三位一体の主日(マタイ28:16-20)

半月板の手術のために賄いさんが市民病院に入院してから1週間が経ちました。わたしにとっては1ヶ月のように感じられた1週間でした。わたしが掃除をしないおかげで司祭館はゴミ屋敷です。ゴキブリも大運動会をしています。幸いに修道院のシスターが助けに来てくれたのですっかりきれいになりましたが、1ヶ月これが続くのかと思ったら気が重いです。

まぁそれでも、見舞いに行ってみようかなぁと思い、せっかくなら伊王島の魚も味わわせてあげようと、釣った魚をこしらえて病室に行きました。リハビリの時間だったので、30分ほど待ちましたが、病室に戻ってから様子を聞いて、それから言いました。「病院では伊王島の匂いのする物も食べてないだろうから、これを食べて元気を付けよう。」刺身に切って行ったのは、キンブク(シロサバフグ)と、バリ(アイゴ)です。

そしたらよほどおいしかったのか、かぶりついて食べましたよ。一緒に食べようと思っていたのですが、黙ってたら全部食べてしまいそうだったので、「おいおい、わたしにも残してくれよ」と言ったくらいです。この日は病院食と別に刺身も食べたわけですから、先週話したような三食昼寝付きではなくて、四食昼寝付きという豪勢な入院生活ですよ。いいですねぇ。

今日三位一体の祭日を迎えました。父と子と聖霊が唯一の神でおられるという神秘について、与えられた朗読箇所から学びを得ることにしましょう。

考えるきっかけとして、ひれ伏す弟子たちに、イエスが近寄ってきたということを取り上げてみたいと思います。弟子たちの中には疑う者もいたわけですから、空間的には近寄ることはできても、弟子たちの心の中まで近寄ることは困難だったと思われます。それでもイエスは近寄って、すべての民を弟子にしなさいと使命を授けました。

エスが弟子たちに取った態度、「近寄る」ということの中に、三位一体の神秘に触れるヒントがあるようです。父と子と聖霊が間に何も挟むものがないほどに近寄る時、父と子と聖霊は近くにいるというよりも一つでおられるのです。

わたしたち人間同士は、親友であっても離れることがあるし、離れてはいけない間柄であっても引き裂かれることもあります。ところが父と子と聖霊は決して離れません。たんに近くにいるのではなく、一つになって、唯一でおられるのです。

父と子と聖霊が、一つでおられるための大きな役割を果たしているのは聖霊だと思います。父と子が、思いも望みも近寄って一つになるために、聖霊が絆となっておられるのです。このことは、イエスが弟子たちに近寄った場面にも当てはめて考えることができます。

弟子たちにイエスが近寄った。それは分かりますが、それだけではあとに続くみことば「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28・20)の説明には不十分です。

「いつもあなたがたと共にいる」という実感は、弟子たちが聖霊降臨を体験しなければ理解できなかったはずです。つまり、聖霊のおかげで、イエスが仰った「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とのイエスの約束が弟子たちにも理解できたのです。

父と子と聖霊の三位が一体となるために、聖霊による一致が大きな役割を果たしているとわたしは考えました。同じように、わたしたちが教会として一致して行動するためにも、聖霊による一致が必要になります。

行動の計画を立てる時、ある人は意見が対立するかも知れません。それは反対するための意見の衝突ではなく、慎重になっていたり、別の方法で目的が果たせるのではないかと考えていたり、いずれにしても熱心さから来る意見の衝突は十分考えられます。そんなとき、わたしたちは皆、聖霊に一致のための恵みを願うべきです。

また、家族の中で大きな決定を下す話し合いをする時にも、意見がぶつかり合うことはあり得ます。親と子の間で、夫と妻の間で、兄弟間で、それぞれの持っている考え方には違いがあるわけですから、すんなり話し合いがまとまらないこともあるでしょう。そんな、一致が難しいと思える時に、一致のための聖霊の恵みを願うべきだと思うのです。

三位一体が深い一致を実現して、わたしたちに何かを考えさせていると思います。あなたたちに一致できないことはない。もし一致できないでいるのなら、聖霊による一致を願っていないからだ。聖霊による一致以外に、本当の一致を見ることはできない。だから、あなたの関わっている教会、共同体、家族の一致のために、聖霊の恵みを願うべきだ。そんな声を、今日三位一体の祭日にイエスは呼びかけているのだと思います。

エスは弟子たちに近寄って声をかけてくださいました。弟子たちを含め、わたしたち人間には一致の力が足りないので、イエスのほうから近寄って、一致の力を与えてくださいました。わたしたちの中で一致が見られないなら、聖霊による一致を強く願いましょう。わたしたちがある程度一致できているなら、より深い一致を求めて聖霊に祈りましょう。聖霊こそ、三位一体の絆の源であり、わたしたちが意見の相違を乗り越えて、信頼しあえるまでに一致する、力の源なのだと思います。

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ちょっとひとやすみ
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▼第26回目の「今週の1枚」に載せた子供の話。3歳か、4歳位の子供だと思うが、やんちゃ坊主がわたしの座った席の前に来た。じっとしていられないのか、興味があり過ぎてなのか、後ろを振り向いて盛んに船内を見回していた。おもしろいなぁと思い、その子をこっそり盗撮したわけである。
▼最初はメールを別の人に打っていた所だったので、気づかれないようにうまくカメラモードに切り替えることができた。カメラにうまく納めようと、ケータイを前にかざしたり少し引いてみたりしていたのだが、ケータイに付けているストラップ(クマのプーさん。それもなぜか2個プーさんがぶら下がっている)が大いに気になったようで、手を伸ばしてつかもうとしてきた。
▼おお、これはおもしろいと思い、カメラ撮影の前にもう少し遊んでやろうと思って、クマのプーさんを近づけてみたり引っ込めたりしてみた。すると案の定、男の子は手を伸ばし、プーさんをつかもうとする。もちろんこちらは掴ませない。そうしている間に写真を1枚撮影し終えたのでカメラを手提げカバンに入れた。
▼カバンに収めたあとに出来事は起こった。何とその子が、手提げカバンにまで手を伸ばしたのである。小さな子供にはちょっと重かったようで、掴んだ途端に床に落としてしまった。そこでようやく、一緒に席に座っていたおばあちゃんが気づき、「すみません」と言ったあとにその子を引きずり下ろし、「何やってんの!ダメでしょ!」ときつ〜いお仕置きを食らってしまった。
▼怒られた男の子は何が起こったのか分からず、ビックリして火が付いたように泣き始めた。しかもわたしの前に連れて来られ、「謝りなさい!」と叱られている。そのこの目は訴えていた。「このおじさんが悪い!」わたしはその子の頭をなでながら、「しゃべるんじゃないぞ〜」と心の中で言った。この子がはっきり物が言えるなら、きっと自分の正しいことを説明しただろう。ずいぶん楽しませてもらった。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===