2009-01-01から1年間の記事一覧

年間第12主日(マルコ4:35-41)

金曜日でした。墓地管理委員会の通帳に島外の人の管理費が入っていないか郵便局まで確認に行ったのです。集団下校している小学生に会いました。その中に、付き添いの大人の人から「ほら!そんなところに登ったら危ないでしょ」と注意されている小学1年生が…

キリストの聖体(マルコ14:12-16,22-26)

火曜日から金曜日まで、教区司祭の黙想会に参加してきました。黙想の指導はイエズス会の林 尚志(ひさし)神父さまでした。まもなく後期高齢者ですと言っていましたが、どうしてどうして、身振り手振りも交えて説教をする方で、時間割に従えば説教の時間は45…

三位一体の主日(マタイ28:16-20)

半月板の手術のために賄いさんが市民病院に入院してから1週間が経ちました。わたしにとっては1ヶ月のように感じられた1週間でした。わたしが掃除をしないおかげで司祭館はゴミ屋敷です。ゴキブリも大運動会をしています。幸いに修道院のシスターが助けに…

聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)

5月30日土曜日に、父フランシスコ中田輝明の年忌のミサを新上五島町鯛ノ浦教会でささげてきました。金曜日に長崎の大波止から五島産業汽船に乗って鯛ノ浦に向かったのですが、この日は木曜日の大荒れの天気の影響がまだ残っていて、少々の波では何とも思わな…

主の昇天(マルコ16:15-20)

主の昇天の祭日を迎えました。これから連続して祭日が続きます。来週は聖霊降臨、その次は三位一体、さらにキリストの聖体、さらにキリストの聖体の週の金曜日にイエスのみ心の祭日がやってきます。この一連の祭日は、セットにして覚えることにしましょう。…

復活節第6主日(ヨハネ15:9-17)

先週、枝であるわたしたちは、ぶどうの木であるイエスにつながって、聖霊の息吹に養われながら、霊の実をつけるということを話しました。また、わたしたちの教会も枝であり、ぶどうの木であるイエスにつながって活動することで、イエスが現代にあっても豊か…

復活節第5主日(ヨハネ15:1-8)

復活節第5主日と第6主日は、福音朗読から見るとヨハネ15章の1節から17節を2週に分けて朗読している形です。ヨハネ15章1節から17節は本来ひとまとまりとして読むべきですから、説教も少し、そのことを意識して考えを巡らせるのが理想です。来週と、うまく…

復活節第4主日(ヨハネ10:11-18)

連休中で、お出かけの人もいるかも知れません。それぞれの場で、日曜日のミサに参加することは、いつもと違う神の家族に触れる良い機会だと思います。今日の福音朗読の中で、イエスはご自身を良い羊飼いとして示しています。そして、良い羊飼いの条件は突き…

復活節第3主日(ルカ24:35-48)

復活節第3主日は、長崎教区では1つの特別な意味を持つ日曜日です。毎年同じことが繰り返されているのですが、御復活の2週間後というのは、司祭の異動の日なんです。昨年もこの話に触れたと思いますが、わたしもこの復活節第3主日から馬込小教区での生活…

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

復活節第2主日は「神のいつくしみの主日」です。今年、「神のいつくしみ」をわたしたちが考え味わうために、「週の初めの日」に復活した主との出会いが繰り返されていることに注目したいと思います。「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダ…

復活の主日(ヨハネ20:1-9)

昨晩の復活徹夜祭で喜びを分かち合い、今日もわたしたちはあらためて復活の喜びに沸いています。大明寺教会では今年小学校に入ったばかりのお子さんが、このミサで初聖体をいただきます。イエスさまをいただく喜びも合わせて、朗読された福音からの学びを得…

復活徹夜祭(マルコ16:1-7)

主の復活、おめでとうございます。今年の福音朗読の中で、最後の箇所を取り上げて喜びの知らせとしたいと思います。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目に…

聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)

本日聖金曜日の説教は、儀式書の規定にも「受難の朗読後、必要に応じて簡単な説教を行う」とあります。手短に述べたいと思います。聖金曜日の儀式の始まりは、赤い祭服を着用した司祭が祭壇に一礼して床に伏すところから始まります。わたしは同じ動作を司祭…

聖木曜日(ヨハネ13:1-15)

聖木曜日、主の晩さんを記念する日を迎えました。イエスさまが最後の晩さんの席で、御自分の体と血を、パンとぶどう酒の形のもとにわたしたちに与えてくださる聖体の秘跡が制定された夜です。また、この聖体の秘跡は、「わたしの記念としてこのように行いな…

受難の主日(マルコ15:1-39)

