年間第5主日(マルコ1:29-39)

年間第5主日に朗読されるイエスの活動は、時間に縛られず、場所も多岐にわたり、精力的に活動する様子が描かれています。イエスの宣教に触れた人々の中で、シモンのしゅうとめが目を惹きます。この、シモンのしゅうとめから今週の学びを得ることにしましょう。

いよいよ今週10日(火)から12日(木)にかけて、徒歩巡礼を実行に移します。去年、大浦天主堂から福岡の今村教会に向けて歩きましたが、今年はその折り返し、今村教会から大浦天主堂を目指して3日間歩きます。今、日程とコースを発表しました。「いつ巡礼に行くのですか」「どこを巡礼するのですか」とミサの帰りに聞かないでください。

徒歩巡礼ですから、もちろん先人たちの思いを反芻しながら巡礼するのですが、今年は他にもいろんな思いを胸に秘めて巡礼しようと思っています。一人の女性は手術を控えています。術後の経過によっては生活が一変するかもしれません。その人のことを少し思いながら巡礼しようと思います。また一人の男性は心を病んでしまっています。その人の重荷が少しでも軽くなるために、巡礼の労苦を神さまにささげようと思います。「巡礼の苦労に勇気づけられる人がいるかもしれない。」この思いを胸に、徒歩巡礼に行ってまいります。

福音朗読は、先週の朗読個所とつなげて見渡すと福音記者の伝えたいことがより鮮明になると思います。先週は会堂でイエスが宣教する姿が描かれていました。今週の朗読個所は、この会堂を出たところから始まります。

「すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。」(1・29)となっています。ここから翌朝までの出来事が今週の朗読箇所ですが、実に精力的に働いておられます。日中の2つの場面に続き、夕方になると、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を家の戸口に連れてきました。さらに朝早くまだ暗いうちに、イエスは人里離れた所へ出て行き、祈っておられます。

ここまで整理すると、イエスは昼間会堂で宣教し汚れた霊を追い出し、シモンとアンデレの家に行ってシモンのしゅうとめの熱を去らせ、夕方には病人や悪霊に取りつかれた者を家の戸口でいやし、朝からは人里離れた場所で祈って、次なる宣教の場所へ赴いています。活動の場所も多岐にわたり、時間も日中、夕方、朝早くと、それこそ食事をする暇も、寝る間も惜しんで宣教しておられるのが分かります。

寝る間も惜しんで宣教するイエスに、人々はどのように反応したのでしょうか。今週の朗読では、人々のさまざまな反応は見当たらず、ただ一つだけ、シモンのしゅうとめが熱に悩まされているのを解放してもらうと、「彼女は一同をもてなした」(1・31)とあります。

今週の朗読個所に限っても、病気をいやされた人はきっとたくさんいたはずです。けれどもその人々の反応は記録されていません。どのような事情だったのか分かりませんが、シモンのしゅうとめの反応が唯一の手掛かりです。彼女の一同をもてなす姿から、何を学べばよいでしょうか。

シモンのしゅうとめのもてなしは、日常の務めを超える奉仕です。まずわたしたちに、自分のことだけで手いっぱいになっていないか、考えさせていると思います。

ちょうどわたしも、徒歩巡礼に向けてのトレーニングをしながら同じようなことを考えました。徒歩巡礼は、1日約7時間歩いて、それが3日間続く行程です。1日7時間とられると、ほとんど何もする時間はないなぁとつい考えがちです。

けれども、1日は24時間あるのだし、6時間睡眠を取れば残り18時間です。そこから徒歩巡礼のために8時間引いたとしても、それでもなお10時間残るのです。食事のために3時間引いたとしても残り7時間です。これはつまり、通常と違う働きを8時間果たしたとしても、それでも10時間は自分のための時間が残るということです。

そこからもう少し考えると、自分の生活で手いっぱいと考えている人にとっても、どこかに時間がないか考え直す余地がまだあるということです。イエスと行動を共にしている弟子たちのように直接的に宣教活動にかかわることも可能だし、シモンのしゅうとめのように弟子たちをもてなす奉仕活動や隣人愛の実践といったことや祈りの集いに参加することなど、宣教活動を支えることも可能です。

もし、だれもが「自分たちはみな、通常の生活の上にさらに何時間かイエスの宣教活動のお役に立てる時間を持っている」と考えてくれるようになれば、今の時代にもイエスはわたしたちを使って存分に宣教の実りを生むことができるのだと思います。

いつも決まった人がとか、限られた何人かがイエスのためにも時間を使えますと言っているのではなくて、だれでも名乗りを上げる。そのような教会家族であれば素晴らしいと思います。シモンのしゅうとめの姿は、イエスによって喜びを味わった人はだれでも、もてなす人になれるのですよと訴えかけているのではないでしょうか。

エスは場所を選ばず、昼夜を問わず、あらゆる形で宣教し続けます。そのためにわたしたちの協力を必要としています。わたしたちのうち何人かだけが「教会のために働いてもいですよ、イエスさまのために働けますよ」と名乗りを上げるのではなく、だれもが声を上げる、そういう小教区となるよう願っていきましょう。わたしたちはだれもが、イエスに手を貸す人、もてなす人なのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼今年もいよいよ徒歩巡礼に行くことになった。期間は10日(火)から12日(木)の3日間。去年、大浦天主堂から今村教会に向けて歩いたので、今年はその折り返しのコース。言ってみれば、去年片道しか歩いていないので、今年折り返して完成ということだ。
▼去年の話を覚えていない人も何人かはいるかもしれない。その方々はブログ「こうじ神父今週の説教」(http://blog.goo.ne.jp/knkouji)2013年12月15日の分を読み返して、それからまた戻ってきてほしい。繰り返すのが面倒だ。
▼そうは言ってみたものの「ひとでなし」と言われそうなので「話の森」ホームページ右上の部分に今村の信徒発見についてまとめてくれた先輩の記事を転載しておく。これを読めば当時の事情が詳しくわかる。この出来事に触発されて、巡礼を志したということだ。
▼お世話になる2つの教会の神父さまに連絡を取った。出発地点の教会である今村教会の主任神父さま。今村教会の現在の主任神父さまはかつて学生時代に教会司牧実習で1年お世話になったことがある。快く受け入れてくださったので力を得て徒歩巡礼を開始できそうだ。
▼もう1人の教会は諫早教会の主任神父さま。今村→佐賀→諫早と歩いて、2日目の夕方にミサをさせてもらうことになっている。「歓迎します」と二つ返事をもらった。大先輩であるが、気さくに申し出を受けてくださり、ホッとしている。
▼翌3日目は、大浦天主堂でミサをささげるのが理想的だが、わたしは自分の小教区の巡回教会である福見教会に急いで戻り、ミサをささげようと思っている。子供たちが待っている。子供たちに「たった今歩き終わったよ」と報告できる。ちょっと威張れる。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===