四旬節第1主日(マタイ4:1-11)

四旬節に入りました。最後の晩餐、ご受難、ご復活に向かって、節制と償い、愛のわざにいそしみながら日々を過ごしてまいりましょう。四旬節第1主日にあたり、イエスは悪魔の誘惑を退け、「ただ一つの道」を示し、御みずから先頭に立ってその道を歩みます。そして今日、わたしたちは一人のお子さんの初聖体を見届けます。「イエスさまに養われて生きていきます。」今この子も初聖体を通して「ただ一つの道」を選ぼうとしています。

ところで灰の水曜日、皆さんきっちり大斎小斎の断食の務めを果たしたでしょうか。わたしは50歳なので大斎の務めを果たしましたが、ある人を唆して釣りに連れて行ってもらいました。結論から言うと、灰の水曜日には釣りに行くべきではない、ということです。

釣りに行こうよとそそのかした人は、ちょいちょい釣りに出ては「鯛が釣れましたよ。神父様焦るでしょ」と言って来る人です。まぁそれだけ言う人ですから、何かしら釣れる場所に連れて行ってくれるだろうと思って頼み込んだのです。

まぁ見事に、釣れませんでした。「坊主」でした。一匹だけアラカブを釣れましたが、それはわたしではなく、相方の「坊主が上手に」釣った虎の子の一匹でした。2時間以上いましたが、音も沙汰もありませんでした。実績のある人をもってしても、結果を出せなかったのです。

理由はいろいろあるかもしれません。水温が低い、魚の活性が低い、今は時期的にいちばん悪い、などいろいろ説明はあるでしょう。しかしわたしは、そういうことではないと思っています。理由はたった一つ、「灰の水曜日だったから」これ以外考えられません。

確かに、魚の活性が低かったかもしれない。けれどもこの日まで、食べ物にありつけずに困っていた魚が何匹かはいたはずです。時期的にいちばん悪いと言っても、もうそろそろ食べないと自分が死んでしまう。そういう魚もいたに違いありません。それでも、そういう魚でさえ、わたしたちの仕掛けに食いつかなかった。これはつまり、魚も大斎小斎の務めでやむなく食いつけなかったのではないでしょうか。

思わず仕掛けにとびかかろうとして「あ、今日は灰の水曜日だった!」そう考えて思いとどまった。もっと切羽詰まっていて襲いかかろうとした魚さえ、周りの魚から「おい、今日は大斎小斎ぞ。思いとどまれ!」そう言われて泣く泣く思いとどまった。そう考えると、すべてに説明がつきます。今後二度と、灰の水曜日に釣りには行きません。

福音朗読に戻りましょう。イエスは荒れ野で四十日間の断食の後、悪魔の誘惑と向き合い、悪魔を退けました。この悪魔の誘惑は、さまざまに説明が可能です。人間が限界に達したとき逆らうことのできない誘惑、食欲と、名誉欲と、権力欲なのだと説明することもできるでしょう。

わたしは、本来イエスにとって何が誘惑なのかを考えることが必要だと思います。イエスにとってたった一つの誘惑、それは「父なる神との絆を横に置くこと」これに尽きると思います。イエスが四十日間の断食で歩んだのは父なる神との一致の道です。これをいよいよになって断ち切らせようとしたのが悪魔のさまざまな誘惑だったのです。

エスはどのような誘惑にも惑わされませんでした。父なる神との一致の道、それは御父と聖霊が両端を握っている綱渡りの綱のようです。この綱を危うくするいかなる誘惑も、イエスはきっぱりと退けたのでした。それはご自分のためと言うよりも、あとを歩むわたしたちのためでした。イエスが先頭に立って歩む「ただ一つの道」を、わたしたちも歩むのです。

わたしたちキリスト者はどんな時も、「ただ一つの道」を歩む者です。「うわべだけ誘惑を受け入れたふりをして歩む」そのような道はわたしたちに与えられてはいません。たとえ日曜日にミサにあずかることができなかったとしても、「ただ一つの道」を歩もうと悩んだ挙句に、悩んで出した結論が、「今日はどうしてもミサに参加できない。」もしそうであるなら、わたしはその人は「ただ一つの道」を歩もうとした結果なのだと思います。

映画「沈黙」を、ご覧になった方もいるでしょう。転んでしまった人、転ばなかった人、いのちをささげた人、踏み絵を踏んで生きながらえた人。いろいろいましたが、きっとどの人も、「だた一つの道」を歩もうと真剣に考えながら、答えを出し続けたのだと思います。わたしも映画を観ましたが、最後は「わたしはイエスに従うというただ一つの道を歩みます。」この答えに狂いがなければ、結果はいろいろありうると思いました。

さて、説教台を降りて、初聖体を今まさに受けようとしているお子さんのもとに行きましょう。先週予告しておいた二つの質問で、「イエスさまに養われて生きていきます」という「ただ一つの道」を確認してから、その後の初聖体式の流れに移りたいと思います。

ふるさと君。「ご聖体のうちにおられる方はどなたですか?」そうですね。「ご聖体のうちにおられる方はイエスさまです。」ではもう一つ。ふるさと君。「父である神さまとお話しするために、イエスさまが与えてくださったものは何ですか。」

その通りです。「父である神さまとお話しするために、イエスさまが与えてくださったものは『主の祈り』です。」あとで、お父さんお母さん、お兄さんたちと教会のみんなと一緒に、唱えることにしましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼小学5年生6年生の「代用教員」を3月4日(土)にお願いされた。内容は浦上キリシタンの総流配で受けた迫害、浦上に戻ってからの苦難と復活の歴史についてだった。子供たちはとてもよく話を聞いてくれるので、気持ちよく勉強会も進んでいった。
▼ところが、思わぬところに落とし穴はあるものである。追放された浦上キリシタンがようやく浦上に帰ると、踏み絵を強要された庄屋の屋敷を買い取り、教会の代わりにする。悲しい歴史を、喜びの歴史にするためである。すると男子がこう言った。「『庄屋』って、いろいろ食べられる庄屋ですか?」
▼一瞬怯んだが、これはからかわれているのだと感じた。「そうそう。その庄屋。ちが〜う。」ついついわたしも図に乗ってしまい、子供たちと真面目な話をちゃかしてしまった。子供たちに「庄屋」とか「庄屋屋敷」と言っても確かにピンと来るはずがない。ここは子供たちと記憶に残りそうな部分を共有することにした。
▼さらに子供たちの「代用教員からかい」は続く。庄屋屋敷跡にいよいよ洋風の聖堂が建設されることになった。陣頭指揮を執ったのはテオドール・フレノ神父。自らが汗をかき、教会建設に奔走した。聞くところによると、教会に据え付ける御像を石工に作らせようとしたが「西洋人の顔を知らない」と言って制作は進まなかった。
▼そこで自らがモデルになり、御像を造らせたそうだ。教会の完成のために、人肌もふた肌も脱いだ格好だ。「教会建設に先頭に立って働いた神父様は誰ですか?」子供たちに尋ねるとこう切り返された。「フラノ(富良野)神父です。」
▼そう。「あーあー、あああああー。じゃなくてフレノ神父です。」今日はかなり子供たちに振り回され、かき回され、汗をかいて授業した。子供たちが楽しんでいたのか、わたしが楽しんでいたのか。たまにする代用教員でさえこの調子なら、ふだん教えてくれている信徒の方はどれほど苦労していることだろう。頭の下がる思いである。

† 神に感謝 †