受難の主日(マルコ15:1-39)

今日、聖なる一週間が始まる日曜日を迎えました。ミサ全体を通して、イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入り、十字架にはりつけにされてお亡くなりになる、その一連の流れが表現されました。

ミサの始めに、枝の行列を行いました。イエスエルサレムに近づいた時、ろばの子に乗ってエルサレムに入ることをお望みになります。わたしはそのやり取りを通して、今日のミサの典礼全体のテーマみたいなものが何となくつかめました。

そのテーマは、イエスから送り出される二人の弟子にあとで言うようにと伝えた命令で明らかになりました。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」(11・2-3)

そしてこのやり取りは、イエスが予告なさった通りに実現します。「すると、そこに居合わせたある人々が、『その子ろばをほどいてどうするのか』と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。」(11・5-6)わたしはこのやり取りの中の、「主がお入り用なのです」という言葉がとても印象に残りました。

「主がお入り用なのです」。直接には、イエスエルサレムに入るために、子ろばを必要としておられたということを意味しています。そのことに間違いはないのですが、弟子たちはのちに、違うことも自分たちが口にした言葉から連想したのではないかと思ったのです。

つまり、「主がお入り用なのです」と感じておられたのは、人類の救いのために、「必要」と考えておられるすべてのものを意識して、あのように言ったのではないか、ということです。

たしかにその場で、子ろばが必要だったかも知れません。ですがエルサレムに入ってしまうと、子ろばは元のつながれていた場所に戻されるでしょう。むしろ、エルサレムに入城されるイエスこそが、「主がお入り用なのです」と言ったまさにそのものだったのではないでしょうか。

福音朗読にありましたように、イエスは、「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(11・9-10)と歓迎されたはずなのに、その同じ人々から「十字架につけろ」とののしられ、十字架の上でいのちをおささげになりました。

なぜこんな目に遭わなければならなかったのだろうか。そう考えることには意味があります。イエスエルサレムでの出来事、それこそが「主がお入り用なのです」と望んでおられたことだからです。

エスが十字架の上でいのちをささげたことで、わたしたちはみな救いに入る扉が開かれました。イエスが、御父のお望みに従っていのちをささげなければ、わたしたちは自分の力で神の救いにあずかることはできなかったはずです。わたしたちは繰り返し、パウロの回心の黙想の中で考えました。

パウロが非の打ち所のない生活をしていた時に、イエスは彼に救いの手を差し伸べました。あなたが救われる道は、わたしを中心に据えて生きる以外にありません。イエスはそんな思いを込めてパウロを呼び出したのでした。わたしたちが今日の典礼の中で体験したイエスの十字架上での出来事も、この方法以外に人間が救われる道はなかったのだと考えさせているのです。

そこでわたしたちも、今日二人の弟子が子ろばを引いてくる時に言った言葉を思い出し、自分に当てはめてみましょう。「主がお入り用なのです」。それは、わたしにどんな協力を求めて投げかけられた言葉なのでしょうか。

わたしがすぐに思い出したのは、馬込教会では役員改選のために投票用紙が配られているはずです。この用紙に、一定の人数分だけ印を付けて来週の日曜日に選挙することになっています。投票する時に、真剣に新しい役員に必要な人を選んでください。そうして選ばれた人々は、わたしは神さまがこれからの馬込教会のために必要としてくださっている人々なのだと思います。

選挙が終わると、一定の人数の人々が選び出されます。「この選ばれた人々をどうするのか。」そんな疑問をわたしにぶつけてくる人がいるかも知れません。もしかしたら選ばれた人々自身が、「わたしをどうしようというのか」と、わたしに言うかも知れません。

わたしはその時、こう答えましょう。「主があなたがたをお入り用なのです。」これから、馬込教会の家族を支えてあげる人々として、何かの活動や、教会での礼拝や、福音宣教への協力に率先してお手伝いしてくださる人々として、主があなたがたを必要としているのだと思うのです。そう思って、選ばれた人々はこれからの任務に手を貸していただきたいと思います。

今日、エルサレムに入城する時に使った子ろばは、「主がお入り用なのです」と乞われて連れてこられたのでした。わたしたち一人一人の働きも、実は「主がお入り用なのです」と思っているのではないでしょうか。二人の弟子たちがそれとは知らずに口にした「主がお入り用なのです」という言葉を自分に当てはめながら、聖なる一週間に入っていくことにしましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼福岡聖スルピス大神学院と東京カトリック神学院が1つに合同することとなり、4月からは「日本カトリック神学院」として出発することとなった。これからは2つの神学院は日本カトリック神学院の「福岡キャンパス」と「東京キャンパス」という形になって運営が継続されることになる。
▼話はずいぶんさかのぼるが、10年ほど前だったか、「西日本宣教司祭大会」というのが福岡で開催されたことがあった。上智大学の先生が基調講演をしたり、ついこの前亡くなった韓国のキム枢機卿が「韓国のキリスト教について」という演題で講演をしてくださったり、10年前にあった出来事にしてはわたしの中で今でも鮮明に当時のことを思い出すことができる。
▼じつはこの時期、わたしの親戚筋の神父さまが亡くなって、どちらに顔を出すかで悩んだのだが、弔電を打って自分は福岡に行くことを選んだ。今になって思えば、あの時の判断が教区の広報委員会の仕事が自分には合っていたのかも知れないと思うようになった始まりだったかも知れない。
▼西日本宣教司祭大会の最終日、どんな研修会でもよく行われる質疑応答の時間に、当時長崎教区で務めていた同級生の神父がこんな質問をして会場の参加者みなを驚かせた。「わたしたちはいまだに長崎教区とか福岡教区とか、小さな教区の枠に閉じこもっています。それは、西日本と東日本とでも同じことです。
▼その根本的な原因は、大神学院にあるのではないでしょうか。東京と福岡の大神学院が1つになれば、もっと大きな枠で日本全体の宣教を考える必要にも目が向くようになると思います。」つまり神学校の合併を提案したわけである。わたし含め、質問に答えた福岡の大神学院の教授も、あまりにも大胆な発言にあっけにとられていた。わたしなど、もっと言葉を選ばずに言うなら、「あいつ何考えてるんだ?」と思ったものである。
▼それから10年。あの発言が引き金になったかどうかは分からないが、みごとに2つの大神学院が統合された。必要な教授陣確保が困難で・・・という側面もないとは言えないが、東日本と西日本の壁みたいなものが、長崎教区と長崎以外の教区との壁みたいなものが、これから育つ神学生、これからの司祭によって取り払われていくかも知れない。その頃には、われわれも時代遅れの司祭ということになっているのだろうが。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===