年間第31主日(ルカ19:1-10)

年間第31主日C年は「徴税人ザアカイ」の物語です。「この人は徴税人の頭で、金持ちであった。」(19・2)少し嫌味を感じる登場の仕方をしています。その彼が、イエスと出会うことになります。たくさんの人がイエスの前を通り過ぎ、出会うことなく去っていく中で、ザアカイは確実に主との出会いの機会を捉えました。出会うことなく去っていく人々には何が足りないのでしょうか。ザアカイには出会うことのできる何が備わっていたのでしょうか。

徴税人ザアカイと言いますと、わたしには思い出される人がいます。長崎教区の補佐司教から福岡教区の司教となった松永久次郎司教様です。わたしが福岡の大神学院にいた時、特別講話だったか、黙想会指導だったか、よく覚えませんがお話をしていただきました。

実際の講話は、あまりの優秀さに雲の上の人だと感じました。一つ例を挙げると、司教様はローマの神学院を卒業してからギリシャ語をたった1年で習得したそうです。そんな話を聞かされると、わたしたちは「努力が足りず申し訳ありません」としか返事のしようがありませんでした。それでもユーモアを感じさせる話もありました。それは松永司教様が司祭叙階の恵みを受けた時に選んだ聖句についての話でした。

皆さんもよくご存知かと思いますが、松永司教様は背の低い方でした。ご本人はどう思われていたか知りませんが、ローマで司祭に叙階された際の記念カードに、ラテン語で次のように記したそうです。<>.これはイエスがザアカイに言われたことばです。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19・5)背の低いザアカイに自分をなぞらえて、イエスが声をかけ、わたしを召し出してくださった。神の不思議な計画を、思い切った聖句の使い方で残そうと思われたのでしょう。

ひょっとすると、松永司教様は、ご自分がのちに司教に叙階されることも見据えて、この聖句を選んだのかもしれません。神は、背の低いわたしを取り上げて、教区の牧者としてくださる。その姿も見据えてのことだとしたら、ものすごい先見の明だと思います。

福音書に戻りましょう。ザアカイには、イエスと出会う何かが備わっていたはずです。何だったのでしょうか。イエスの最後のことばに答えがあります。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(19・10)ザアカイはイエスにとって失われたもの、捜して救うものだったのです。

ザアカイは、はじめ「イエスがどんな人か見ようとした」(19・3)のですが、彼が望めば人々を横に押しやって、一対一でイエスの前に立つこともできたでしょう。彼は人々に嫌われる仕事をしていたとは言え、「頭(かしら)」であったわけですし、金持ちでもあったので、人々を横に追いやることは簡単だったでしょう。

しかし彼は、いじちく桑の木に登ってイエスを眺めることを選びました。つまりザアカイは、イエスとそれほどかかわりを深めようとは思っていなかったのです。イエスにもそんなつもりはないだろう、きっとそう思っていたはずです。ところがイエスは、ザアカイに会って、話を聞き、食事を共にする気持ちでいっぱいだったのです。

「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ただ木に登っているだけでは、イエスの目には留まらなかったかもしれません。ザアカイも、たとえ自分が木に登っても、イエスの目には留まらないだろうと思いながら眺めたかもしれません。けれども「失われたものを捜して救うために来た」イエスは、敏感にザアカイの存在に気づいたのです。

ところで「失われたもの」の立場にある人は、イエスと出会うと必ず救われるのでしょうか。わたしは、イエスが出会おうとされるときに心を開いて耳を傾ける人には、救いが与えられると思います。しかし、イエスが捜し求めて出会おうとされても、心を開かず、耳を貸そうとしないなら、その人に救いは訪れないと思います。

ザアカイは、イエスが捜し出してくれたことを深く心に刻み付けます。彼は180度向きを変え、「失われたもの」から「捜してもらい、救われた者」として生きる決心をしたのです。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(19・8)

しかし周りにいた人々はザアカイを認めようとしません。罪人が救われるはずがないと決めてかかっています。それはわたしたちがつい陥ってしまう考えでもあります。「あの人は変われない。」たしかに自分一人では、誰も過ちから立ち帰り、まともな生活に戻れないかもしれません。けれどもイエスが働いてくださったのなら、変われるかもしれないのです。イエスが捜し出してくださったことを繰り返し思い出し、歩み続けるなら、人間の努力を超える力が人を導くのではないでしょうか。

11月から地区集会に伺います。わたしも、捜し求めている人がいます。誰にも相談できないでいる人です。家族に心配をかけたくないと相談できずにいる人、子どもに叱られるから言えないと悩んでいるお年寄りの方です。その人たちを捜し求め、解決策を考えたいと思っています。

わたしは、イエスが捜し出そうとしている人でしょうか。あるいはそのような人と知り合いではないでしょうか。イエスがあなたを捜し当てた時、「わたしはあなたの勧めに耳を傾けます。生き方を自分中心から、キリスト中心に向け直します」と答えることができるでしょうか。

あるいはイエスが捜し求めている人を知っているなら、「イエスよ、どうかあの人を早く捜し当ててください。わたしたちでなく、あなたのことばで立ち直らせてください」と祈るべきです。失われている人が一人でも多くイエスのもとに導かれ、救われて、神の国が広がっていきますように。このミサの中で願いましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼「この話は来週に」と引っ張った日本シリーズだったが、原稿を書いている時点では広島カープは崖っぷちの2勝3敗である。原稿を書いている土曜日夜に決定する可能性もあるが(それは見たくないが)、現時点では何とも言えない。ただ日本ハムが大谷を第6戦に投入しなかったのはどんな魂胆があるのだろうか。第7戦を覚悟しているのか。
▼長崎教会管区司祭集会に参加してきた。福岡教区の司祭はわたしが聞いた範囲では不満が噴出していた。長崎教区以外のほかの教区ではどこも似たような状況か。長崎は大いに期待されている教区なので、それに応えるべく、宣教のためにもっと教区間の協力に目を向けるべきだし、宣教する司祭でなければならないと思った。
▼しかし個性的な司祭を捜せとなると、長崎教区よりもほかの長崎教会管区の司祭・司教たちのほうがよほど個性的だと思った。了解は得ていないが、懇親会で手品を見せてくれた若い司祭を、長崎教区は持っていない。確かに長崎教区の出し物も面白かったが、侮れないと思った。
▼今、3つの個人的な予定を頭に描いている。1つは11月15日(火)に浜串教会の献堂五十周年が祝われ、その感謝ミサの説教を頼まれたということ。現在の主任司祭がすればいいものを、なぜわたしに振るのかわからないが、まぁ悪い気はしないので引き受けている。同時に浜串教会は鐘つきを自動化したそうで、その祝別式もあるそうだ。
▼2つ目は、これは未定だが、18年ほど前に当時の大司教様がリーダー育成の目玉として計画した青年たちとの聖地巡礼でお世話になった旅行会社の社長から、「来年1月上旬、7日間のイスラエル巡礼に行きませんか?」と誘われている。非常に興味深い。若いころに青年と行った土地の記憶は薄れてきている。もう一度確かめに行くのも悪くない。しかし日曜日のミサをどうするか、考える必要がある。
▼3つ目はこれはどこかで話したが、日本カトリック神学院東京キャンパスでの講話(月の静修)に出張することだ。説教の準備としては浜串教会が先にあるが、ぼちぼち考えておかなければならない。楽しい予定ばかりだが、気を緩めることはできない。

† 神に感謝 †