待降節第1主日(マタイ24:37-44)

A年の待降節が巡ってきました。マタイ福音書を手に、これからの新しい典礼暦年を過ごしていきたいと思います。マタイは本来救われるはずのユダヤ人に対して呼びかけようと福音書を書き記しました。洗礼を受けたわたしたちが本来救われるはずの新しい民だとすれば、似たような思いでマタイ福音書の呼びかけに耳を傾けることができるはずです。

皆さんの手元に、文庫本の説教集「取って食べなさいA年」は届いたでしょうか。ありがたいと思ってくれるのはうれしいですが、説教集は読むものであって、家庭祭壇に大切に飾って置いていたらダメです。常に読んで、学びの足しにしてください。

ちなみに、わたしの説教集は3冊セットで、B年とC年がほかにあります。ただしこの残りの2冊は、引っ越しの荷物を隅から隅まで探してかき集めて、ようやく30セット見つかっただけで、あとはおしまいです。今のところ、皆さんにお配りする分はありません。この残り少ない説教集は、成人式を迎えるかたにプレゼントで配ろうと思っています。

あらためて説教集を確かめると、朗読されている福音書の箇所も、それぞれの日曜日の日付も、ほぼ同じのようです。これからどうしても説教が思いつかないときは、文庫本の説教集を一字一句間違えずに読み上げようと思っています。

気の早い話ですが、来年の待降節、再来年の待降節の朗読箇所と日曜日の日付を調べてみました。季節感は多少違いますが、朗読はぴったり合っています。ひょっとしてこれは、あと3年は寝て暮らせるということかなぁと一人ほくそ笑んでいます。

ちょっと違う話ですが、瀬戸山の風7月号の自分の原稿を読み返す機会があって、読み返して愕然としました。「今月と来月の2回に分けて、これこれの話をしてみたいと思います」と書いてあるのです。しかし実際は、8月号で全く別の内容を書いていたのです。これは間違いなく認知症です。「光の園」か、前任地の「福見の園」あたりに、順番待ちを申し込もうと思っています。

「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(24・44)待降節は、主がおいでになるのを待つ季節です。わたしたちは主を迎えなければならないのですが、その心構えをどこに求めたらよいでしょうか。

考える一つの材料として、わたしたちが主と必ず会うことになるその時を想像することにしましょう。わたしたちが主と必ず会う時は二度やってきます。一度目はこの人生を終えた時、もう一度はイエスが栄光を帯びて再び来られる再臨の時です。

二度目の再臨の時は、わたしたちには想像もつかないわけですが、一度目、この人生を終えた時に主と必ず会う、その場面は想像することができます。わたしも50歳ですから、明日何が起こるかわからない。そうなると、「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」という呼びかけは、他人事ではなくなるわけです。

では何を用意しておくかということですが、わたしは、ルカ福音書の「不正な管理人」のたとえを思い出します。「そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。」(ルカ16・4)何かの形で、わたしのことを弁護してくれる人、わたしに有利な証言をしてくれる人を見つけておけば、この人生を全うして最初に主である神と出会うとき安心だと思います。

世間的な言い方ですが、誰かに恩を売っておけば、その人のおかげでわたしは救われるかもしれません。そういうわけで、説教集もタダで配りましたし、今月の「瀬戸山の風」に書きましたが、目の不自由な方のためにわたしの記事を録音して渡すことにしました。あるいはさまざまな原稿依頼も、ほとんど断らずに書く。そうしておくと、わたしは誰かの証言のおかげで、天国の隅に置いてもらえるかもしれません。

皆さんは、それぞれの最初の出会い、神と向き合う第一の時までに、何を用意するでしょうか。わたしと同じで誰かに恩を売って、彼らに証言してもらおうと願うなら、子供たち孫たちに恩を売っておくのが手っ取り早いと思います。「生きている間に、わたしにこんな思い出を残してくれたなぁ。」そういう形で神に証言してもらう出来事を用意するのは、わたしは賢い人生の過ごし方だと思います。

