四旬節第1主日(マルコ1:12-15)

四旬節主日に入りました。イエスは荒れ野でサタンの誘惑を受けます。同時に天使がイエスに仕える中で、イエスは荒れ野での誘惑を退け、ガリラヤに行って神の福音を宣べ伝えました。どのような誘惑を受けても最後は福音を宣べ伝えるイエスの姿に、四旬節を過ごす心構えを学びとりましょう。

地域の皆さんは福見修道院のシスター岩谷チズコさんをよくご存知でしょう。木曜日、脳梗塞の症状が出て朝4時半に上五島病院に救急搬送されました。わたしにも連絡が入ったので、朝ミサの時間を気にしながら上五島病院に駆けつけ、病者の塗油を授けました。

ただ、脳内には多量の出血があったようで、処置を受けたものの土曜日朝お亡くなりになりました。日曜夜6時から修道院で通夜、翌月曜日11時から福見教会で葬儀ミサです。お祈りください。わたしも何かを話さなければなりませんので、これから考えてみたいと思います。

福音はとても短い語りの中で、イエスが受けた誘惑とガリラヤでの伝道の様子を伝えます。同じ出来事を伝えるマタイやルカは、誘惑の具体的な内容や、どのようにサタンに立ち向かったかを述べていますが、マルコは具体的な内容には触れません。この世にあってはイエスさえも誘惑にさらされる。そのことは折り込み済みなので、もっとその先、誘惑を乗り越えたイエスに注目させようとしているのだと思います。

では誘惑を退けたイエスの次の行動とは何でしょうか。それは、神の福音を宣べ伝えたということです。こうしてイエスはわたしたちに、誘惑にさらされることはこの世では避けられないが、その先の神の福音を宣べ伝えることに、いつも心を向けて生活を整えなさいと呼びかけているのです。

それでも、ある疑問が残るでしょう。「誘惑を乗り越えた先の宣教は理解できるが、誘惑をそう簡単に乗り越えられるだろうか。」サタンと呼ばれる悪霊は、人間よりも知恵と力に勝る霊です。誘惑をそんなにたやすく乗り越えられるものでしょうか。

この疑問には次のように答えたいと思います。イエスは40日間、荒れ野で誘惑を受けました。このイエスの40日間は、40年の荒れ野でのイスラエルの民の試練を暗示していると思います。また、当時は40年という期間はほぼ人間の一生をも表すほど長い期間だったでしょう。

ですから、イエスが40日間荒れ野で誘惑を受けていたあいだ天使がそばで仕えていたように、わたしたちが誘惑を受けるとき、イエスがそばにいて誘惑を乗り越えさせてくれるはずです。それは短期間ではなく、人間の一生に渡ってイエスは誘惑に立ち向かうわたしたちを守ってくださるということです。

わたしたちのちっぽけな力では、強大な悪の誘惑に打ち勝つことは不可能でしょう。しかし、イエスが常にそばにいて守ってくれます。そして誘惑を乗り越えて、神の福音を宣べ伝える者としてくださるのです。

では、何を宣べ伝えればよいのでしょうか。宣教は、何かを伝えるということの前に、生き方そのものだとわたしは思っています。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1・15)このイエスの宣教の第一声に従い、わたしたちが悔い改めること、福音を信じた生き方に留まることがわたしたちにできる宣教ではないでしょうか。

たとえば、徴税人のマタイはイエスの声に従い、弟子となりました。ユダヤを支配するローマ帝国への税金として徴収したお金を数える生き方から、イエスに聞き従うことを中心に据える生き方に切り替わったのです。わたしたちも大なり小なり、お金を数えて生きる生き方をしています。わたしたちが大胆に、イエスに聞き従うことを中心に据えて生きる人に変われば、それは社会に対して大きな宣教になるわけです。

ナタナエルという人は、フィリポにイエスを紹介されて「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1・46)と言いました。ナタナエルはイエスに出会い、すっかり変わりました。出身地や、性別や、人種や身分の違いに左右されず、イエスをすべて信じ、受け入れる人に変わったのです。

