年間第30主日(マタイ22:34-40)

「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」今週の福音朗読の答えがここにあります。わたしたちの生活も、この二つの掟に基づいているはずです。わたしは、神を愛する見えるしるしを、隣人を自分のように愛することで表すことができているでしょうか。

11月、いくつかの大事な予定が組まれています。2日(木)死者の日に田平教会の亡くなった方々のためにミサをします。田平教会は大きな家族なので、信徒の中からたくさんの修道者、司祭を輩出し、そのうちの何人かはすでに眠りについています。こうした聖職者、修道者の為にも合わせてお祈りしましょう。

5日(日)、わたしは郷里の鯛之浦教会に行って叙階25周年の感謝のミサをささげてきます。田平教会にも12人の主任司祭が与えられました。中には亡くなられた歴代主任司祭もいますので、その方々の為にも日を改めてお祈りしたいと思います。わたしは5日のミサで、司祭職という生き方は思い付かなかった人も多いかもしれないが、「いちばん偉い人」を目指しているなら、考えてみてほしいと話そうと思っています。

12日(日)女性の会のバザーがあります。午後からは生月「黒瀬の辻」殉教祭とこの教会に戻ってきて「鉄川與助の建てた教会」について鉄川進氏から講演をしていただきます。わたしたちがお世話になっているこの聖堂をもっと深く知り、大切に守っていくためのヒントをいただきたいと思います。

こうしてみると、わたしたちが神を礼拝し、神に感謝し、神に願うために、この教会堂は重要な役割を果たしていると思います。ほとんどの人は、洗礼を受けて永遠の命をいただくために、この教会堂のお世話になったわけです。

大人の信者になるための堅信の秘跡も、互いに愛と忠実を尽くすことを誓ったのも、教会堂の中においてです。「神を愛するのに建物は直接関係がない」と言えなくもないですが、わたしたちの身体は「祈りの為に建てられた家」と「生活のために建てられた家」とでは、「祈りの家」で祈るほうが、より祈りに入りやすいことを知っているわけです。

今週の福音朗読で、イエスは律法の専門家が仕掛ける新たな罠を見破ります。当時律法の専門家は書かれた掟のほかにも言い伝えとして受け継いだ掟があり、一つ残らず掟を守るのはほとんど不可能でした。その中で自分たちはすべての掟に背かず生きていることを誇りにして、他人を見下していたのでした。

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」(22・36)律法の専門家がイエスにこう尋ねたのは、答えを聞きたかったというよりも、どれか一つの掟を答えとして選んだ場合に、「この人は掟の一つは重要だと言ったが、ほかをないがしろにした」と言いがかりをつけるための落とし穴として尋ねたのです。巧妙な罠でした。

エスは彼らの罠を見破り、答えます。「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(22・40)たとえばそれは、ビーズ細工をつなぐ糸のようなものです。神を愛することと、隣人を自分のように愛することが掟を貫く糸であり、この糸を失ったら一つ一つの掟はバラバラになってしまうのです。

あるいはウイスキーの樽を縛っている「たが」のようなもので、「たが」が外れれば樽は形を保てないし、意味を為さないのです。掟を守ることが、神を愛し、隣人を自分のように愛することに結びつかなければ、意味を為さないのです。

教会には秘跡があります。神の目に見えない恵みを、目に見えるしるしによって与えてくれるものです。恵みは神が与えるのですから、人間の道具を必要としません。神はあえて、その恵みの中でも七つを、人間が感じることのできるしるしで用意してくださいました。わたしたちにとって、恵みをいただくのに「見えるしるし」は大いに役に立つのです。

わたしたち人間にとって、神を愛する目に見えるしるしは、「隣人を自分のように愛すること」です。隣人とは、まずはすぐそばにいる人です。わたしのすぐそばにいる人は誰でしょうか。その人と、どのような関係を築いているでしょうか。ここから考えて、各自それぞれの答えを見つけてほしいと思います。

もう一つの「すぐそば」についても言わせてください。11月12日、鉄川與助の思いを今に受け継ぐ鉄川進設計事務所の代表鉄川氏に講演をお願いしています。わたしたちが神を礼拝し、神に感謝をささげ、また願いを打ち明ける時、建物である聖堂が深くかかわっています。神は愛するが隣人は愛さない。そんな信仰が成り立たないのであれば、神を礼拝するが聖堂はどうでもよい。そんな礼拝も成り立たないのではないでしょうか。神を愛する、その目に見えるしるしが聖堂を愛することと言っては、言い過ぎでしょうか?

聖堂を愛するきっかけを得るためにも、12日の夕方5時からの講演会は、一人でも多く参加してほしいのです。わたしたちがより良い礼拝をささげるために、この田平教会聖堂の成り立ちを知り、どのようにかかわっていけばよいのかを学ぶのはとても良いことだと思います。

日頃、聖堂の内外清掃をわたしたちの手でしております。清掃を心掛けなくても礼拝は可能かもしれません。しかし、聖堂を完全に放置すれば、埃だらけ、カビだらけになり、神を礼拝するどころではなくなるのではないでしょうか。

わたしたちは体を持った存在で、礼拝も心だけで礼拝しているのではなく体である聖堂を使わせてもらっています。12日の講演がきっかけになって、「神を愛することは、聖堂を愛することと深くかかわっている」そう感じることができれば幸いです。

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ちょっとひとやすみ
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▼2週連続で台風が週末にやって来た。心配で船を見に行ったが、「台風のコースが東寄りなので、思ったよりは大丈夫だよ」と、お隣さんの漁師さんに声をかけてもらった。ただ、長く乗船していなかったツケが。
▼利用している船は「船内船外機」というタイプなのだが、プロペラ部分(いわゆる船外機)がチルトダウン(ボタン操作で海中に降ろす)できなくなっていた(泣)牡蠣がいっぱいついていたのでそのせいかと思ったが、結論から言うと違っていた。
▼不安材料が2つあったので、思い切ってエンジンを扱える人を紹介してもらった。オーバーヒートの問題、船外機部分のチルト操作の問題。すぐに機械屋さんが来てくれた。紹介してくれた教会の信徒もいっしょに見てくれて、診断と、これからの対処法を説明してもらった。
▼どうやら、処置を施せばまた海に出ることができるらしい。ありがたいことだ。また海の男になって、広い海原で次の一手を考える。そうして港に戻った時は新たなアイディアを引っ提げてみんなの舵取りができればと思っている。
▼診断とは別のこともその場で話題となった。船は停泊しているだけでは牡蠣がこびりつき、船は水の抵抗を受けて前に進みづらくなる。半年に一度とか、船を陸揚げして船底を洗い、ペンキを塗りなおす必要がある。この船は2年もその作業を怠っていて、「そんな船で海に出てるって?」と笑われた。

† 神に感謝 †