今日、聖なる一週間が始まる日曜日を迎えました。ミサ全体を通して、イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入り、十字架にはりつけにされてお亡くなりになる、その一連の流れが表現されました。ミサの始めに、枝の行列を行いました。イエスはエルサレムに近づ…

四旬節第5主日(ヨハネ12:20-33)

先週、先々週は黙想会をずっとこなして大変でした。けれども繰り返し話す中でわたしにとっては大きな収穫もありました。初めのうちは、黙想会で話していることが自分にも見えてなかったのですが、それが回を重ねていくうちに見通せるようになったからです。…

四旬節第4主日(ヨハネ3:14-21)

今週の福音朗読箇所から説教を考えていて、ついこの前終了した黙想会の学びを、うまく福音のメッセージと結び付けて話したいなぁと思いました。そういうつもりで読み返していたら、次の箇所を取り上げるのがいいなぁと感じました。17節です。「神が御子を世…

四旬節第3主日(ヨハネ2:13-25)

いよいよ黙想会の週となりました。今年は聖パウロについて少しでも学びがあるようにと思って準備しています。今週のミサの説教も、先週のように聖パウロの歩みと、与えられた福音朗読が示すものを結び付けながら話を進めたいと思います。イエスは神殿で羊や…

四旬節第2主日(マルコ9:2-10)

四旬節の第2週は、イエスの姿が変わる場面です。「変容」と言ったりします。今年は、黙想会をわたしがしようと計画していますが、イエスの変容の場面を、黙想会で学ぼうとしている聖パウロの回心と重ねて考えてみたいと思います。イエスの姿が弟子たちの目…

四旬節第1主日(マルコ1:12-15)

先週私は、「カトリック信者でよかった」という例を挙げてみたのですが、誤解しないで欲しいことがあります。それは、「プロテスタントではなく、カトリックでよかった」と、カトリックとプロテスタントの違いを強調しようという狙いではない、ということで…

年間第7主日(マルコ2:1-12)

わたしたちが自分の信仰に期待していることは何でしょうか。おそらく、「あー、カトリック信者でよかったなぁ」という瞬間をいちばん期待しているのだと思います。そして「カトリック信者でよかったなぁ」という体験は、おのずと「イエスと出会えてよかった…

年間第6主日(マルコ1:40-45)

土曜日の「聖パウロの手紙を学ぶ会」は、順調に人数が集まっています。昨日の2月14日は、馬込教会も、大明寺教会も、30人くらい来ていました。みんなチョコレートを持っているかなと思ったら、チョコレートを持っていたのは1人だけでした。わたしはその日…

年間第5主日(マルコ1:29-39)

昨日土曜日は高島教会の信者さんの葬儀ミサ、また大明寺教会の信者さんの通夜が入りました。高島教会の信者さんの通夜と葬儀は高島教会出身の神父さまが引き受けて下さり、わたしとしては本当に助かりました。土曜日にこうした務めを果たすことになると、説…

年間第4主日(マルコ1:21-28)

昨日始まった「聖パウロの手紙を学ぶ会」は、予想を大きく上回る参加者で、ひとまず安心しました。25人以上の参加は、正直、驚いています。大明寺教会も馬込教会も25人以上来ていました。大きい声では言えませんが、皆勤賞の人には大型聖書にサインをしてプ…

聖パウロの回心(マルコ16:15-18)

今日1月25日は、日曜日と重なってしまいましたが、「聖パウロの回心」を祝う日です。今年は教皇さまが特別に「聖パウロ年」を制定されましたので、日曜日のミサのうち1度だけ、「聖パウロの回心」の典礼でミサをささげることができると指示されています。私…

年間第2主日(ヨハネ1:35-42)

今週はまず第1朗読から話を始めたいと思います。サムエル記の主人公である少年サムエルは、神殿で寝起きして祭司エリに仕えていました。その少年サムエルが、眠っている間に主に呼ばれます。主に呼ばれ、将来の預言者に向けた導きが始まっていく、その最初…

主の洗礼(マルコ1:7-11)

「主の洗礼」の説教を、うんうん唸って、もだえながら考えていたのですが、あーこれはいいかもしれないなぁと思ったことを眺めてみたいと思います。洗礼に水が用いられているという点にもう一度じっくり目を向けた時、何かしら響いてくるものがありました。…

主の公現(マタイ2:1-12)

主の公現を迎えました。東の国からやって来た占星術の学者たちも、ようやく幼子イエスのもとにたどり着きました。彼らはここに来る前にこの国の支配者であるヘロデ王にあいさつに行き、自分たちがユダヤに来た目的をはっきり伝えます。「ユダヤ人の王として…

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)

皆さん、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年、私の決意は、「片付ける。先送りしない。」としました。昨年、教会の改修工事をずっと先延ばししたことを大変申し訳ないなぁと思っておりました。今年、何か動かなければならなく…