年間第17主日(ルカ11:1-13)

「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(11・1)。祈りを教えてくださいと願った弟子たちは最終的に何をいただいたのでしょうか。考えてみたいと思います。

先週書籍販売にパウロ会の修道士(たぶん)が来てくださいましたが、いろいろ売っている中で、祈祷書を買っている人がいてちょっと声をかけたくなりました。案内書に置いてある祈祷書は400円で販売しています。あの日400円以上の値段が付けてあったとしたら、もったいないなぁと思ったのです。声には出しませんでした。少なくともわたしがいる間は、案内書の祈祷書は400円にて販売します。

福音朗読に戻りましょう。イエスの弟子たちは「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と願いました。ヨハネの弟子たちが祈りを教わる姿がカッコよかったのかもしれません。そしてヨハネがその弟子たちに教えた祈りよりも、もっとカッコいい祈りを授けてもらえる。そう考えたかもしれません。

エスは弟子の願いに答えて「主の祈り」を教えてくださいました。しかもイエスは、どのように祈るべきかも添えて教えてくださったのです。すなわち、「しつように、粘り強く願う」ということです。

わたしは小神学生時代に、この「しつように、粘り強く願う」ことを体当たりで経験したことがあります。中学3年生でした。当時神学生は100人近くいて、食堂にはテーブルが15台も並び、1つのテーブルに6人掛け、7人掛けしてぎゅうぎゅうになって食事をしていました。

テーブルはすべて縦割りの班でして、学期ごとに班の入れ替えがありました。台ごとに「台長」と呼ばれる最上級生がいました。この台長が思いやりのある人であれば食事は楽しいし、思いやりのない人、意地悪な人の場合は食事は楽しくないので、楽しみの少ない神学校生活で「台長に恵まれますように」というのは誰もが願うことでした。

中学3年生の新学期、自分が割り振られたテーブルの台長は「意地悪番長」といった感じの人でした。夕食は6時からでしたが、部活などで中学生は遅れて戻ってくることもありました。遅れると必ず台長に遅れた理由を言って、許しが出たら食事の席に着くのですが、その台長はなかなか許してくれず、ずいぶん困らされていたのです。

そんなある日、事件が起こりました。その日の食事に「わかめスープ」が出ていました。焼肉屋さんで出るような「わかめスープ」が、学校給食で使うような大鍋に入れてテーブルに置いてあるのです。この日全員がそろって食事ができたので、無事に食事が始められると思っていたのですが、わたしたちの班にいた中学1年生が運悪くワカメが嫌いだったようです。「食べられない」と言い出しました。

台長の顔色が変わり、テーブルは凍り付きました。「なぜ食べられない?お前が食べるまで、この夕食は終わらないからな。」台長は好き嫌いを決して認めず、何時になっても食事を終わらないと言うのです。そうなると夕食後の自由時間も奪われるし、それ以上に宿題をするための自習時間も無くなってしまいます。

テーブルの仲間たちは誰も「先輩。勘弁してください。無理を言わないでください」そんな助け舟を出してくれる人はいませんでした。もちろんわたしも恐ろしくて言えませんでした。

そのときわたしは一つのことをひらめいたのです。「台長はわかめスープを食べ終わるまでと言っているのだから、後輩の中学1年生が食べるはずのわかめスープが全部無くなれば、台長も無理は言わないだろう。だったらわたしが全部食べてしまおう。」それでわたしは大鍋にいっぱい入ったわかめスープを、どんどんお代わりし始めました。

5杯、7杯、10杯、13杯。15杯。もう腹から吐き出しそうにありましたが、鍋にはワカメは見えなくなりまして、その時ようやく台長がこう吐き捨てたのです。「お前はよっぽどワカメが好きなぁ。」そしてその日の夕食をやっと終えることができました。

当時わかめスープが食べられないと泣いていた中学1年生がどうなったかは分かりません。台長として威張り散らしていた先輩は、高校を卒業すると神学校を辞め、ガソリンスタンドに勤めたと聞いています。わたしの思いが先輩に伝わっていたのか、今でも知りたいと思います。

当時の台長は一切の事情を汲んでくれませんでした。しかし、願い求めなければ事態は動かなかったので、わたしは恥も外聞も捨て、粘り強く願ったのです。言葉ではなく態度で。そのなりふり構わない態度が台長に届き、渋々ではあっても求めに応じてくれたのだと信じたいのです。意地悪な人間でさえそうであるなら、いつくしみの神が粘り強く願う人間に答えてくれないということがあるでしょうか。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(11・9-10)わたしは自分の体験からこう思っています。イエスの言葉は信じる価値がある。しつように、粘り強く願う。イエスが教えた「主の祈り」は、この「しつように、粘り強く願うこと」とセットで与えられたのだと思うのです。

エスは祈りを教えてくださいと願う弟子たちに、「主の祈り」と「どのように祈るか」をセットでお与えになりました。それは言い換えれば、「必ず聞き入れられる祈り」を与えてくださったということです。

わたしたちは「主の祈り」を、どのように受け止めているのでしょうか。しつように、粘り強く願う祈りとして、また願いが必ずかなう祈りとして受け取りましょう。人々に、「わたしは主の祈りを唱えて与えられた。見出した。開かれた」と証しできる体験を与えていただけるよう、このミサの中で願い求めることにしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼後日談。説教で出てきた「意地悪番長」は実は心優しい先輩だった。神学校は去ることになったが、ガソリンスタンドに就職し、最初にもらった給料をそっくり神学校に寄付してくれたそうだ。
▼そうやって恩を返すことはなかなか思いつかないものだ。最初にもらった給料だから、自分の夢のために使ってみたいはずだ。それを、育ててくれた神学校に寛大に寄付してくれた。わたしは、その一つのエピソードだけでこの先輩の過去は水に流していいと思う。
▼しかしながらあの時のわかめスープはきつかった。15杯は嘘でも何でもない。「早く気づいて、俺に免じて許してくれ。」そう思いながらひたすら流し込んだ。しかし他の先輩たちも、この怖い台長を心変わりさせるために何かできなかったのだろうか。少なくともわたしと一緒にわかめスープを飲んでくれていたら、わたしは15杯もお代わりする必要はなかったのに。
▼後になって、その人の本当の姿がわかるということはよくあるものだ。わたしは中学1年生の時に、規則違反を犯したという理由で、2時間以上正座させられたことがあった。高校3年生の生徒会長だった先輩が座らせたのだが、「自分の間違いを認めたら許してやる」と言われたが、身に覚えがないのに座らされたと思っているわたしは最後まで間違いを認めず、正座から解放してもらえなかった。
▼最後には先輩がしびれを切らし、「もう自習室に帰れ。強情な奴め。」と言われた。その先輩は福岡の大神学院に入学したが、わたしが入学した時にはもう辞めていて、いつか懐かしい人に会おうと面会に来た。大神学院の面会係は新入生の仕事で、わたしが玄関に行ってみるとかつての先輩が立っていて「おう。久しぶり。元気か」と声をかけてきた。
▼わたしはなぜか怒りがこみあげてきて、「気安くあいさつされる覚えはありません」と吐き捨てた。わたしは中学1年生の時の仕置きを忘れていなかったのである。自分で自分の醜さを見た思いだった。

† 神に感謝 †