がたとえ話のいちばんそこに流れていて、この神の計画をふまえて読むと、これまでとはひと味もふた味も違った読み方ができると思います。その点を押さえて、たとえ話を通して語りかける神の声に耳を傾けましょう。そ…

年間第26主日(マタイ21:28-32)

今日の朗読で、兄の取った態度を理解し、生活の中で見習うために三つの言葉を押さえておくと良いと思います。具体的には「父」「義の道」「後で考え直す」この三つです。その前にまずは、前置きとなる点を一つ片付けておきましょう。それは、イエスがこのた…

年間第25主日(マタイ20:1-16)

できれば忙しくならないように、できれば目立つ場所に立たないように、日頃から用心しているつもりなのですが、なかなかうまくいきません。何が言いたいかといいますと、10月の中旬から純心大学で講義を1コマ持つ羽目になりました。むこうの話では「いのち…

年間第24主日(マタイ18:21-35)

今日の福音朗読は、「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」(18・33)この言葉が全体を理解する鍵になっていると思います。私がしたように、同じように隣人に振る舞いなさいと、イエスは弟子たちに、ま…

年間第23主日(マタイ18:15-20)

今日の朗読の前半、「兄弟があなたに対して罪を犯したら」というイエスのさとしについて考えてみたいと思います。イエスはここで、罪を犯した兄弟を見放さないように繰り返し勧めています。あらゆる方法で兄弟に忠告するように促していますが、そこから、私…

年間第22主日(マタイ16:21-27)

今日の朗読で、いちばん語気を強めて語っておられるのは次の言葉でしょう。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」(6・23)。同じ出来事がマルコ福音書にも記録されていますが、そこでイエスは…

年間第21主日(マタイ16:13-20)

今日は「鍵」について考えてみたいと思います。福音朗読はペトロが信仰を告白する場面が取り上げられています。ペトロの立派な返事を聞いて、イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしは…

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)

今日私たちは聖母の被昇天をお祝いしています。今年の聖母被昇天に当たってマリアの姿を黙想するために、13年にわたって一人のベトナム人司教様が書き残した教区民へのメッセージを頼りに進めていきたいと思います。名前はトゥアン司教様と言います。この方…

年間第20主日(マタイ15:21-28)

もう5、6年前になるでしょうか。クリスマスの恒例行事となっている街頭募金のために町のショッピングセンター前に立っていたときのことです。クリスマスの頃ですからじっと立っているとかなり寒さがこたえます。子どもたちには募金箱を持たせて立つのです…

年間第19主日(マタイ14:22-33)

よく言われることですが、「できる」と思えばたいていのことはできるものだし、できないと思ってしまえば他の人からはできそうに見えても、本人はどうしてもそれを乗り越えることができないと言われます。私の個人的な食べ物の好き嫌いで言えば、私は酸っぱ…

年間第18主日(マタイ14:13-21)

物作りというのは独特の面白さや難しさがあってなかなか言葉では語り尽くせないものですが、幼い頃私はよく父親の見よう見まねで遊び道具を作りました。わりと簡単なものでは竹とんぼや竹馬、難しいものになると凧とか作りました。さすがに、父親の自慢だっ…

年間第17主日(マタイ13:44-52)

今日の朗読は、先週の朗読と二つで一つのセットのようなものです。先週と今週をつなぐちょうつがいの役割を果たしているのは、「天の国は次のようにたとえられる」という言葉です。天の国を身近に感じるために、イエスはあれこれと工夫して、話してください…

年間第16主日(マタイ13:24-43)

今日の朗読で関心を引いたのは、イエスがお話しになったたとえ話の中で、「敵が毒麦を蒔く」という場面を設定しているということです。私たちは何かもののたとえを使う時に、話す本人にとって思い付かないこと、取り入れたくないないことはたとえ例として挙…

年間第15主日(マタイ13:1-23)

人間は何かで成長し続けようと望むならば、決して成長は終わらないということを肌で感じました。土曜日に高島教会のミサに行くとき、大雨に降られてまいったなあと思っていましたが、いよいよ高島教会の門扉を開けて司祭館に近づいた時、頭の中ではこう考え…

年間第14主日(マタイ11:25-30)

7月3日、私の霊名の祝日を再びこの小教区で迎えることができて、ひとまずほっとしています。今日は福音の箇所と私の霊名のお祝いを結び付けて考えながら、最後に皆さんの霊名の祝日、記念日に目を向けていけるように話したいと思います。今日の福音から、…

年間第13主日(マタイ10:37-42)

まじめな信仰の話です。中田神父にとって身近なところで偉いなあと思える方々は、勉強して、後で洗礼を受けた方々です。もとから洗礼を受けている人ももちろん立派なのですが、一通り学んで、その上で洗礼を受けると決めた方々には、素直に尊敬の気持ちがわ…

年間第12主日(マタイ10:26-33)

先週私にとって血の気が引くような出来事が一つありました。私にとってぞっとするようなことではあっても、説教を聞いてくださる皆さんにとってどう感じるかはまた別の問題ですが、とにかく、これは大変なことになったと思ったのでした。それは、コンピュー…