2015-01-01から1年間の記事一覧

年間第12主日(マルコ4:35-41)

年間第12主日は、「突風を静める」という物語ですが、わたしは違う言いかたで、テーマを示したいと思います。それは、「イエスと向こう岸に渡る弟子たち」です。弟子たちは、向こう岸に渡るという出来事の中で、弟子として訓練を受けたのだと思いました。釣…

年間第11主日(マルコ4:26-34)

今年の年間第11主日はマルコ4章の「成長する種」のたとえと「からし種」のたとえが語られました。神の国についてのたとえを語るイエスから、わたしたちが人に神の国を語る姿勢を学びたいと思います。今週の福音朗読は、神の国についてのたとえ話が2つ挿入…

キリストの聖体(マルコ14:12-16,22-26)

今日キリストの聖体の祭日です。これまでどのような心構えでご聖体に近づいていたかを振り返ってみましょう。そして本来はどのような心構えで近づくべきなのかを考えることにしましょう。イエスは常にご自分のすべてをご聖体を通して与えようとしておられま…

三位一体の主日(マタイ28:16-20)

今週は三位一体の主日です。父と子と聖霊の三位は一体であり、同じ思い、同じ働き、同じ栄光に満ちておられます。父と子と聖霊の働きが唯一なので、どの時代の人も、どの国の人も、三位一体の神を信じることができるのです。わたしたちは、三位一体の神を信…

聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)

めったに味わえないイセエビとアワビを先週いただきまして、木曜日の福見のミサで、保育園児と小学生を前に、イセエビをいただいたことをわたしなりに披露しました。浜串の司祭館のチャイムが鳴ったので誰かなぁと思って二階から下りて行ったら、イセエビが…

主の昇天(マルコ16:15-20)

主の昇天の祭日を迎えました。選ばれた朗読個所から、弟子たちの派遣に注目してみたいと思います。弟子たちはイエスから派遣され、派遣された先で、復活した主の現存を感じ、またそれを次の派遣先で伝えることになります。先月の終わりだったでしょうか、木…

復活節第6主日(ヨハネ15:9-17)

今年の復活節第6主日は、「互いに愛し合いなさい」というイエスの最高の掟が示されました。わたしたちがイエスの掟を喜んで受け入れ、実行するきっかけを得ることにしましょう。説教案は3年前のものを参考にしています。聖母月、夕方のロザリオの信心が始ま…

復活節第5主日(ヨハネ15:1-8)

今年の復活節第5主日には、「イエスはまことのぶどうの木」このたとえが語られました。ぶどうの木につながっている生活には、どんな素晴らしさがあるのかを学ぶことにしましょう。先週子どもたちのミサのときに「母の日・父の日」について、それと「子ども…

復活節第4主日(ヨハネ10:11-18)

今年の復活節第4主日の福音朗読は、「良い羊飼い」として自分を示すイエスの姿が描かれています。「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」このイエスのみことばに分け入っていきたいと思います。去年の同じころの話ですが、6月には毎年教区司祭の黙想会が入…

復活節第3主日(ルカ24:35-48)

月曜日にいつもの趣味ができないまま週末が来てしまい、せめて土曜日くらいは気晴らしを、と思っていたところをがまんして説教作りに時間を取ったにもかかわらず、どうしてもとっかかりが見つかりませんでした。そこで不本意ながら、6年前の説教を参考にさ…

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

神のいつくしみの主日と呼ばれるようになった復活節第2主日、神のいつくしみをまずイエスを信じるわたしたちが知り、イエスをまだ信じていない人々にどのようにしたら神のいつくしみが届くかを考えてみましょう。復活の卵の当たりくじ、あと2人受け取りに…

復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)

あらためてご復活おめでとうございます。わたしたちは昨晩の復活徹夜祭で光の祭儀を行い、復活した主が、わたしたちの心の闇を照らし、導いてくださる方となっておられるのを体験しました。 ローソクの光は、使い方によって2つの照らし方をすると思います。…

復活徹夜祭(マルコ16:1-7)

主の復活おめでとうございます。今年の聖週間も慌ただしかったですが、無事にこの日を迎えることができてホッとしています。福音朗読は、婦人たちがイエスのご遺体をお納めした場所を訪ねるところから始まっています。婦人たちは「だれが墓の入り口からあの…

聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)

イエスのご死去を朗読でたどっていきました。イエスを死に追いやる人々の中で働く悪の力は、その人の正しい判断力までも奪い去りました。大祭司アンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カイアファのもとへ送りました。カイアファも何も手を貸さず、総督ピラト…

聖木曜日(ヨハネ13:1-15)

聖木曜日、イエスが最後の晩餐で弟子たちの足を洗う場面が朗読されました。イエスが弟子たちの足を洗ったのは聖体の秘跡を制定された最後の晩さんの中でのことでした。朗読の部分に最後の晩さんの場面も重ねながら、黙想することにしましょう。今年3月1日…

