四旬節第5主日(ヨハネ12:20-33)

先週、先々週は黙想会をずっとこなして大変でした。けれども繰り返し話す中でわたしにとっては大きな収穫もありました。初めのうちは、黙想会で話していることが自分にも見えてなかったのですが、それが回を重ねていくうちに見通せるようになったからです。おかげで、黙想会終わってしばらくは、聖パウロの回心を福音の学びに当てはめて考えることができそうです。大助かりです。

まず、パウロの回心からわたしたちが学んだことを確認しましょう。パウロは、これまでの自分中心の生き方から、イエスを中心に据えて生きる生き方に変えられたのでした。律法を一点一画も漏らさずに守り、非の打ち所のない生き方をしたとしても人間は自分の努力では救われないことをイエスに諭され、自分の力では変わっていけない弱さを持つわたしたちだから、イエスに導かれて変わっていきましょうというのがパウロの回心から学んだことでした。

今日の福音朗読も、この考えに沿って読み直すと、たくさんの箇所がなるほどと納得できるようになります。すぐに気がつく箇所は、「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(12・24)という箇所です。

それに続く箇所も同じ呼びかけを読み取ることができます。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(12・25)「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。」(12・26)イエスの呼びかけを受けて生き方の大転換をしたパウロの姿が、今日の福音朗読のあちこちに見いだせると思うのです。

「イエスさまの時代にパウロは表舞台にいなかったはずなのに、どうしてイエスさまの呼びかけにパウロの生き方が読み取れるのか。」そう考えている人もいるでしょう。ところが、福音書が書かれた年代と、ペトロやパウロが殉教した年代をもう一度思い出すと疑問は解けます。

パウロは皇帝ネロの時代、60年代後半に殉教したと伝えられています。福音書が書かれた時代はというと、いちばん早いと言われるマルコ福音書でも、パウロの殉教より後に書かれているのです。ましてや、ヨハネ福音書などは、90年代に書かれたと言われます。

すると、福音書の著者たちは当然パウロの殉教も知っていたし、パウロの活躍や、キリストを中心に据えた生きざまについても十分理解していたはずです。ですから、イエスの言葉を福音書に残すに当たって、パウロの生きざまがイエスの言葉からしのばれるような工夫をしたかも知れません。

もちろんイエスさまの言葉を曲げて書き残したわけではありませんが、福音書の著者自身が、「あー、パウロの生き方は、イエスの歩まれた道をそっくりまねていたなぁ」と感じながら、福音書を書いた可能性は大いにあると思うのです。

エスを信じる人々はけしからんと思って男女構わず縛り上げ、懲らしめようと意気込んでいたパウロ。その彼がイエスに捕らえられ、イエスのためならどんな仕打ちを受けても構わないと思うほど徹底的にイエスの僕となりました。

まさに、イエスと出会う前のパウロは才能豊かな「一粒の麦」でした。彼はイエスに捕らえられ、律法を守ることで義の道を歩もうとしていたこれまでの自分に死んで、イエスを中心に据えて生きる人に生まれ変わったので、想像をはるかに超える大きな実を結びました。

別の言い方もできるでしょう。パウロはそれまで自分の命を愛していたのでした。「生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」(フィリピ3・5-6)ところが彼が誇りに思っていたものを損失だと思えるようになった時、本当の意味でいのちを保ち、永遠の命に導かれたのです。

みごとに、パウロの中にイエスの招きの言葉が当てはまります。まるで、パウロはイエスが宣教活動をしている時に直接出会い、イエスの弟子になったかのようです。イエスの言葉を聞いて、生き方を変えたかのようです。実際には復活前のイエスパウロは会っていませんが、復活したイエスと出会ってから、すべての失っていたものを取り戻したのかも知れません。

ここでわたしたちを振り返ることにしましょう。わたしたちにも、イエスの呼びかけは同じように響いています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」そしてわたしたちもまた、パウロと同じく生前のイエスに出会っていないのです。

生きて、イエスに出会っていないなら、イエスのこの呼びかけを守ることはできないのでしょうか。そうではありません。わたしたちもパウロと同じように、復活したイエスからすべてを教え、導いてもらうことができます。

エスは今の世界に聖霊を注いで、一人一人に、多くの実を結ぶ生き方、永遠の命に至る生き方を促しておられるのです。もちろんその生き方とは、パウロと同じくイエスを中心に据えて生きる生き方です。黙想会を無事に終えたわたしたちは、生き方を転換するまたとないチャンスが与えられています。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」イエスがまず身をもって示してくださった生き方を、わたしたちも歩んでいくことができるように、聖パウロの取り次ぎ、聖母マリアの取り次ぎを願いたいと思います。

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ちょっとひとやすみ
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▼22日(日)。朝5時半起床。6時20分大明寺教会ミサ。7時15分から大明寺教会の信徒総会にあたってひとことあいさつ。馬込教会に戻り、7時50分馬込教会のミサ。8時50分、信徒会館にて馬込教会婦人会の総会でひとことあいさつ。
▼9時12分の船に乗り、高島教会に移動。9時45分から高島教会の黙想会後半。説教に続き、ゆるしの秘跡、11時から感謝のミサ。ミサ後、高島教会の婦人会総会であいさつ。心づくしのお弁当を食し、12時40分に帰りの船に飛び乗り、13時から大明寺教会の墓地で納骨式。13時45分、納骨をした家族の招待を受けて食事会。
▼14時52分、東長崎教会の黙想会のために長崎本土に向け出発。15時15分、信頼できる人に車を大司教館から運んでもらってきて、乗り変わろうとしてエンジンを再度始動しようとしても動かず。保険会社に連絡し、JAFがやって来て、バッテリーの容量が足りなくて動かなくなっていると指摘を受ける。9700円もの出費(泣)。
▼とりあえず動くようにはなったので16時に大波止から東長崎教会へ。17時過ぎ、焼肉店に4人で陣取り、わたし以外は全て後期高齢者であるにもかかわらず、ロースを皮切りにありとあらゆる肉を食べ、ビビンバを頼み、デザートもほおばって帰る。わたしはお腹がどっかり。他の3人はどこにあれだけのものが入ってしまったのか。
▼19時から黙想会夜の部がスタート。説教は19時30分から40分程度を2回。21時過ぎ、今晩の寝床である大司教館に車で移動。21時45分、大司教館到着。こまごまとした準備を済ませ、ようやく23時就寝。ところが翌朝4時半に足がけいれんを起こし、死ぬかと思うほどの苦しみを味わう。痛い痛いと言いつつ、また知らぬ間に二度寝する。
▼翌朝起きたのは7時10分。9時から東長崎黙想会の朝の部が始まる。慌てて準備し、8時10分に大司教館を出発して9時に到着。朝の部の説教の1回目を9時30分から40分間して、次の説教開始時間(11時)までにこの日のミサを一人でささげる。その後も数限りなくスケジュールをこなし、水曜日にようやくすべての黙想会関連を終えた。
▼嵐のような日々だった。帰ってから、慰められる出来事もあり、無事に今週も生きてメルマガを発行している。400号を発行した〜と大騒ぎしていたが、何ともう407号である。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===