年間第7主日(マタイ5:38-48)

今週、すなわち年間第7主日A年に与えられた福音朗読は、堅信の秘跡を今まさに受けようとしている子供たちに向けて考えるとよいのではないかと思いました。一緒に学びを得て、直前の準備に充てることにしましょう。

それにしても、堅信組のテストの結果は意外でした。楽々と合格点をクリアできると思っていたのですが、5人の受堅者のうち1人しか、合格点の160点を超えてなかったのです。1人合格したと言っても160点ちょうどでした。

もちろん補修の課題を与えまして、紐差教会での最終チェックに答えることができないと分かれば、躊躇せず席を外れてもらいますと伝えております。2ヶ月の猶予を与えて試験問題と解答を両方配っているわけですから、わたしの要求はそんなに厳しいとは思っていません。皆さんはどうお考えでしょうか。

中には、同情してあげたいなぁと思うような回答もありました。「叙階の秘跡」についての問題で、「司教は、自分の協力者としてふさわしい(男性の信徒)を司祭に叙階します。」という問題がありまして、「男性の信徒」という部分が空欄となっていますから、すでに配った解答の通りに「自分の協力者としてふさわしい(男性の信徒)を司祭に叙階します」と答えればよいわけです。ところが5人のうち2人が、「自分の協力者としてふさわしい(助祭)を司祭に叙階します」と答えていたのです。

まぁ、間違いとは言えませんが、女性の信徒ではなく男性の信徒ですよ、ということを問うている問題なのです。解答に(男性の信徒)と書いてあるのを(助祭)となぜ書いたのか、田平教会ならではの事情があったのか、頭を抱えてしまいました。けっきょく(助祭)と書いた子には、半分だけ点数をあげました。

福音朗読に入りましょう。「復讐してはならない」という勧めと「敵を愛しなさい」という勧めが語られています。イエスはどちらについても「これまでの言い伝え以上の実践」を求めています。なぜなら、先週の福音朗読で考えたように、イエスは律法を「廃止するためではなく、完成するために来た」からです。

エスは律法を通して神が本来求めていることを明らかにしました。当時の宗教指導者も一般のユダヤ人も、律法に書かれてあることは理解しましたし実行しようとしましたが、律法を通して神が期待していることが分かるためにはイエス・キリストの照らしが必要だったわけです。

エスが律法の精神を明らかにし、律法を完成させてくださいました。神は律法を、そこから一歩も離れず、右にも左にもそれなければよいと思って与えたのではありませんでした。律法は人がより自由に、活発に神を賛美し、神の喜ぶ生活をするように促している。そのことをイエスが明らかにされたのです。

堅信の秘跡を受ける中学生も同じことを考えるべきです。祈りの試験の中で天主の十戒を暗記しました。たとえば「第七なんじ盗むなかれ」と、すらすら言えたと思います。「盗んではいけない」と命じられたのだから、物を隠したりしてイジメても掟に反しないと、悪意を持って受け取ってはいけません。イエスはそのために、「これまでの言い伝え以上の実践」を求めているのです。

友達が必要な時に物が見つからなかった。もし原因を作ったのがあなたであるなら、あなたは「第七なんじ盗むなかれ」という掟が求めている神の望みに反しているのです。言い伝え以上の実践を、イエスはお手本をもって示し、わたしたちにも同じようにしなさいと招いているのです。

わたしは、天主の十戒に文字通り書かれているそれ以上の実践をできるでしょうか。だれかが知り合いが友達のものを隠してイジメている。もしそのことに気づいても、関わらないなら「盗むなかれ」という掟には反していないでしょう。何もしなくても、掟から外れていないかもしれません。

けれどもイエスは、「掟を通して神が本来求めているのは、困っている友達を助けることではないのか?」と問いかけているのです。「君の持ち物は、どこに隠されているんだよ」と教えてあげることを、イエスは期待していると思います。掟から一歩も外れないことに満足するのではなく、掟から一歩踏み出してよいことを実践するように、求めているのです。言い伝えられている以上の実践に向かう人が、本当のイエスの弟子だと思います。

では本当に、自分の努力で実行できるでしょうか。自分にはそれだけの勇気が持てないかもしれません。そのための力はどうやって手に入れるのでしょうか。それこそ、堅信の秘跡があなたがたを強めてくれるのです。聖霊の七つの賜物、「知恵・理解・判断・勇気・神を知る恵み・神を愛する恵み・神を敬う心」これらの賜物が注がれて、掟に書かれている以上の実践ができるように強め、励ましてくださいます。

堅信の恵みは、洗礼のときにいただいた「人を神の子とするいのち」を成長させ、「信仰の証しを立てる力」を与えます。洗礼を受けて天主の十戒や教会の五つの掟の中で過ごしてきました。堅信の秘跡を受けた時から、これまでの掟に守られた中にとどまるだけではなく、一歩踏み出して、掟を超える実践、掟以上の実践を果たす力が与えられるのです。

堅信の秘跡が与えてくれる聖霊の七つの賜物に信頼してこれからの学校生活、社会生活に踏み出しましょう。堅信を受けたなら、教会の中では下級生のお手本として、積極的に声を出して祈り、聖歌を歌いましょう。イエスが期待するカトリック信者になれるように一歩踏み出す。神はあなたの決意を、聖霊の七つの賜物によって支え、実践へと導いてくれます。

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ちょっとひとやすみ
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▼「それで、列福式の会場まではどうだったの?」「無事にたどり着きました。大村空港でO神父様に会ったところまでお話ししたと思いますが、その神父様は航空会社が違ったのか、わたしたちより早い便の飛行機に乗りました。でも運よくH神父様を見つけたので、列福式会場の大阪城ホールまでくっついて行くことができました。」
▼「旅のしおりは使ったの?」「ええ、もちろん。」そう言ってはくれたが、おそらくH神父様にくっついて行ったのであれば見てないに違いない。「伊丹空港から最初はバスに乗って、JRに乗り換えるとき『H神父様、こっちこっち』と乗せた車両が女性専用車両だったのよね。びっくりしたー。」H神父さまもずいぶん困ったことだろう。
大阪城ホールでの列福式が無事に終わると、今度は宿泊先のホテルまで、「旅のしおり」が力を発揮する。ところがご婦人たちの話では、1時間でたどり着くはずのホテルに何時間もかかって着いたそうだ。「あーでもない、こうでもない」と言いながら帰ったそうだが、「旅のしおり」には混乱しないように乗り換え方法は1種類しか載せなかった。間違えようがないはずだが。
▼「何とか着いたことは立派」と褒めて、肝心の翌日玉造教会でささげられた「列福式感謝のミサ」に話を向けた。大村空港で「その話ですが、実は」と言ったご婦人が切り出した。「『列福式で大画面のスクリーンにM大司教様は何度も映ったので、明日あえて行かなくても大丈夫よね』という話で落ち着きまして・・・」
▼「つまり、行かなかったわけ?」「神父様が目の前にカトリック北梅田教会のあるホテルを探してくれたので、ちゃんとミサには行きました」「でも玉造教会での列福式感謝のミサには行ってないんでしょ?」「はい・・・」何のために「旅のしおり」を作ったのだか。けっきょく一度も「旅のしおり」が活躍することなく、ご婦人方の肝の太さに驚いた列福式珍道中であった。

† 神に感謝 †