2017-01-01から1年間の記事一覧

年間第12主日(マタイ10:26-33)

復活節の一連の祝祭日が終わって、年間の主日に移行しました。年間第12主日は恐れを持つ必要のある相手はこの世にはなく、むしろ神のみを恐れるべきであると招きます。わたしたちの心の持ち方をうながす大切な招きだと思います。この前、書留で印象深いミサ…

キリストの聖体(ヨハネ6:51-58)

キリストの聖体の祭日を迎えました。わたしたちが聖体を拝領する中で、神が御子を通して示そうとしている思いを学ぶ機会としましょう。キリストの聖体は心と体を養う糧です。心と体を神の思いに向けるヒントを得たいと思います。父の日を迎えました。中田神…

三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(3・16)わたしたちは主の昇天・聖霊降臨・三位一体・キリストの聖体・イエスのみ心と続く一連の祭日の期間を過ごしております。父と子と聖霊の三位一体の神をたたえる祭日にあたり、今年は聖霊…

聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)

聖霊降臨の主日を迎えました。聖霊を思い巡らすことは神の思いに心を向けることです。神の思いに目を向け、わたしたちにどんな生き方が期待されているか、考えてみましょう。先週の司祭叙階25周年の記念ミサと祝賀会にはたくさんの方々に温かい言葉をかけて…

主の昇天(マタイ28:16-20)

主の昇天の祭日を迎えました。イエスと弟子たちの関わり方が決定的に変わるのが主の昇天の出来事だと考えています。イエスと弟子たちの関わり方は、イエスとわたしたちの関わり方にも通じています。わたしたちがこれからどのようにイエスに関わって生きてい…

復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)

復活したイエスは四十日にわたり弟子たちに現れ、その後天に上げられたと教会は教えます。今週は復活節第6主日、いよいよ父なる神のもとに帰るにあたり弟子たちを励ます言葉が聞こえます。わたしたちも復活したイエスがより身近に感じられるきっかけをつかみ…

復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)

今年の復活節第5主日は5月の第2日曜日、母の日と重なりました。読み上げられた福音朗読の中から、「こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(14・3)を取り上げてみたいと思います。イエスさまは父である神さまのもとへ行く時が近づい…

復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)

2泊3日のお休みをいただきました。ソウル大司教区の司教座聖堂明洞聖堂を訪問してきました。縦が100m横が30mはあったと思います。この聖堂でしばらく今週復活節第4主日の説教案を考えてみました。さて今週お願いされているミサの中で、育成会がお願いした…

復活節第3主日(ルカ24:13-35)

復活節第3主日A年は復活したイエスがエマオで現れる場面が取り上げられます。「そして時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。」(24・33-34)復活したイエスが、同…

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

「神のいつくしみの主日」を迎えました。一年前の「神のいつくしみの主日」が前任地での最後の日曜日でした。残りわずかとなった日々を惜しみながら説教台に立ったのを思い出します。今年は、去年とは違った学びを見つけました。さて今年の初めあたりから、…

復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)

あらためて主のご復活おめでとうございます。本日の福音朗読の中から、「先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」(20・8)という部分を、徹夜祭に引き続き行われている今日の洗礼式に結びつけて話したいと思います。福音朗読は、主の復活…

復活徹夜祭(マタイ28:1-10)

主の復活、おめでとうございます。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」(28・7)弟子たちは復活したイエスと、ガリラヤで再開することになります。ガリラヤにこだわって、今年の復活…

聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)

今年の聖金曜日受難の朗読の中で、「成し遂げられた」というイエスの言葉が印象に残りました。聖木曜日、弟子たちとの最後の晩餐の中で、ご自分のそばにおいて大切に育ててきた弟子たちに、イエスはご自分を食べ物として与えてくださいました。今日の聖金曜…

聖木曜日(ヨハネ13:1-15)

聖なる三日間が始まります。主イエスの過ぎ越しの神秘を、聖なる三日間を通してわたしたちも体験することにしましょう。福音朗読は最後の晩餐の途中、弟子たちの足を洗うという場面でした。最後の晩餐にちなんで、食事について思い出すことから少し話したい…

受難の主日(マタイ27:11-54)

受難の主日、聖なる一週間を迎えました。この一週間で、一年分の恵みをいただくようなつもりで過ごしていきましょう。「受難の朗読」について少し説明したいと思います。受難朗読は、古くから聖金曜日の主の受難の記念祭儀に行われていました。きょうの主日…

