2008-01-01から1年間の記事一覧

年間第12主日(マタイ10:26-33)

今週の福音朗読のための説教を考えながら、まず何から話し始めようかなと思ったときに、1つのことが浮かびました。それは、「人は自分の殻に閉じこもってしまうとなかなか抜け出せない」ということです。自分の殻に閉じこもり、恐れにとらえられていると、…

年間第11主日(マタイ9:36-10:8)

過ぎた週は教区司祭の黙想会でした。指導してくださったのは現在高松教区(四国)におられる溝部 脩(おさむ)司教さまです。この司教さまは、列聖列福特別委員会の委員長を務めておられます。説教の内容は殉教者が殉教していくその最後の証しについてでした…

年間第10主日(マタイ9:9-13)

無事に父・中田輝明を送ってきました。高島・大明寺・馬込教会の信徒の皆さんには大変ご心配をおかけしました。あわせて父のためにお祈りくださり、ありがとうございました。中には五島まで足を運んでくださった方もいらっしゃいます。重ねて感謝申し上げま…

フランシスコ中田 輝明 葬儀ミサ説教

私は亡くなった父・輝明の長男息子です。ご覧の通りカトリックの神父になり、通夜と今日の葬儀ミサを務めております。私はテレビドラマの1シーンのような、母と子どもたちに最後の言葉を残して去っていく姿を想像していましたが、実際にはこれといった遺言…

キリストの聖体(ヨハネ6:51-58)

先週も父の見舞いをしてきました。病室でミサをささげてきました。父の霊名はフランシスコです。そこで、霊名の祝日に当たっているわけではありませんでしたが、聖フランシスコの取り次ぎを願って、アシジの聖フランシスコの記念日の典礼でミサを捧げました…

三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)

先週先々週と、一週間おきに五島の有川病院に入院している父の元に帰っています。肺ガンの診断で抗ガン剤の治療を受け始めたのが1月下旬でしたが、今はあちこちに転移も見られ、残りの時間をどんなふうに過ごさせるかに先生は心を配ってくださっています。…

聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)

今週私たちは聖霊降臨の主日を迎えました。聖霊降臨は教会の誕生の日と言われたりもします。そのことを少し心に留めて、出来事を私たちの生活と結び付けていきましょう。まず今日の3つの朗読箇所から、聖霊の役割について考えてみたいと思います。第1朗読…

主の昇天(マタイ28:16-20)

主の昇天の祭日を迎えました。先週広報活動ということについてちょっと話しましたが、この教会に集まる全員が、誰に聞いてもこれから続く教会の祭日を言えるようになれば、それだけでも十分広報活動になると思います。今週から続く一連の祭日は、「主の昇天…

復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)

復活節第6主日は、「世界広報の日」にあたっております。そこで、今日の福音を、「世界広報の日」と結び付けながら考えてみたいと思います。「世界広報の日」とは、私たちキリスト信者すべての使命である福音宣教のうち、とくに新聞、雑誌、テレビ、ラジオ…

復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)

今日の福音を考えるために、7つの秘跡のうちの1つについて、理解を深めて欲しいと思います。それは、病人のための秘跡です。30年以上前に、私は教会の教え方さんから、7つの秘跡を教えてもらいました。病人のための秘跡は、「終油の秘跡」と習いました。3…

復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)

今週の朗読はヨハネ10章です。このヨハネ10章を読み解くためには、その直前のヨハネ9章をどうしても頭に置いておかなければなりません。ヨハネ9章はどんな出来事があったかというと、「生まれつき目の見えない人のいやし」の奇跡が行われ、視力の回復の恵…

復活節第3主日(ルカ24:13-35)

今年の復活祭を迎えて、復活したイエスと弟子たちや婦人たちとの出会いの中で、1つの発見がありました。それは、復活したイエスと出会う人が暗い顔をしていたり落ち込んでいれば、目の前にイエスがいても気付かないということ、反対に、心に喜びが満ちてい…

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

昨日土曜日は、午前中「よきおとずれ」の編集・校正作業のためにカトリックセンターで仕事をしていました。午後は2時から、中町教会で4月5日結婚予定のカップルに結婚式のリハーサルをつけまして、3時半の船に乗って伊王島に戻りました。戻ってからはほ…

復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)

今日の祝いは、復活徹夜祭の喜びとはまたひと味違います。昨日は婦人たちの行く手にイエスが現れて復活の出来事を強めてくださいましたが、今日、日中の典礼で朗読されているヨハネ福音書の朗読箇所は、直接にはイエスの復活を見ない中で復活の出来事を信じ…

復活徹夜祭(マタイ28:1-10)