失礼を承知で申し上げますが、ここにおられる三分の二の方々は、わたしよりも歳がいっています。ということはつまり、「用意をしておかなければ、明日何が起こるかわからない」のです。具体的に何を記憶として受け継がせてあげるのでしょうか。

まずはお一人お一人が受けたことを思い出してください。クリスマスの期間中、皆さんは馬小屋に手を引かれて行き、親子で共に幼子イエスに祈ったはずです。「あー、そう言えば馬小屋でいっしょに祈ったなぁ。」それは確実に、あなたが神の前に立たされる時に有利な証言となるでしょう。

またかつては、クリスマスも復活祭も、夜のミサに行けば朝は行かなくても良いなどと、そんな都合のいい解釈はしなかったと思います。クリスマスの夜半のミサに行った人も、もう一度翌朝の早朝か日中のミサに行って、幼子イエス様にご挨拶に行ったはずです。それを忠実に、わが子に、自分の孫に、伝えるのです。子や孫たちがあなたを思い出すとき、「そう言えば馬小屋に連れて行ってくれたなぁ」と思い出す。それがあなたに有利な証言となり、人の子の到来の時、顔を上げて迎えることができるのではないでしょうか。

「人の子は思いがけない時に来る」のです。わたしたちは悠長にしている暇はないのです。あなたが用意できたはずの時間を無駄にすれば、もはやそのチャンスは二度と巡ってこないかもしれません。目を覚まして、いま用意しましょう。人の子の到来を喜び迎えることができるように、どんな小さな機会も逃さず、用意の時に結び付けていきましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼田平教会から500mのところに県立北松農業高校がある。ここから教会敷地に置いてもらえたらという提案でベンチをいただいた。四角いベンチだということだったのでコタツをイメージしていたのだが、中心に向かって向き合うようなベンチではなく、全員外に向かって座るので、会話を楽しむには少し工夫が必要かもしれない。
▼各家庭に配布した文庫本の説教集は、読んだかどうかは知らないが好評のようである。なぜだか田平教会出身の先輩神父様からも「一冊送ってください」と言われた。11年前に印刷したものだから、たぶん送っていると思うが、忘れているのだろうか。
▼今年はいろんなことがギリギリになって決まったりするものでとても苦労している。C年からA年への典礼暦年の移行で早めに必要な「教会暦と聖書朗読」という冊子も先週月曜日に手に入った。たまたま長崎に行く必要があったので直接持ち帰る手続きを取った。郵送を待っていたら、しびれを切らして電話で催促していたかもしれない。
▼田平教会は巡礼者がたくさん訪れてくれる。韓国からの巡礼団も多く、巡礼ミサも月に15回、もっと多いこともある。彼らはご丁寧に献金を取りまとめておいてくれるのだが、教区はそれに目を付け、「教区内の聖堂を維持する基金のために協力願いたい」と言われ、献金から送金するシステムになっている。
▼たしかに、巡礼団がささげた献金を教区すべての教会の維持に充てることは名案だと思う。説明会があり、その説明に同意もした。しかしこの前の期間の献金に対し、協力金の額は半分を超えていた。承服しかねず、かなり強い口調で文句を言った。
▼送金することに反対はしないが、誰でも「半分以上くれ」と言われたら面白くないものだ。折半だと言うならまだしも、半分以上送金せよという。わたしはマジックの太いほうで次のように書いてFAXした。「半分以上取るのは『協力金』ではなく、『上納金』だ。」
▼すぐ返事が来た。教区への送金はせいぜい半分くらいで折り合いをつけてほしいという意味で書いた返事だったが、そうは伝わらなかったらしい。今後は田平教会に韓国巡礼団のミサは来ないかもしれない。ちょっと舌足らずだったか。

† 神に感謝 †