2007-01-01から1年間の記事一覧
説教も時には大変な思いをして準備することがあります。今週の聖家族はなぜかどうにもイメージが涌かなくて、深夜の12時になっても1時になってもいっこうにまとまりませんでした。ようやく書き始めたのが朝の3時です。眠くて仕方ありません。まずどうして…
主の降誕おめでとうございます。今年の降誕の喜びを、2つの視点でとらえたいと思います。1つは、旧約で預言された通り、幼子の誕生を迎えたということです。「それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男…
主の降誕おめでとうございます。今年の降誕の喜びを、1つの姿に示してみたいと思います。それは、10人のおとめのたとえです。たとえをかいつまんで紹介すると、花婿を迎える10人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行きます。 そのうちの…
年末年始になると、頭を使う仕事が特別増えます。今日23日の「待降節第4主日」、明日24日夜の「主の降誕(夜半)」、明後日は「主の降誕(早朝)」、来週30日が「聖家族」、明けて1月1日が神の母聖マリアの祭日と、10日間で5つの説教を準備してミサの中…
今年、中田神父に1つ心残りがあるとすれば、今年も福岡教区の新しい司教さまが決まらなかったということです。松永司教さまが亡くなられて1年半になります。世の中で言えば、会社の社長が亡くなって1年半経ったということです。会社を力強く引っ張ってい…
今日は映画の話から入りたいと思います。長崎駅そばに「アミュプラザ」という商業施設があります。その4階に、映画館が入っています。ここで、「マリア」という映画が今上映されているのですが、この映画、クリスマス前に観ることをお勧めしたいと思います…
待降節を迎えました。主の到来を待ち望む季節です。幼子イエスとしてやって来るのを待つのと、キリストの再臨を待つ、この両方の意味合いで待降節を過ごしましょう。はじめに、朗読された福音を読み返してみましょう。今日の朗読福音は、「人の子が来る」で…
今週は「王であるキリスト」の祭日、典礼暦では一年の最後の日曜日です。「王」ということについて考えてみましょう。みなさんは「王」という言葉に、どんなイメージを重ねるのでしょうか。「王」は何かしらの権威を持っている存在です。イエスを十字架に付…
今週の朗読は見事な石と奉納物で飾られている神殿に感心する人々の話から始まっています。見事な神殿を目の前にして、この建物は永遠に続くのではないかと考えたのでしょう。実際は紀元70年、ローマ軍の侵攻によって跡形もなく壊されてしまいました。また、…
「復活」の姿を描くことは大変難しいと思います。「めとることも嫁ぐこともない」(20・35)「もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」(20・36)こうしたイエスの言葉から私がつかんだことは、「決して…
今週の福音朗読を読みながら私の心に響いたのは、「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(19・5)というイエスの呼びかけです。イエスは、「ザアカイ、あなたの家に泊まりたい」とだけ言ったのではなく、「降りて来る」ことを求めました。ザアカイは背が低くて…
祈るために神殿にやってきた2人の人物をたとえに、イエスは人間の取るべき態度について教えてくださいます。神の前に正しいと認められる態度を、たとえから学びなさいと言いたいのでしょう。たとえに登場する1人はファリサイ派の人です。彼は自分が、神の…
今週は、朗読された福音の結論部分を考えてみたいと思います。イエスはこう言いました。「(まして)神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁い…
今日イエスが語りかけるメッセージははっきりしています。「わたしは恵みを受けた」と気づくのはこの世で小さな人と思われている人たちだということです。イエスがここで言う「小さな人」は、「謙虚な人」に近い言い方です。そしてあとで考えてみたいのです…
今週の福音朗読は、節を補って考えたいと思います。17章3節と4節でイエスはこう言います。「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたの…
