主の昇天(マタイ28:16-20)

主の昇天の祭日を迎えました。イエスと弟子たちの関わり方が決定的に変わるのが主の昇天の出来事だと考えています。イエスと弟子たちの関わり方は、イエスとわたしたちの関わり方にも通じています。

わたしたちがこれからどのようにイエスに関わって生きていくべきか、与えられた朗読を頼りに考えてみましょう。あわせて、中田神父は田平小教区で司祭叙階銀祝を迎えることができました。25年積み重ねてきたことをこの説教にすべて注いで、皆様への感謝の気持ちをお伝えできればと思います。

最近テレビの調子がよくありません。広島カープが勝ったり負けたりするのです。電気屋さんに「このテレビは調子が悪い。修理してくれ」と言おうと思っています。もし広島カープが勝ち続けるテレビが売っていたら、買ってきてもいいと思っています。

【前晩のミサのために】繰り上げミサの前に、聖母行列を行いました。聖母マリアは今週の主の昇天の出来事、イエスと弟子たちの関わり方が決定的に変化することを理解するための理想の姿だと思います。マリアはたびたびわが子イエスとの関わり方に変化を求められました。

初めはイエスを神殿に奉献する時です。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」(ルカ2・35)ふつうの母としてわが子に接する道は横に置かなければなりませんでした。

その後はイエスが12歳になって、神殿でイエスを見失い、見つけた時。さらに婚礼の席に招かれ、母マリアがイエスに「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ2・3)と伝えた時。最後は十字架の上で「見なさい。あなたの子です」(ヨハネ19・27)との声を聞いたた時。ほかにもまだまだありますが、ふつうの親子の会話、親子の関りは、何度も横に置かざるを得ませんでした。

けれどもその度に、母マリアはイエスとより高い関わり方に目を向け、そこに身を置いたのです。イエスは母マリアを通して、「わたしについて来たい者は、その度にわたしとの関わり方を見直す勇気が必要です」と、招いていたのだと思います。

【銀祝記念ミサのために】あっという間に25周年を迎えました。記念の御絵を用意しました。司祭叙階の時に用意した御絵を、聖書の言葉を入れ替えて作り直しました。その心は、「変わらずにミサを大切にしていきます」ということと、「ミサ、とくに説教に向き合う姿勢はこの25年で変わりました」という思いです。

司祭叙階の時は、詩編116「神が与えてくださったすべての恵みに、わたしはどのようにこたえようか。救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。すべての民の前に進み出て、神に立てた誓いを果たそう」(詩編116・12-14)を選びました。ミサをささげ、自分から進んで感謝するという姿勢でした。

25年を経て、わたしの思いは詩編118がより近いと感じるようになりました。「わたしはあなたに感謝をささげる。あなたは答え、救いを与えてくださった。」(詩編118・21)いつも願いに答えてくださった神に、ミサをささげて感謝する以外わたしに何ができるだろうか。そんな思いに変わったのです。今までは「ミサでもささげて感謝しようかな」だったのですが、「ミサで感謝を表すことしかわたしにはできない」と認めています。

聖書の中でそれは、母マリアが人間の理解を超える神の求めに「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)と答えてイエスとより高い関わり方に目を向け、そこに身を置いた姿です。イエスは母マリアを通して、「わたしについて来たい者は、その度にわたしとの関わり方を見直す勇気が必要です」と、招いていたのだと思います。

エスは弟子たちに、マリアを通して示された道を歩ませます。すなわち、イエスが天に昇られると、目の前にイエスがおられた時よりも高い段階での関わり方に身を置くよう求めてくるのです。

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(28・19-20)

エスが弟子たちと宣教活動しておられた時は、言われたことを行えばそれで済みました。しかしイエスが天に昇られると、「あなたがたに命じておいたこと」を思い出し、実行する必要があります。イエスに率いられて業を行うよりも、イエスが共にいることを人々が理解できるような業を行うほうが、イエスとのより深い一致が必要です。