主の復活、おめでとうございます。説教の後、1人の女性の洗礼式を予定しています。縁あって中田神父からご家族のお父様が洗礼を受け、今度はお母様がほぼ1年後の今日、洗礼を受けることになりました。伊王島に住んでいるわけではありませんが、洗礼を受け…

聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)

昨日の説教で私は、イエスが弟子たちをこの上なく愛し抜かれたことを深く心に刻むように呼びかけました。今日もその呼びかけが響き渡ります。聖金曜日、主の受難の出来事は、神が人間をこの上なく愛し抜く、その極みだと思っています。イエスの十字架上の死…

聖木曜日(ヨハネ13:1-15)

今日の福音朗読箇所で、イエスの2つの言葉を思い巡らしたいと思います。1つは、「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)という箇所、もう1つは、「わたしのしている…

受難の主日(マタイ27:11-54)

人間はたくさんの所有しているものがあったり身につけているものがあります。それら自分の持ち物は、多くは人に分け与えることができます。人に分け与えることができないものは数えるほどしかありません。これは分けてあげられないというものでも、よく考え…

四旬節第5主日(ヨハネ11:3-7,17,20-27,33b-45)

今週は、「イエスが愛しておられた者」(11・3)とあえて説明が加えられているラザロのよみがえりについて感動的な場面が朗読されました。一連の出来事の中から、イエスの3つの言葉を手がかりに今週の糧を得ることにしましょう。イエスの3つの言葉を先に並…

四旬節第4主日(ヨハネ9:1,6-9,13-17,34-38)

誰でも人は、心で思っていることが言葉になるものです。寒いなぁと思っているから寒いと言うし、今日は春の陽気だなぁと思っているから春のようですねと言うのです。私たちはめったなことで心にもないことを言ったりはしません。中田神父が皆さんに語りかけ…

四旬節第3主日(ヨハネ4:5-15,19b-26,39a,40-42)

イエスは言います。「『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」(4・10)。イエスのこの言葉に、私は2005年8月に公開された映画「マザー・テレサ」…

四旬節第2主日(マタイ17:1-9)

私たちは、当たり前になっていることにはなかなかその良さが分からないということがあります。伊王島・高島の海はお世辞抜きで抜けるような青い海です。そしてその美しさやすばらしさは、私たちにとっては当たり前なので、観光客が船の乗り降りの時に「きゃ…

四旬節第1主日(マタイ4:1-11)

四旬節第1主日を迎えました。この日はイエスが霊に導かれて荒れ野に行き、悪魔から誘惑を受ける場面が朗読されます。イエスは悪魔の誘惑を一つずつ退けました。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4・4)「あな…

年間第4主日(マタイ5:1-12a)

今週は灰の水曜日からの四旬節に移行する年間の週です。四旬節ということは40日後にはご復活がやってきます。早いものです。ご復活が近くなれば、黙想会のことも気になるでしょう。今年の黙想会は川上神父様にお願いしてみました。私も、この小教区の先輩の…

年間第3主日(マタイ4:12-23)

先週はおもしろいことが起こりました。日曜日のお知らせで、「来週愛知県の明治村に見学に行くので、馬込教会の水曜日のミサはお休みです」と言いましたが、過ぎた水曜日のミサに、半分くらいの人がお休みしていました。あの時、「来週の水曜日」と言ったん…

年間第2主日(ヨハネ1:29-34)

人間の世界では、自分のことを証明するためには、「見える証拠を持っている」か「自分で結果を出す」か、いずれかが必要です。自分は頭がいいと言うのであれば、例えば学校の卒業証明書を持っているか、その場で知恵や知識を話すか、どちらかがなければ信用…

主の洗礼(マタイ3:13-17)

五島・鯛ノ浦に休みをもらって帰ってきました。水曜日に帰って、土曜日に戻ってきたのですが、「ゆっくりしていけばよかとにー。伊王島の人のまっとっとですねー」と言われてしまいました。冗談だったのか知りませんが、土曜日に帰らないということは、日曜…

主の公現(マタイ2:1-12)

先に、今週の予定をお伝えしておきます。月曜日は、昼から旅番組の取材を受けます。宇梶剛士(うかじたかし)さんという方が旅をしてまわっているという設定だそうです。宇梶さんがどんな人か知りませんが、私もテレビに出そうなので、ちょっと緊張していま…

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)

皆さん新年明けましておめでとうございます。年賀状の挨拶をくださった方もいらっしゃるかも知れません。小教区の皆さまには、この場を借りて年賀状のお礼に代えさせていただきます。今年もよろしくお願いいたします。昨日説教を書きながら、天気のことがも…