昨日9月29日、大変喜ばしい記者会見の場に立ち会うことができました。ペトロ岐部と187殉教者の列福式の正式発表です。夜のローカルニュースや今朝の新聞、あるいは朝のニュースで目にした人もいるかも知れません。来年の11月24日に、長崎で列福式が行われる…
この世の富の一つ、株のことから入りたいと思います。アメリカがくしゃみすると、世界中が風邪を引くのでしょうか。ニュースを何気なく聞いていると、アメリカで住宅ローンが焦げ付いて株価が下がると、あっという間に世界中の株価が同時に下がって、世界中…
私は、ようやく手に入れた物でさえもすぐに見失ってしまい、探した挙げ句にもう一度買い直すという情けない経験を何度かしています。その私が「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」のたとえを語るのは本来ふさわしくないのです。なぜ、「見失った1匹…
今日の福音朗読の中で、「もし・・ならば、わたしの弟子ではありえない」という言い回しが3回も出てきました。一つの話の中に、同じ言い回しを三回も繰り返すということは、大切な呼びかけがそこに含まれていると考えるべきです。また、ほかの方法はないよ…
先週から賄いさんが巡礼旅行に行ってしまい、掃除、洗濯、料理、転勤してすぐの頃のように自分でしなければならなくなりました。巡礼先で坂田さんはいったいどうしているでしょうか。グループ行動にちゃんと遅れずについて行っているでしょうか。前の人の服…
今日の話は、夏の思い出という感じで話してみたいと思います。かつて中学生が15人とか20人いた教会で、黙想会というかたちで休みに入る直前の第二土曜日と日曜日に一泊黙想会をしていました。とある年度の中学生黙想会の時も、開始日の午前中、その日の夕食…
「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」。イエスの言葉は、この先、きっとビックリするようなことを話すのだろうなあと感じさせます。私たち日本人は、火を「ものを清めたり」「不純なものを取り除いたり」「あっという間に焼き尽くしたり」する…
初めに、与えられた朗読箇所の少し前にエリザベトの取った態度を思い出しましょう。彼女は身ごもって、五か月の間身を隠していたことになっています(1・24)。その理由を想像するのはなかなか難しいですが、彼女の年齢からは考えられない体験を持って、その…
みなさんは、「合板」という言葉を聞いて、あー、あれのことかとすぐ思い付きますか。思い付かない人のために説明しておくと、一般にベニヤ板と言われているのが「合板」です。薄い板を何枚か縦横に接着剤で貼り合わせたものです。今日の福音を説明するため…
「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこの通りだ」(12・21)。イエスが話したたとえ話の結びの言葉です。私たちはこの言葉を、よく考えて自分に当てはめる必要があります。「自分のために富を積む」とはどういう態度か、「神の前に豊か…
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。今週の福音朗読のこの箇所から、神は必ず与えてくださるという信頼を深めるきっかけをつかみましょう。2つの、違った形で与えられた…
最近「カラダスキャン」という体重計を買いました。7千円くらいしました。それまでの体重計は980円でした。これまでのものは体重しか計ってくれませんでしたが、今回買った体重計は、体重、体脂肪率、基礎代謝、内臓脂肪レベル、骨格筋率、体の実年齢まで示…
今週の福音書の朗読箇所は「善いサマリア人」のたとえです。今年、初心に返って次の2つの言葉を比べながら糧を得ることにしました。比べたいのは、1つは「わたしの隣人とはだれですか」(10・29)という律法の専門家の言葉、もう1つは「行って、あなたも…
朗読された福音で、イエスは七十二人を選んで、先にお遣わしになりました。今日は、イエスに送られていく弟子の気持ちになって味わってみたいと思います。初めに、弟子たちの気持ちを探るいくつかのポイントを紹介しておきます。イエスは、送り出すに当たっ…
今日、二つのことを前置きとして話したいと思います。1つは、大浦教会で四人の中学生が合同堅信式に参加するということ、もう1つは、江袋教会の復元についてです。幼児洗礼を受けている中学生にとって大切な堅信式がやってきました。この場に中学生はいな…