第一朗読に登場した「白い服を着た二人の人」の言葉は印象的です。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。」(使1・11)

エスが「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28・20)と仰るのはその通りですが、イエスは天の父のもとに昇られました。ですから3年間の宣教生活と同じことを望むことはできません。天を見上げていても始まらないのです。これからは弟子たちの業の中に、イエスの存在を示すのです。弟子たちの業を見て、人々はイエスが共におられることを知るのです。

わたしも、司祭叙階25年を迎えて、イエスとの関わり方により高い段階を求められていると思います。今までは、説教をする時「感じたこと、気付いたことを分かりやすく示す」そういう努力でした。できるだけ分かりやすくという点については、もしかしたら経験を積むことができたかもしれません。

しかしこれからは、与えられた朗読箇所が「ここを伝えてほしい」「このように伝えてほしい」と語りかける声に耳を傾け、指し示していきたいのです。感じたこと、気付いたことを思い通りに伝えるだけでは、イエスとの関わり方はもはや深まっていきません。このままの司祭生活だと、イエスは先へ行くのにわたしは現状維持で、イエスとの距離が広がってしまいかねません。

エスとの深い一致を求めて、イエスが言いたいことを福音から掘り出す説教でありたいと思います。思うことを思い通りに掘り出すのではなく、「このように彫り出してくれ」この声に聴き従いながら、イエスが望む姿を彫り出す説教を目指したいと思います。

エスと弟子たちの関わり方がより高い段階になるのは、司祭や修道者にだけ求められているのではありません。信徒の皆さんにも求められています。信徒の皆さんも、現状にとどまっていては、「なぜ天を見上げて立っているのか」と言われてしまうのです。

わたしたちの信仰が、「わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」(ルカ18・12)この延長線上の信仰であるなら、もはやそれ以上信仰の深まりは体験できないでしょう。イエスは「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(マタイ9・13)と望んでいるのに、わたしたちが同じ信仰を求めないなら、あとから来た人に追い越されてしまいます。

エスはご自分を信じるすべての弟子に、「あなたの思う信仰を思い通りに歩むのではなく、わたしの望む信仰を歩みなさい。生活の中で、わたしの望みを彫り出して、人々に示しなさい」と招きます。わたしたちには天を見上げて立っている暇などないのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼小教区で司祭叙階25周年の祝いを設けてもらった。5月28日のことなのでここで話すのは「おおよその予定」なのだが、ある意味、25周年をどこで迎えているだろうかというのは25年前に考えていたことだ。
▼田平教会で祝ってもらえるなどとは夢にも思わなかったわけだが、与えられた答えは申し分のないものだった。両親ともに健在で祝ってもらいたかったが、少なくとも母親は健在でミサと祝賀会に参加できる。5月31日に亡くなった父も、この日の祝いを喜んでくれているだろう。
▼25周年を迎えた先輩方は星の数ほどおられるが、やはりいちばん影響を受けたのはわたしが司祭に叙階された時の郷里の主任司祭萩原師だ。萩原師は田平教会出身であり、不思議な巡り合わせで、司祭職に導いていただいた先輩の50周年(金祝)をわたしが整えてあげることができた。
▼萩原師が25周年の時、福岡の大神学院で感謝のミサを共にささげ、その時説教をしたのを覚えている。わたしたちは神に託された手紙のようなもので、神が手紙の内容を書きつける。その内容をわたしたちは告げ知らせるのだと、そういう内容だったと思う。神に刻まれたみ言葉を生涯告げ知らせる姿は、わたしの中にも宿った。
▼説教の姿勢も、そのスタイルも、萩原師とは違う。ひょっとしたらお気に召さないかもしれない。けれども、師の精神はわたしの原動力だ。わたしもこれから生かされている間は説教を練り、積み重ねていくつもりである。

† 神に感謝 †