年間第16主日(ルカ10:38-42)

「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10・42)年間第16主日C年の朗読に選ばれた「マルタとマリア」の物語の最後の場面です。ここに注目して今週の学びを得ることにしましょう。

水曜日の雷は怖かったですね。賄さんの雷が落ちたのかと思いました。怖いだけならまだしも、精密機械に影響が出ました。電話とパソコンです。電話と、ADSLモデムはレンタルなので業者が取り換えに来てくれたことで解決しましたが、パソコン本体はそうはいきませんでした。

どうやらパソコンからインターネットにつながるLANケーブルのコネクタがショートしたらしく、ケーブル接続でのインターネットが使えなくなりました。今のところ、Wi-Fiという無線接続でインターネットにつないでいます。場合によっては主任司祭の賽銭会計から新しいノートパソコンを購入して、司祭館備え付けにすることも考えています。

福音朗読に戻りましょう。お手元に年間第16主日のパンフレットをお持ちの方は挿絵をご覧ください。お持ちでない方は入り口近くにある小さなパンフレットをご用意ください。ちなみにパンフレットは大きなものに取り換えると言っておりましたが、催促の連絡をしてみると4月に入れていた連絡に行き違いがあり、先週いただいた返事では9月のパンフレットから大型版に変更してもらえるそうです。

パンフレットの挿絵は、第一朗読で読まれた「三人の客をもてなすアブラハムとサラ」が挿絵となっています。昔の人たちは挿絵が聖書を学ぶ助けになっていました。なぜかと言いますと、かつては識字率が非常に低かったので、文字の聖書を理解できる人が少なかったのです。

参考までに、教会を飾っているステンドグラス、ここ田平教会も立派なステンドグラスがはめ込まれていますが、ステンドグラスの本来の目的は教会の装飾ではなく、文字を読めない多くの人に聖書を学ばせる助けとして、教会での授業の教材に使われていたのです。

福音朗読は、姉のマルタがせわしく立ち働いて客であるイエスと弟子たち一行をもてなす場面です。パンフレットの挿絵のように、いろんなものを並べてごちそうしたことでしょう。姉の考えでは、妹のマリアはぼおーっとしてイエスの話を聞くだけで手伝おうとしないのです。なんと気が利かない妹だろうと、姉マルタの目には映ったことでしょう。妹マリアを手伝わせるように、イエスに催促しました。

ところがイエスの反応は違っていました。妹マリアには見どころがある。お姉さんのマルタもそこに気づいてあげなさい。そういう返事でした。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10・41-42)

ここで一つ、翻訳の問題を取り上げたいと思います。わたしたちが読んでいる日本語の聖書、ミサの朗読では新共同訳聖書が読まれていますが、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」という部分は、実はかなり踏み込んだ翻訳をしております。今回はできるだけ元の意味に近い翻訳を知っておいたほうが良いと思います。

新約聖書が書かれたのは本来ギリシャ語です。ということはギリシャ語の聖書から元の意味に近い翻訳を引き出すのが理想ですが、わたしの勉強不足でギリシャ語はチンプンカンプンです。英語の翻訳でしたら少しは分かるので参照しますと、”Mary has chosen the better part and it will not be taken from her.”となっています。この翻訳に沿って日本語訳を考えると、「マリアはより良い方を選んだ。そしてそれは、彼女から取り上げられることはないだろう」と読めるでしょう。日本語新共同訳聖書のかなり踏み込んだ翻訳「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と比べると、説明が必要なことが分かります。

日本語としてはぎこちないですが、「それは彼女から取り上げられることはないだろう」この解釈に沿って考えてみましょう。妹マリアはイエスのもとに座って一心に話を聞いていましたので、イエスの言葉が彼女の心の中にしっかりと刻まれました。姉のマルタは、イエスの話を聞きつつ、もてなしにも心を砕いていましたので、イエスの言葉がしっかり刻み付けられるところまで至ってなかったかもしれません。

「彼女から取り上げられることはないだろう。」これは未来のことを言っています。神の言葉がいったん心に深く刻まれたなら、それは、もう取り上げられることはない。この先どんなことがあっても誰からも取り上げられることはない。」そういう意味ではないでしょうか。

物語のその後は描かれていません。おそらく、姉マルタの求めに応じて、マリアはイエスと弟子たち一行をもてなすがわに回ったのかもしれません。けれども、すでに深く心に刻まれたイエスの言葉は、姉と一緒にもてなしに忙しく立ち働いても、取り上げられることはないのです。

ここに、イエスがマルタとマリアに求めている思いがあると考えています。わたしたちは、まず神の言葉を心に深く刻む必要があるのです。それからそれぞれの本分を果たしなさいと促します。初めに神の言葉を深く心に留めるなら、その後にどんな仕事に入っても大丈夫。神の言葉はあなたから取り上げられることはないだろう。こういうことです。

もしその順番を間違ってしまえば、神の言葉は深く心に刻まれず、いつかはこの世の忙しさに紛れて取り上げられてしまうのです。イエスは言います。「マリアは良い方を選んだ。」効果的に神の言葉を深く心に刻み、それから生活に入っていく。イエスはこのリズムをわたしたちにも期待しています。その助けになるのは日曜日のミサです。

わたしたちがどんなに忙しくなってもみ言葉が心の中から取り上げられることのないように、ここに集い、ミサにあずかることを大切にしましょう。周りの人に対しては、「神の言葉が取り上げられてしまうような生活の組み立て方をしてはいけない」と、はっきり言える人でありましょう。そのための力をミサの中で願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼7月16日夜、地域の「夏祭り」が開催され、保育園は園児たちの太鼓の披露を依頼されているそうで、駆り出されるという。そのあおりを受けて、わたしは久しぶりに小学1年生の要理の代用教員を務めることになっている。どうなることやら。
▼「夏祭り」は天気が大いに影響する。16日の朝ミサの帰り、典礼委員長の男性とこの日の晩の天気の話になり、「どうせ雨だろうよ」とわたしが切り捨てたところ典礼委員長はとっさに顔色を変えた。
▼「だめですよ神父さま。そんなことを平気で言っちゃ。こんな時は『晴れるといいですね』とお世辞でも言うもんです」と言われた。しかも保育園に勤めるシスターのところに飛んで行って、「晴れるといいですね」とわたしに聞こえるくらいの声で言っていた。そんなごまをすっても、天気が変わるはずもないのに、と思う。
▼説教でも触れたが、ノートパソコンのLANケーブルを差し込むコネクタがショートしたらしい。なんと恐ろしい雷だろうか。無線LANでつながることはつながるが、速度が落ちるのではないかと心配している。ただでさえADSLの速度にへきえきしているのに、それ以上に速度が落ちるなら、もうネット上の宣教活動である音声のアップロードはできなくなる可能性がある。もちろんメルマガには影響ない。
▼どうやら雷で年に1度とか2度、被害の出る地域らしい。毎度毎度パソコンを破壊されていてはたまったものではない。電源につながないことで、おそらく被害は最小限に抑えられると思うから、仕事を後回しにしてでもパソコンを守ることにしよう。

† 神に感謝 †