待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)

待降節第3主日ヨハネの証しについてです。今回の説教を準備しながら、よく考えてみれば「証し」とはそういう意味なのだなと再認識しました。学びを皆さんと分かち合いたいと思います。

ひょっとしたら、この説教は二回目になっているかもしれません。もしかしたら今回が一回目で、二回目は後日かもしれません。あるいはその反対で、すでに一回「証し」ということで同じ話をしているかもしれません。もし今日が二回目であるなら、皆さんは説教の結論まで理解していることになります。

今週の福音朗読個所についていつも読んでいる解説書を読みながら、よく考えれば確かにそうだなと思ったのが「証し」についての考え方です。次のような説明が目に留まりました。

(中略)イエスが行った御父についての「証し」は福音として全世界に告げ知らされますが、その場合、イエス自身が拒絶されたように、宣教者も迫害にさらされることになります。そこで「証し」という言葉<マルテュリオン>は殉教を意味する言葉になってゆきます。

わたしたちがイエスについて証しするということは、最終的には命がかかっている、ということです。「あなたはわたしについて証しすることで、命を削ることになるかもしれない。もっと言うと、今この場でこの世の命を取り上げられることになるかもしれない。それでもわたしについて人々の前で証を立ててくれるか?」

ある人はこの問いから逃げ出してしまいます。「無理です。命までは懸けることはできません。」ある人はこれを受け入れます。「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(ルカ22・33)ある人は知らないうちに命を賭けてイエスを証しするのです。

三つの態度を示しましたが、良い悪いは別として、「逃げ出す」というのと「勇敢に証しする」というのは分かります。どちらも人間らしい姿だからです。しかしなぜある人々は、「知らないうちに命を懸けてイエスを証しする」ことになるのでしょうか。

わたしは、逃げ出すのと勇敢な証しと、どちらにも当てはまらない場面もあると思っています。イエスがカルワリオで十字架を担った時、あまりの重さに何度もお倒れになりました。その時、シモンという人に無理に十字架を担がせたという話があります(マタイ27章参照)。このキレネ人シモンは、逃げ出したわけでもなく、勇敢に身代わりになったのでもありませんが、イエスの十字架を刑場まで担ったのです。

シモンは、たまたま押し付けられて十字架を担ったかもしれません。けれども彼は、目に見える形でイエスの仲間であると証しした最初の人になったのです。強いられて十字架を担ったとは言え、担った十字架の意味と価値は変わらないわけです。

同じように、わたしたちの中には逃げ出しはしませんが完全な動機からではないわざがたくさんあると思います。病気をしたくて病気になったわけではないけれども、病気をイエス様の十字架に合わせて仕方なくささげた。道に迷って困っている人を、逃げるわけでもなく喜んで案内したのでもなく、通りがかったので仕方ないなぁと思いながら道案内してあげた。これくらいの話はいろいろあると思います。

喜んでした隣人愛であれば、誰かに話して喜び合うかもしれません。しかし仕方なくした隣人愛は、誰にも話すことなく、そのうち忘れてしまうかもしれません。本人が忘れる程度の奉仕ですが、神はそのわざを決して忘れず、あとで報いてくださるのではないでしょうか。

すると、しかたなく、命がけで苦しみをおささげするということもあり得る。そう考えます。「ほかの人はともかく、自分は命を削ってまでカトリック信者であることを証しすることはしない。」そう思っているかもしれません。ですが実際は、思いがけず救急車で病院に運び込まれ、もうこれ以上命を削れないというところまで仕方なく命を削って、苦しみをささげる。そういう人も案外いるのではないでしょうか。

命を削って、苦しみをイエス・キリストにささげる。逃げることもできず、さりとて英雄的な勇気を発揮してでもなく、仕方なくささげる。それでもその人がささげた証の意味と価値は、減らないのだと思います。イエスはその人のささげた苦しみを、尊いささげものとして受け入れてくださるはずです。

実はわたしも、この説教を10日前に書き上げました。13日(水)から15日(金)まで、親孝行旅行に行っていたからです。その前後も、教区広報委員会、マリア文庫、保育園のクリスマス会出席、母親の佐世保港までの見送りと、ほとんど時間がありませんでした。仕方なく、半ばいやいやながら、先々週に説教2週間分、詩編の解説2週間分、その他の仕事も2週間分こなして、出かけて行ったのです。

先々週準備したからと言って、この説教の意味と価値は下がらないと思います。皆さんは何事もなく説教を聞くことができたのですから、わたしが「あー、いやだなぁ」と思いながら準備したとしても、それでも証しはできたのです。多くの場合の証しは、このようにして成り立っているのではないでしょうか。

わたしたちは例外なく、証しする者として招かれています。洗礼を受けたとき、証しする預言者とされたのです。もちろんだれもが洗礼者ヨハネのように「燃えて輝くともし火」(ヨハネ5・35)ではないでしょう。仕方なく、渋々証しする人もいるでしょう。

それでも構いません。「光について証しをする」(1・8)洗礼者ヨハネの使命はわたしたちにもあります。最後はいのちを懸けた証し「殉教」すら、場合によっては自分に託されます。少なくとも、「知らず知らずのうちにささげるなら、わたしも手伝います。」これくらいの覚悟は持ちましょう。今週の決意として、パンとぶどう酒、献金の奉納と共にその決意をおささげしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼このメルマガが発行される頃には旅行からの帰りか。ブログなどの兼ね合いもあるので詳しくは言えないが、母親の希望にできるだけ沿った旅行日程を組んだ。だが返す返すも、12月に旅行したのは失敗だったと悔やんでいる。
平戸市田平町でさえ、日中の気温が7度、旅行先はおおよそ10度低いのだから、想像したくなくなるというものだ。最悪外回りはやめて、建物の中での見物と体験に切り替える場合も起こりうる。風邪ひいたり、しもやけになったり、高齢者となった母親だから心配はきりがない。
▼おそらく珍道中になるのだろう。わたしが旅行を組むと、必ず何かが起こって予定の変更が起こる。まぁ旅はそういうものなのだろうが、旅行はもう懲り懲りということにならないでほしいと願うばかりだ。
▼旅行ガイドを何度も読み返している。同じことをするにしても時間が経過すれば前回と同じというわけにはいかない。ハプニングも楽しみながら、母親のガイドを務めることにする。子供を旅行に連れて行くとき、親はいろんなことを想定したり準備したりするのだろうなぁ。
▼最後の荷造りに、タブレットを入れることにした。写真整理と、ブログ・Facebookの更新のためだ。日中は旅先の日程を優先して更新は難しいと思うが、夕食後にはぜひ何かしらの更新をしたいと思っている。果たして現地気温マイナスの雰囲気が伝わるだろうか。<<
† 神に感謝 †