受難の主日(マルコ15:1-39)

受難の主日、聖なる一週間が始まりました。イエスがいのちをささげて人間の救いを全うされます。わたしたちは自分では天の国にたどり着けないと、この一週間ではっきり理解し、より頼む心を増しましょう。本日のマルコによる受難の朗読の中で、わたしは兵士…

四旬節第5主日(ヨハネ12:20-33)

四旬節第5主日、受難の主日からの聖週間ももうすぐそこまで来ています。イエスが救いのわざを完成しようとする場面、それと同時に敵対する力もさらに増します。わたしたちも誘惑を退け、イエスが栄光をお受けになるその時を喜び迎えられるよう、学びを得る…

四旬節第4主日(ヨハネ3:14-21)

四旬節第4主日を迎えました。あと2週間で聖週間というところまで典礼が進んでいます。これからの2週間、受難と復活を通して救いを完成されるイエスに一歩ずつ近づく日々にしたいものです。今年長崎教区は信徒発見150周年を記念するためにさまざまな公式行…

四旬節第3主日(ヨハネ2:13-25)

黙想会の週でした。2006年の説教を参考に、黙想会の学びを少し拾ってお話ししたいと思います。イエスは神殿で羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らしと、ずいぶん手荒なやり方で神殿にあるものを一掃しました。荒っぽい方法でイエスは神殿…

四旬節第2主日(マルコ9:2-10)

四旬節第2主日に入りました。イエスはただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登り、彼らの目の前でそのお姿が変わる様子が描かれています。高い山に登って、3人の弟子は実際には何を見たのか、考えてみたいと思います。本日午後3時から、浦上教会…

四旬節第1主日(マルコ1:12-15)

四旬節の主日に入りました。イエスは荒れ野でサタンの誘惑を受けます。同時に天使がイエスに仕える中で、イエスは荒れ野での誘惑を退け、ガリラヤに行って神の福音を宣べ伝えました。どのような誘惑を受けても最後は福音を宣べ伝えるイエスの姿に、四旬節を…

年間第6主日(マルコ1:40-45)

今週は季節のはざまに置かれた年間の主日から四旬節に移行する週です。水曜日には灰の水曜日が設定されていて、頭に灰をかぶり、四旬節の償いと犠牲が始まります。この典礼の切り替わりの季節に、今週の朗読個所から学びを得ることにしましょう。何とか、徒…

年間第5主日(マルコ1:29-39)

年間第5主日に朗読されるイエスの活動は、時間に縛られず、場所も多岐にわたり、精力的に活動する様子が描かれています。イエスの宣教に触れた人々の中で、シモンのしゅうとめが目を惹きます。この、シモンのしゅうとめから今週の学びを得ることにしましょう…

年間第4主日(マルコ1:21-28)

年間第4主日です。イエスが会堂に入って教えます。人々はその権威ある教えに驚きました。イエスが会堂に入る姿から、今週のわたしたちの学びを得ることにしましょう。個人で所有する祭服の補修が出来上がり、先週途中から着用しています。絹織物特有のごわご…

年間第3主日(マルコ1:14-20)

年間第3主日を迎えました。福音朗読はガリラヤで伝道を始め、四人の漁師を弟子にする場面です。イエスの宣教活動の始まりです。ガリラヤ湖のほとりで声を響かせるイエスに心躍らせ、イエスに従っていく今週一週間が始まります。先週わたしはとある食事の席…

年間第2主日(ヨハネ1:35-42)

説教に入る前に、昨日1月17日は阪神大震災20年目の日でした。今も震災の影響を受け続けている人がいます。災害を経験した人にもイエスがそばにいてくださり、今ここに踏みとどまって生きる理由と勇気が与えられるように、合わせて祈ることにしましょう。典…

主の洗礼(マルコ1:7-11)

主の洗礼の祝日を迎えました。イエスが受ける洗礼は、よくよく考えるとイエスの十字架上の死とつながっていると思います。そのことを踏まえて、選ばれた朗読個所から今週の学びを得ることにしましょう。皆さんの中で長崎新聞を購読している方もおられると思…

主の公現(マタイ2:1-12)

主の公現の祝日を迎えました。幼子イエスを拝む占星術の学者たちから、わたしたちの日々の生活を振り返り、証しを立てるヒントを得ることにいたしましょう。初夢についていろいろネット上で調べると、諸説ありました。大晦日から正月一日にかけて見る夢、正…

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)

新年明けましておめでとうございます。新しい年を、どのような形で始めるかはとても大切です。いろんな新年の迎え方があるでしょう。ある人々は太陽を拝んで新しい年を始めます。ある人々はお祓いを受けます。ですがわたしたちカトリック信者は、神の母聖マ…