四旬節第5主日(ヨハネ11:1-45)

四旬節第5主日A年に朗読された箇所は、「ラザロの死」に始まり、「ラザロを生き返らせる」物語で頂点を迎えます。ヨハネ福音書の中でイエスがことばとしるしでもってご自分が誰であるかを教える前半部の総まとめでもあります。わたしたちも四旬節を過ごして…

四旬節第4主日(ヨハネ9:1-41)

四旬節第4主日は洗礼の準備をしている志願者がおられる教会はそのための典礼を行うことになっています。わたしたちの教会にも洗礼志願者がいます。少し洗礼の準備のことと重ねて、今週の福音朗読を考えることにしましょう。いよいよ黙想会が始まります。赴任…

四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)

今週の福音朗読はサマリアの婦人との対話です。イエスが言われた「水を飲ませてください」という呼びかけに注目して今週の糧を得ることにしましょう。わたしの父の話を少しさせてください。わたしの小学生時代、父はまだ遠洋漁業の船に乗っていました。後に…

四旬節第2主日(マタイ17:1-9)

四旬節第2主日は主の変容を朗読に取り上げて、わたしたちを「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(17・5)と招きます。イエスの声に聞き従うとはどういう生き方を指すのか、考えてみましょう。3月12日、51歳の誕生日を迎えました。日…

四旬節第1主日(マタイ4:1-11)

四旬節に入りました。最後の晩餐、ご受難、ご復活に向かって、節制と償い、愛のわざにいそしみながら日々を過ごしてまいりましょう。四旬節第1主日にあたり、イエスは悪魔の誘惑を退け、「ただ一つの道」を示し、御みずから先頭に立ってその道を歩みます。そ…

年間第8主日(マタイ6:24-34)

降誕節から四旬節までをつなぐ年間の主日も、年間第8主日で終わります。今週の水曜日は四旬節の開始となる「灰の水曜日」です。イエスは「思い悩むな」(6・25)と呼びかけていますから、心の整理を付ける何かをつかんで持ち帰ることにしましょう。さて、来…

年間第7主日(マタイ5:38-48)

今週、すなわち年間第7主日A年に与えられた福音朗読は、堅信の秘跡を今まさに受けようとしている子供たちに向けて考えるとよいのではないかと思いました。一緒に学びを得て、直前の準備に充てることにしましょう。それにしても、堅信組のテストの結果は意…

年間第6主日(マタイ5:17-37)

年間第6主日の福音朗読は律法に目を向けさせる招きです。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(5・17)しかし律法に固執したり、しがみついたりしなさいと言っているわけで…

年間第5主日(マタイ5:13-16)

「山の上にある町は、隠れることができない。」(5・14)年間第5主日でイエスが思い描いたのはエルサレムの町かもしれません。エルサレムは標高800mの小高い丘の上にあるので、イエスの考えていた町にうまく合致します。このエルサレムの町に、イエスは何を…

年間第4主日(マタイ5:1-12a)

年間第4主日、今週選ばれた福音朗読箇所は「山上の説教」です。今耳を傾けたイエスの招きが、自分の生活にどうすれば当てはまるのか考えてみましょう。あわせて、わたしが出会う人に、この招きを語って聞かせることができるか、考えてみましょう。今週の福…

年間第3主日(マタイ4:12-23)

年間第3主日、イエスがガリラヤで伝道を始める場面が朗読されました。イエスは「ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」(4・13)とあります。せっかくイスラエル巡礼をしてきたのですから、カファルナウム…

年間第2主日(ヨハネ1:29-34)

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(1・29)洗礼者ヨハネは、目の前においでになったイエスを見て、自分はこの方がイスラエルに現れるために、呼び出され、使命を授かり、悔い改めの洗礼を授けているのだと証言しました。「わたしはこの方を知らなかっ…

主の公現(マタイ2:1-12)

過越の神秘の祭儀に次いで教会がおこなってきた最古の祭儀は、主の降誕の記念と、主の初期の公現の追憶です。日本では主の公現の祭日は1月2日から8日の間の主日に祝われます。ついでですが、主の洗礼の祝日は主の公現の祭日直後の主日に祝われますが、主…

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)

神の母聖マリアの守るべき大祝日を迎えました。カトリック教会は、神の母聖マリアに、新年のスタートを大切にする日本と日本の教会をゆだねようとしているのかもしれません。2017年を、どのように過ごせばよいのか、マリアの模範を仰ぐことにしましょう。皆…