エスを証しするのに十字架上の死はわたしたちにとって抵抗があるかもしれません。しかし人間的な思いを捨てて、大胆にイエスのありのままを語る人に変われば、大きな宣教ができるのです。

長い人生のさまざまな場面で、わたしたちは神に敵対する勢力の誘惑にさらされています。イエスが共にいて、誘惑に打ち勝つことができるように守ってくださると信じて、目の前の誘惑に振り回されず、むしろ大胆に自分の生き方を証しに変えましょう。

「わたしは、イエスを中心に据えて生きます。」この証しがあれば、難しい言葉がなくても誰もがイエスの弟子、宣教の担い手となれるのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼先週は大見え切ったが、一つだけズルイことをしたので謝っておきたい。徒歩巡礼をした相方と、2日目から車でバックアップしてくれることになった後輩司祭、ほか多少なりとも関係する人たちが今週の「ちょっとひとやすみ」を読んでいないことを願いたいが、2日目のコースでは姑息なまねををした。
▼「今村巡礼折り返しコース」の2日目は、厳密には平良町多良駅から諫早市(ホテル)の約34kmである。だが初日で相方がリタイアし、正直わたしの気持ちは折れていた。このまま先のルートをまともに歩いたら、この日予定していた午後5時半の諫早教会でのミサに間に合わないのではないかと心配になったのである。
▼そこで一計を案じた。車でバックアップしてくれる後輩司祭が、わたしと、リタイアすることになった司祭を乗せ、宿泊した佐賀駅隣のホテルから平良町多良駅まで運んでくれた(後輩が車でのバックアップを引き受けてくれたのでこの移動が実現したが、もともとこの区間はJRで繋ぐ予定だった)。
多良駅到着は8時15分。2日目から車でバックアップしてくれた後輩と、リタイアし、その車に乗って長崎に帰る後輩を見送れば、本来ここから歩き始めなければならないわけだ。だがわたしは前の晩に下調べをし、「9時4分にやって来る各駅停車で次の肥前大浦駅まで乗り継ぎ、そこから歩こう」と前もって決めていたのである。
多良駅から肥前大浦駅は一区間に過ぎないが8kmある。2時間弱の計算だ。本来8時15分に徒歩でスタートすれば、肥前大浦駅付近を10時頃通過することになる。1時間遅れの9時4分、誘惑する電車が到着した。ためらうことも恥じることもなく切符を買い、一区間乗車した。肥前大浦到着が9時17分。瞬間移動して約45分稼いだ形だ。これでこの先の徒歩巡礼にもかなり余裕が持てるようになった。
肥前大浦駅から歩きだして、午前11時に去年の「大浦天主堂→今村天主堂コース」2日目にちゃんぽんを食べた店を通過した。うまいちゃんぽんの記憶がよみがえったが、残念ながらまだお腹が空いていない。そりゃそうだろう。泣く泣く先を急いでいると、11時半頃に予期せぬことが起きた。朝から車でのバックアップに回ってくれていた後輩司祭が、自分の進行方向に立って待ち構えているではないか。
▼わたしは心臓が飛び出るくらいに驚いた。8時15分に「じゃあな」と見送り、それから小一時間潰して9時4分JRに乗ったのがバレたかと思ったからである。そんなことを知る由もないバックアップの後輩司祭から痛いところを突かれた。「先輩えらい早かったですねー。12時頃に去年のちゃんぽん屋あたりでちょうど合流かなと思って様子を見に来たら、ずいぶん進んでるじゃないですかー。」
▼『お、おー。かなりペースを上げたからなぁ。11時に例のちゃんぽん屋を通過したけど、まだお腹すいてなかったからやり過ごしちまったよ(汗)』「先輩そろそろ12時ですよ。少し先に別のちゃんぽん屋があるので、そこで一緒に食べましょう。先に行って待ってます。」『そ、そうだな。そうするか(大汗)』さらに1km進み、指定された別のちゃんぽん屋で合流、ちゃんぽんを食べたが、さすがにほとんど食べた気がしなかった。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===