年間第32主日(マルコ12:38-44)

年間第32主日、年間の主日もあとわずかです。この時期、11月の第2週は上五島地区で堅信式が行われます。わたしたちの小教区からも2人の受堅者が午後2時からの堅信式に臨みます。今週の福音朗読に触れながら、堅信の秘跡を受ける心構えについて考えてみたいと思います。

長崎教区は伝統的に、堅信の秘跡を受ける前に長い準備をします。わたしが子供の頃は堅信式が3年に1度回って来て、3年かけてこの日のために準備していました。小学6年生から堅信組に加わって、中学2年生の終わりか3年生になった時に堅信の秘跡を受けていたと思います。

当時はカトリック要理という小さな本を暗記して、主任司祭の前に1人ずつ立たされて、学期ごと習い覚えた中から10問主任司祭が質問し、それに答えるという形でした。多くの人が経験したことですが、木の上に登ってセミが鳴くように大声で問答集を繰り返して覚えたものです。

中には、学校の勉強そっちのけで、カトリック信者は堅信のための勉強をしていました。今週の福音朗読にある金持ちの献金とやもめの献金の姿に似ています。わたしは頭がよかったので学校の勉強そっちのけで要理を覚えた経験はありません。有り余る才能の中から、少しだけ費やしたのですが、人によっては、乏しい中から、自分の持っている時間をすべて、昼間の時間全部要理の勉強につぎ込んだわけです。

わたしは最後の最後まで、勉強らしい勉強もせずに堅信の秘跡を受けました。小学6年生の時は、仲間がけいこに行く時間も東浦小学校の運動場で遊んでいて、仲間がけいこに行く時と帰る時は体育館の陰に隠れ、シスター小林三枝のけいこにはほとんど通わなかったのです。

いざ試験当日になれば、当時の主任司祭道向神父さまが1番目の人には1番11番21番31番と問題を掛けていることを見抜き、自分の順番を確認し、たとえば6番目なら6番16番26番36番だけをその場で覚えて、何食わぬ顔でその場をやり過ごしました。

中学からは神学校に入りましたので、故郷鯛ノ浦でのけいこも試験もおさらばとなりました。神学校では簡単な試験で準備が終わり、里脇枢機卿さまの鼻の下の長さばかり気になって堅信の秘跡を受けたのです。わたしの見たところ、枢機卿さまの鼻の下は5cmくらいありました。

そういう事情で、わたしは金持ちが有り余る中から賽銭箱にお金を入れるような勉強しかしていないので、本当の意味でやもめが乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れるような努力を、堅信組の時期に払ってきた方々の苦労がいまいち理解できません。

けれども6年間この小教区で堅信組の中学2年生と勉強をしてきて、彼らの中にわたしが用意した祈りの口頭試験と教会の教えの筆記試験にすべてを投じて準備してくれた子供たちがいました。今になって堅信式のためにすべてを注いでくれた子供たちの努力がどれほど尊いものかを理解するようになったのです。

1人の子供は、祈りと筆記試験の合計が合格点の150点に到達せず、涙を流して「何でもしますから、堅信を受けさせてください」とすがりました。「何でもする」と言われて困ったのですが、この子が今日までどれだけ努力してきたか、わずかに届かずどれだけ困り果てているか、十分伝わりました。その子には「これから中学生の間だけでも教会に休まず来なさい」と言い含めました。その子は約束を守ってくれました。

堅信組になった中学2年生が、堅信式前の最終試験に真剣に取り組む姿を見ていて、今になって後悔することがあります。堅信組の時くらいしか、信仰生活の中で「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」そういう経験はできないのです。それなのに、わたしは片手間で堅信式の準備を終えてしまいました。神さまは、わたしがあの時自分の持っている物をすべて堅信の準備に充てなかった責任を取らせるために、司祭召命にわたしを導き、司祭叙階の時に「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」姿を要求したのだと思います。

今週の福音朗読のやもめの献金は、わたしたちへの忠告なのだと思います。やもめが神殿の献金箱に有り金全部入れた姿は、人生のある場面でわたしたちは自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れる決断をしなければならないのだと教えるための忠告なのです。

堅信式がまさにそうです。わたしたちはすべてを横に置いて、堅信組の時期に教会の教えを学びました。人生のある時期、堅信式という一瞬のために、長い準備を引き受けたのです。それは、信仰がどれほど価値あるものかを理解させるものです。堅信式は、わたしたちの受けた信仰が、「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れる」に値することを教えてくれるのです。

わたしたちの中で堅信の秘跡を受けていない人はまずいないと思います。大学には、行ってない人もいるでしょう。しかし、どんな時代の人も、堅信の秘跡は受けたのです。そして堅信式の準備のために、「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」のです。

わたしたちはこの経験を、必ず次の世代、またその次の世代に受け継がせる義務があると思います。大学には行く人行かない人いろいろいるけれども、堅信の秘跡カトリック信者であれば何をおいても受けるべきだし、「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れる」それだけの価値があると、確信を持って伝える必要があります。中学3年生以上は、確信を持って伝えることができるはずです。

あなたの人生の中で、堅信組の時のように「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」時期が他にあるでしょうか。もしそれほどの努力を払ったのであれば、それは必ず語り継がなければなりません。今日堅信の秘跡を受ける子供たちとともに、信仰を確信を持って伝える恵みが与えられることを神に感謝しましょう。自分の言葉で、信仰は「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れる」だけの価値があると、伝えることができるよう、ミサの中で聖霊の照らしを願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼ホームページ「話の森」を幅広のデザインからスマホで見やすいように幅を狭めたことに気付いただろうか。別に気がつかなくてもかまわないが、努力はしているから〜のポーズである。ホームページ制作ソフトとしては「ホームページビルダー」を使用し続けているが、本音では「WordPress」に切り替えたい。
▼実は切り替えようとした。切り替えようとはしたのだが、またもや自力で壁を乗り越えることができず、途中で断念してしまった。だれかよく分かるように、手取り足取り「WordPress」を教えてくれないだろうか。
▼どうしても「WordPress」でなければならないとは言わないが、外出先からちょこっと更新、そういうスマートな管理ができればなぁとますます思っていて、あと少しで断念したのは本当に悔しい。悔しい〜悔しい〜(泣)
▼もう1つ、Windowsパソコンで作ったテキストファイルがiPhoneで読めない(文字化けする)のも悔しい。なんだかんだといろいろアプリを試したが、そのたびに文字化けの壁に突き当たる。Appleの商品を使っていなかったからこの類の苦労は味わってなかったのだが、本当に悩まされている。
▼ところがこの文字化けが、つい最近うそのように解消された。決め手は有料アプリの「Pocketfiler」だった。有料無料のエディタをさまざま使ってみたが、どうもうまくいかず、ちまちまお金だけが減っていたのだが、今回のアプリは350円払った甲斐があった。Windows側で更新していたテキストファイルがすんなり読み込めた。1つ、イライラが減った。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===