待降節第4主日(マタイ1:18-24)

待降節第4主日、ご降誕まで1週間と迫ってきました。ヨセフの取った行動から、これから1週間の過ごし方のヒントをいただくことにしましょう。

皆さんは夢を見ることがあるでしょうか。夢を見た時、夢から何かを感じるでしょうか。わたしは、夢を解いてくれる人がいたらぜひ話を聞いてみたいと思っています。ヨセフは夢を見て、しかも夢の中できちんと解説もしてもらって、目が覚めたらどんな行動を取るべきかを示してもらいました。うらやましいです。

わたしは時々うなされる夢を見ることがあります。しかし、ヨセフのように解説してもらったことがありません。わたしが夢でうなされるのは決まっていくつかの条件に当てはまる時です。一つは、夜中の2時とか3時とか、本当に遅い時間に寝て夢を見ると決まってうなされます。

そしてその夢はさまざまなバリエーションがありますが、どれも同じテーマです。それは「急いでいるのに間に合わない、必死に探すけれども見つからない」この繰り返しです。入祭の歌が流れてきてミサが始まったのに、祭服が見つからずに5分経っても10分経っても入堂できないとか、仲間と旅行に出かけるために空港に来たけれども、いくら探しても航空券が見つからないとか、さまざまなバリエーションで同じテーマの夢を見るのです。これはいったい何を意味しているのでしょうか。主の天使が教えてくれたらいいのになぁと思います。

さてヨセフも夢を見ました。ヨセフは思い悩んでいました。マリアとひそかに縁を切ろうとまで思っていたのです。それはきっと、マリアの心をまだヨセフは知らなかったからです。マリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)と答えた女性です。神の望みのままにわが身を差し出す人であると知ることができたなら、あのように思い悩むこともなかったでしょう。

ヨセフは正しい人でした。ヨセフもまた、神の望みのままにわが身を差し出すことのできる人でした。実は二人は一緒になる前から、同じ思い、同じ理想、同じ価値観を持っていたのです。

しかし、当時は結婚するまで一緒になることは考えられない時代だったので、マリアの思いを知ることもできず、一人で思い悩むことになりました。そこへ主の天使が現れて、「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」と声をかけたのです。マリアの思いも、ヨセフの思いも理解している存在が二人を仲介してくれたのです。

ヨセフは夢の中で、マリアが自分と同じく神の前に正しい人であることを知ります。主の天使のさまざまな説明がヨセフに勇気を与えてくれますが、わたしはマタイ福音記者が証言しているように、「インマヌエル」「神は我々と共におられる」この理解がヨセフを決断させたのではないかと思うのです。

ヨセフもまた、「神は我々と共におられる」と常々信じていたことでしょう。それはマリアも同じ思いでした。人間にすぎない自分たちには理解を超えるけれども、出来事の向こうには「神は我々と共におられる」との神の思いが働いている。そうであるなら受け入れよう。マリアにとっても、ヨセフにとっても、それは同じだったのです。

「それなら、わたしの思いと同じだ。」ヨセフの腹は決まりました。自分も、マリアも、「神は我々と共におられる」と確信している。同じ思い、同じ価値観を持っているのだから、きっとどんな困難も乗り越えていける。主の天使が夢に現れたことで、一人で思い悩んでいたら永遠に解決できなかった疑問が解けたのだと思います。

わたしたちも、ヨセフの取った行動をこの一週間思い巡らしたいのです。神は今、わたしたちに何をしようとしておられるのでしょうか。答えは福音朗読で示されました。「神は我々と共におられる」そのことを証明しようとしておられるのです。

社会はいまだに、正しい人が正しい報いを受けにくい状況にあります。上手に動いた人がいい思いをしたり、裏で不正を行っていても、運よく見つからなかったとか追及されなかったと思い上がっている人がいます。一人思い悩んで泣いている人、正しい訴えが取り上げられずに絶望しかけている人がいる。そんな中で、神は行動を起こしてくださり、「神は我々と共におられる」と声を上げてくださったのです。

そうであれば、眠りから覚めたヨセフが妻マリアを迎え入れたように、わたしたちも行動を起こす必要があります。わたしたちは現代にあって、「神は我々と共におられる」と、声を上げる人なのです。声を上げることが難しいと感じるなら、忠実に教会の務めを果たすことで、「神は我々と共におられます。わたしたちはその神の導きを優先します」と、態度で表しましょう。

キリスト者が一人残らず「神は我々と共におられる」と言葉や態度で証するとき、まもなく与えられる神の御子はわたしたちにとって喜びとなり、勇気と力を得る源となるでしょう。そして、「あなたたちの信じる神は、わたしたちにとっても共にいてくださるでしょうか」と尋ねる人に、自信をもって「そうです」と伝えることができるようになるはずです。

「神は我々と共におられる。」わたしたちは間もなく、幼子イエスを通してそのことを確認します。わたしたちの心に、イエス様をお迎えする部屋を整えて、残りわずかとなった日々を大切に過ごしてまいりましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼今週の説教でも取り上げたが、夢でうなされた話。ある日結婚のためのカップルにショートメールで勉強の進め方を打ち合わせ。実はあまり勉強が進んでいないため、クリスマスに予定していた洗礼がとても間に合いそうにない。そこで次のような提案をした。
▼「○○さんですか?お勉強なかなか進みませんが、洗礼を受けてから結婚をしたいという願いを何とか叶えたいと思い、結婚式当日に洗礼・堅信を受けて、それから結婚式に望むというのはどうでしょう?」すると勉強がなかなか進んでいないことを当人たちも気にしていたので、「ではその方向でお願いします」ということになった。
▼「よかった。心配事が一つ減った。」それからほかの用事にとりかかった。この日はいつもよりも頑張って、夜中の1時半までパソコンとにらめっこして寝た。この時間に寝たのがまずかった。案の定、夢は毎度のごとく「急いでいるのに探し物が見つからない」「決まっている時間に間に合わない」そういうパターンの、今回まったく新しいバリエーションだった。
▼夢は結婚式。教会はあまり見覚えのない教会。結婚式を引き受けたカップルは、「今日は洗礼式から始まって、結婚式まで引き受けてくださり、感謝します」そう言って目に涙をためている。しかし起きているときに連絡を取ったカップルではなく、よく顔を知っている別のカップルだった。
▼「よくここまで頑張って勉強して準備してきたね。じゃあ式を始めようか。」そう言ってわたしは祭服に着かえるため香部屋に戻る。祭服を着るころには入道の聖歌が流れ始めた。「ここまでは順調」と思ったら儀式書が見つからない。
▼見慣れぬ教会のため、儀式書の場所が分からない。そうこうしているうちに入祭の歌は5番、6番、7番と進み、いつまでたってもわたしは入堂できずにいる。聖歌隊の不安そうな声が聖歌で伝わってくる。「仕方ないから、入堂しよう。」あきらめて入堂してみたが、やはり儀式が始められない。
▼香部屋に戻って儀式書を探したり、ミサ典礼書に結婚の頁があったかもと思って探すが、5分探しても10分探しても見つからない。「結婚式が台無しだぁ〜」そう思ったところで目が覚めた。わたしのうなされる夢は、いつも「見つからない、間に合わない。」テーマは同じでも、見る夢は毎回バリエーション豊か。だれか解説を!

† 神に感謝 †