待降節第1主日(マルコ13:33-37)

主の降誕を迎える準備の季節、待降節がやって来ました。教会の暦「典礼暦」もB年に移行します。季節の切り替わり、暦の切り替わりに、第一に考えておくべきことを福音朗読から学ぶことにしましょう。

亡くなった川添神父様のことでもう一つ忘れられない思い出があります。わたしが浦上教会で五年川添神父様にお仕えした同じタイミングで、川添神父様も天草への転任を引き受けて行かれました。その後二度ほど直接訪ねて行きましたが、以後は年賀状のやり取りをするくらいで、それほど連絡を取り合ってはいませんでした。

川添神父様の年賀状は毎年俳句が書かれていて、いつも楽しみにしていました。ある年にいただいた年賀状は忘れられない年賀状となりました。その年は珍しく俳句は書かれていませんでしたが、次のような言葉が墨で書かれていました。「どこに行っても神父、どこにいても神父。」

とても考えさせられる言葉でした。ひょっとすると若い神父たちは、月曜日に休暇を取るときは神父を捨て去って外出しているかもしれません。わたしもご多分に漏れず、月曜日はテニスに釣りにと、神父であることなどみじんも感じさせない過ごし方でした。

その年賀状をいただいて、それまでの自分の時間の過ごし方を考え直したのです。もちろん月曜日に休暇を取ることは、土日にもっとも働く仕事なのですから誰もが理解してくれます。けれども川添神父様が年賀状で戒めてくれたように、「どこに行っても神父、どこにいても神父」であることを忘れてはいけないと思ったのです。どんなに夢中になっているときでも、信徒にお願いされたら自分の都合を横に置ける司祭であれよと、言っておられたのだと思います。

その川添神父様の戒めを、今週の福音朗読と照らし合わせて考えてみました。「気をつけて、目を覚ましていなさい。」(13・33)「いつ家の主人が帰って来るのか、(中略)あなたがたには分からないからである。」(13・35)亡くなった神父様の戒めに当てはめると、さしずめ「いつであっても神父、いくつになっても神父」というところでしょうか。

実際には、新米神父の時から徹底的に教え込まれていたことでした。浦上教会のすぐそばには長崎市内で一二を争う大きな病院である「長崎大学病院」があって、助任司祭たちは夜中だろうが何だろうが電話が鳴れば大学病院に駆け付け、病者の塗油を授けていました。ある時は交通事故で血だらけになっている人に、ある時は心臓が停止して、医者が心臓マッサージを懸命にして、それでも心臓が蘇生しないのを家族に説明している中で、授けることもありました。

前任地の時代には、ボートに乗っていてとある集落に救急車が駆けつける音が聞こえると、シーアンカーを上げて、いつでも帰ることができる態勢で様子を見守ることもありました。朝6時のミサ前にたたき起こされて救急病棟に行き、フラフラになって帰って朝ミサをすることもありました。

そうやって若い時から訓練を受けているのですが、それでも人間は弱いものです。今日は病人は出ないだろう。今日は告解人は来ないだろう。今日はミサを頼みに来る人はいないだろうと高をくくって、司祭館を留守にしたり、度を過ぎてお酒を飲んだり、いろんなことで「いつであっても神父、いくつになっても神父」を忘れてしまうのです。

徹底的にそのように教育されて最初の10年を過ごしてきたので、頭では分かっていたことですが、誰かに言われたことはありませんでした。最初にわたしの主任司祭となってくれた川添神父様だからこそ、わたしにあの言葉「どこに行っても神父、どこにいても神父」を贈ってくださったのだと思います。

さて、みなさんはどうでしょうか。与えられた福音朗読の結びに耳を傾けましょう。「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(13・37)皆さんにも、中田神父の体験は十分当てはまるのです。皆さんも、「どこに行ってもカトリック信者、どこにいてもカトリック信者」なのです。あるいは「いつであってもカトリック信者、いくつになってもカトリック信者」なのです。

たとえ話の中で僕たちはいつ主人が帰ってきても、主人の望み通りの働きぶりを示さなければなりません。「お前はどのように、主人であるわたしのために日々を過ごしていたか。」その答えを求められるのは夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころか、明け方か、分からないのです。

わたしたちも時には旅行に行くこともあるでしょう。旅行先でもわたしたちは神に問われるのです。「あなたはどのように、わたしを信じていることを明かししてくれるのか。」旅行先ではどう考えてもミサに行けないかもしれません。ミサに行けなくても、わたしはイエスの弟子であることを、違う形で示さなければなりません。

そうやってわたしたちは、目を覚ましている信者であり続けるのです。病院に長期入院している人は、ミサにあずかることなど不可能です。告解で「病院に入院していたのでミサに行けませんでした」と告白する人もいると思うのですが、その告白は何を言いたいのでしょうか。わたしはきっぱりと「だから何なのですか?」と聞き返します。入院中に自分にできることをして、イエスの弟子であることを証明すれば、それで十分ではないでしょうか。

わたしたちはみな「いつであってもキリスト者、いくつになってもキリスト者」なのです。いつ主であるイエスに働きぶりを報告せよと言われても答えられるキリスト者でありたいと思います。「眠っているキリスト者」すなわち「主人の帰りは遅い」と勝手に思い込んで自分の働きをおろそかにすることがあってはいけません。「どこに行っても、どこにいても」わたしたちはそれぞれの身分でイエスの弟子であることを証明する必要があるのです。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼どんなに恵まれているのだろうか。親子旅行の話をわがことのように思ってくれて、志をいただいた。ふだんから返せないほど恩を受けているが、いかに恵まれた環境に置いてもらっていることかと感謝の気持ちがあふれてきた。
▼「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」(使徒言行録3章6節)今の気持ちはそんな感じか。わたしは志をいただいて、この世の何かではお返しできないので、恩人のために祈りをささげる。祭壇の上で、教会の祈りの中で、もがきながら説教を用意することで。
▼最近パソコンの調子がひどい。ワードで作成した文書をクリックして開こうにも、忘れたころにならないと開いてくれない。じれったくなってもう一度クリックすると「すでに開こうとしています。さらに開きますか?」みたいなことを尋ねてくる。実際には最初にクリックした時点での文書も開ききってないのに、である。
▼昔はこんな時、「メモリの解放」とか、「背後で動作しているソフトを終了させる」など、分かりやすい対策があってそれで改善されたことが実感できた。今のOSは簡単にいじれない。ブラックボックス化されていて、小細工ができない。
▼それではと、パソコンを立ち上げずにiPadだけで仕事を続けるぞと宣言しても、これも三日坊主。残念ながらiPadオンリーでの司祭の働きは難しい。ホームページビルダーとか、それを補って余りあるものがあれば別だが、そうはいかない。
▼いよいよメインのパソコンはガラクタとなりつつある。2年しか働いていないのに!わたしにも原因がないわけではない。最初にパソコンの性能をケチったから。その時点での高性能パソコンを買わないと、向こう6年間の仕事には耐えられないことを身をもって知った。今度は予算に糸目をつけず、高性能パソコンを使い倒してやる。

† 神に感謝 †