復活節第3主日(ルカ24:13-35)

復活節第3主日A年は復活したイエスがエマオで現れる場面が取り上げられます。「そして時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。」(24・33-34)復活したイエスが、同じ時に別の場所に現れたことについて、真剣に考えてみたいと思います。

咳がなかなか収まらず、ご心配をかけております。月曜日に漁船で海に繰り出したのですが、船に乗っているあいだは一度も咳をしませんでした。ですからこれからしばらく、海に船を浮かべて生活をしてみます。用事がある時は司祭館をピンポン鳴らすのではなくて、丘の上から、わたしの船に向かって手旗信号を送ってください。よろしくお願いします。

育成会と女性の会で、ステキなお話が持ち上がっています。5月6日繰り上げのミサと、7日9時のミサで、こどもの日を迎えた小学生中学生に、女性の会からプレゼントを用意してくださるそうです。もちろん、ミサに来てくれた小学生中学生というのが条件です。女性の会からの真心、とてもありがたいなぁと思っています。

育成会も、子供たちのために同じく6日繰り上げのミサと7日9時のミサで、子供のためにミサをささげてくださるそうです。このような取り組みは、女性の会にとっても、育成会にとっても、胸を張って誇ることができるものだと思います。

ここから先の話は、内緒の話なのですが、こどもたちもお母さんのために動き出しています。こどもたちのプレゼントを受け取るために、すべてのお母さんは母の日の繰り上げミサと2番ミサのどちらかにおいでください。

福音朗読に戻りましょう。復活したイエスはエマオに向かっている弟子に現れましたが、この弟子たちは復活したイエスになかなか気づきません。最終的にどうやって気付くかというと、イエスが「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」(24・27)このあたりから何かを感じ始め、「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」ここに至ってようやく「二人の目が開け、イエスだと分かった」(24・31)のでした。

何となく皆さんもお気づきになっていると思いますが、イエスが聖書を解き明かしてくださり、パンを裂いてお渡しになるというのは、これはミサのことを言っているわけです。エマオに向かう弟子たちと道すがら話したり話しかけられたりしているあいだは気付かなくて、ミサの原型と言えるような動作に至ってようやく復活したイエスに出会っていると実感したのです。

さてここで問題となるのは、どのようにして復活したイエスは同じ時間に別の場所で現れることができるのでしょうか。答えは意外と簡単かもしれません。イエスが聖書を解き明かし、パンを裂いてくださるとき、同じ時間に別の場所で、復活したイエスは現れてくださるのです。

イスラエルから帰国の途に着いて、いったんインチョン空港に降り立ちました。どこかで時計を日本の時間に合わせなければならなかったのですが、面白いことに韓国と日本は時差がないので、韓国で時計を合わせれば、そのまま日本に降り立った時には時計合わせが要らないのでした。

このことをあとで次のように考えました。わたしたちは朝のミサをしばしば朝6時にささげています。おそらく韓国でも似たような時間でささげているでしょう。そしてわたしたちが習った教えによると、ミサがささげられるとき、イエス・キリストはパンとぶどう酒のもとに実際においでになると理解し、信じています。

当然それは韓国でも同じことでしょう。するとイエスは、何の矛盾もなく、朝の6時にささげられているミサの中で、日本においても韓国においても、同時に現存しておられるのです。むしろ復活したイエスでなければ、同じ時間に別の場所に存在することは考えられません。復活の出来事を信じているわたしたちは、聖書を読み解き、パンを裂いて祝う主の過越の中で、同じ時、別々の場所でイエスを囲むのです。

もう一つ、考えなければなりません。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(24・32)この弟子たちの言葉を見落としてはいけないと思います。ミサに集まり、みことばを解き明かしてもらい、パンを裂いてくださるイエスに、わたしたちの心は燃えているのでしょうか。

復活したイエスに燃えるともし火をいただいた弟子たちは、時を移さず出発して、復活の喜びを告げ知らせています。わたしたちが朝のミサに集い、本当にイエスに燃えるともし火をいただいたなら、その日一日のどこかで、燃えるともし火を誰かに示し、分かち合う必要があるのです。

復活したイエスは、同じ時、別の場所で、ご自分のもとに集まるすべての人に聖書を解き明かし、パンを裂いてくださいます。田平教会で平日のミサにあずかる人は、残念ながら上五島の一般的な平日のミサよりも少ないです。もし、朝から新聞を待ってすでに起きているような人がいるなら、新聞に目を光らせる前に、ミサにおいでになってみことばに照らされ、聖体に養われてほしいのです。

平日のミサ、復活したイエスは誰よりも、何よりもわたしたちを燃やしてくださいます。田平教会献堂百周年に向けて、同じ時間に別の場所で同時に現れる復活した主に出会い、一日を始める。そんな田平教会の信者が、もう少し増える2017年であればと願っています。

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ちょっとひとやすみ
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▼スーツケース。長く使っているとキャスターに問題が生じる。「安物」だからなのかもしれないが、わたしのスーツケースのキャスターは摩耗して、まっすぐ引くことができなくなってしまった。
▼思う方向に素直に引けないスーツケースほど、旅行中に迷惑なものはない。それでネットで調べたら、案外修理キットも豊富に売られていて、自分でキャスターを付け替える強者もいることが分かった。
▼そこでわたしも修理キットを買い、自前でキャスターを付け替えることに。まずは摩耗したキャスターを取り外すために、キャスターを固定している金属棒を切断する。水道工事業者が塩化ビニールのパイプを切断するのに使うような金鋸を手に入れてギコギコし始める。
▼あまり実感はないが、それでも5分ほどするとストンと車軸が切断された。軸を引き抜き、キャスターも取り外す。もう片方も同じようにして取り外す。ここまで15分くらいか。
▼次に、新しく買ったキャスターをセット。大きさが心配だったが、大丈夫のようだ。説明書に沿って六角レンチでねじを締めると、おお、うまく付け替え完了!こうして裏返しにすると修理していないキャスターと不揃いな感じもするが、通常の持ち方になれば何も不自由はない。
▼しかし、勘のいい人はこう思うだろう。「キャスターの修理をするということは、どこかに行くということだろうか?」恐らくそういうことだろうねぇ(笑)

† 神に感謝 †