年間第20主日(マタイ15:21-28)

「しかし、イエスは何もお答えにならなかった。」(15・23)異邦人であるカナンの女の切なる願いに、イエスは返事をしませんでした。イエスはカナンの女の覚悟を知りたかったのだと思います。今週わたしたちも、イエスに対する覚悟を問われていると思います。

田平教会に韓国の巡礼団が頻繁にやってきてミサをして帰って行かれることは皆さんもよく知っておられるかと思います。毎月5件とか10件とか、多いときはそれ以上、韓国巡礼団のミサが入ります。わたしが手数料を取れば、5年もあれば結構な金持ちになれるくらいおいでになっています。

巡礼ミサのほかにも、田平教会に問い合わせが多いのは撮影許可です。観光パンフレットのためとか、テレビ番組で紹介するとか、いろいろあります。その中に、「鉄川与助が手掛けた教会を大学の卒業論文に選んで研究しているので、撮影をお願いしたい」という依頼が混じっておりました。

はっきり記憶していませんが、いったんは「外観の撮影を許可します」と返事をしたのだと思います。ところがこの卒業論文に取り組んでいる学生から、内部の撮影がどうしても必要であると、切実な依頼文を添えて再度依頼が届いていたのです。

「自分は東北大学工学部の学生で、鉄川与助の手掛けた建築物にあしらわれている植物模様について研究しています。外観のみ撮影を許可しますという返事でしたが、鉄川与助が聖堂内あちこちにあしらった植物について調べるためには、どうしても内部の撮影に協力いただきたいのです。どうかよろしくお願いいたします。」

わたしは、それでも再度「内部の撮影は、これまで一度も許可しておりませんので」とお断りすることもできたと思います。けれども撮影依頼の文章の最後に、「もし撮影がかないませんなら、内部のスケッチを描かせてください」と書かれていまして、この学生の真剣な気持ちがよく伝わりました。

わたしたちにも恩恵をもたらしてくれる研究を、東北大学の研究生が取り組んでいる。スケッチだけでもさせてほしいという、その熱意に動かされまして、「主任司祭の立ち合いのもと、内部の撮影を許可します」と返事をしました。研究の成果が上がればいいなと思っております。

さて、説教を聞いている皆さんはうすうす気づいておられるかと思いますが、今話した出来事は、カナンの女の信仰の物語にうまく重なる出来事だといえます。鉄川与助の建築物の研究、それも卒業論文であるとは言え、わたしが断ればほかの教会にも依頼をかけているわけですから、それで済むかもしれません。

ですがこの学生は粘り強く交渉し、願いをかなえてもらう理由を見つけたのです。異邦人であるカナンの女性も、イエスから願いをかなえてもらう理由を見つけ出しました。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(15・27)

わたしは、この一連の流れをこのようにまとめてみました。異邦人のカナンの女性は娘を助けたい一心で願います。ただすべての願いが神の望みにかなうわけではないのです。そのことを十分わきまえたうえで、再度女性がイエスに願うと、イエスは答えてくださいました。「しかし」と繰り返した女性の願いは、いつしか神の望みにかなう願いへと変えられていき、「そこで」イエスは答えてくださったのです。

「しかし」が、「そこで」に変えられていく。聖書の中でイエスにもこの場面を見出すことができます。イエスは最後の時を迎えるにあたり、苦しみ悶えながら御父にこう言いました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26・39)

「過ぎ去らせてください」とは言ったものの、「しかし」もっと大切なことに立ち返ってもう一度御父に語りかけます。イエスにも、「しかし」から「そこで」に変えられる瞬間があったわけです。

わたしたちの信仰も同じことです。本来信仰は、「わたしはあなたを信じます」という生き方のはずなのに、いつの間にか一歩も引けない願いばかりになっていることがあります。一方的に願うばかりではいつまでたっても願いは聞き入れられません。

「しかし」といったん立ち止まるならば、声を上げる人の中で何かが変わっていき、神は「そこで」答えてくださるのです。「しかし」が、「そこで」に変えられていく。異邦人のカナンの女性がわたしたちに教えていることです。

信仰にかかわる事柄で「こうしてください」「こう思います」と断言することも確かにあります。そこに、「しかし、御旨が行われますように」と添えることを忘れないようにしたいものです。

いつでも、「しかし」と一歩引くことのできる信仰。「そこで」ようやく御父は望みのままに働くことができるようになり、神の国がすべての国、すべての民に広がっていきます。

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ちょっとひとやすみ
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▼暑さで頭が回らなかったか、それとも広島カープが立て続けに負けて血が上っていたか。録音ファイルに張り付けていたリンクが一か月前のままになっていた。ちょっとURLの間違いに気づく人なら自分で文字を書き換えて対応できたと思うが、大変申し訳なかった。
▼こう話してもわからない人のために。メルマガに、説教の録音を聞くためにクリックをうながす行があるはずだ。だがその行がうながす先が、7月19日のままになって配信され続けていたのである。
▼クリックする前に7月19日の部分を該当する日曜日に修正してクリックすれば実際には聞くことができたのだが、なかなかそこまで気づく人はいない。その点は申し訳なかったと思う。
▼ファイルリネームソフト。さまざまあると思うが、わたしは「お〜瑠璃ね〜む」というソフトを使っている。洒落の効いた名前が気に入っている。それはそうと、このソフトの思いがけない利用法を見つけた。
▼このソフトの「ファイル」の項目を見ると、「リストをCSV形式で保存」に関連した操作メニューが見つかる。すでにお分かりの方もいると思うが、ファイル名をリスト形式のテキストファイルでとることができたら、どんなにありがたいかと思っている人はいるに違いない。
▼少なくともわたしは、この操作ができるソフトを別に探したくらいだから、とても重宝している。膨大なファイルがパソコンに保存されていて、中には「どんな名前で保存したか」それすら思い出せないものもあるだろう。
▼探そうとしてパソコンの中をくまなく探すのも一苦労である。ときどきこの機能を利用してリストを作成しておけば、探すのも楽だし、不要なものを見つけて削除するときにも力を発揮するはずだ。
▼熱く語ったが、聖母被昇天を終えての話にしては、信心深くない話になってしまった。<<
† 神に感謝 †