年間第11主日(マタイ9:36-10:8)

過ぎた週は教区司祭の黙想会でした。指導してくださったのは現在高松教区(四国)におられる溝部 脩(おさむ)司教さまです。この司教さまは、列聖列福特別委員会の委員長を務めておられます。説教の内容は殉教者が殉教していくその最後の証しについてでした。188殉教者の列福を前に、とても効果的な黙想会になったと思います。

説教は合計で7回ありまして、3回分は司祭の殉教者について、4回分は信徒の殉教者を取り扱いました。その中で、中浦ジュリアン神父についての説教を紹介しながら、今週の福音の学びを得たいと思います。

中浦ジュリアンは、日本に建てられた有馬のセミナリオで、イエズス会の宣教師バリニャーノによって育てられた司祭です。中浦ジュリアンは他の3人と共にローマに派遣されました。有名な「天正少年遣欧使節」です。ヨーロッパの文化に触れ、同時にカトリック教会の伝統を体験した上で、日本での宣教に就かせるためでした。

中浦ジュリアンは、ヨーロッパの文化、カトリック教会の伝統を学んだと言っても、決して西洋かぶれでは終わらない人でした。バリニャーノが少年使節をローマに派遣したのは、日本の土地に生まれ育った日本人が、ヨーロッパの文化に触れ、そして世界の教会体験を経て、キリスト教という信仰の本質に至り、納得して自分の言葉で信仰を語ることが最終目標だったのです。

中浦ジュリアンは宣教師バリニャーノの教育を受け始めたとき10代の少年でした。ところが、司祭になったのは38歳になってからでした。25年もの長きにわたって準備をして、迫害のさなかにある日本で宣教者として生きることを選んだのです。それは、キリスト教を十分学んだ上で、自分の言葉で、また日本人に伝わる話し方で宣教するための長い長い道のりだったのです。

私は、中浦ジュリアンを取り上げた回の説教で心に残ったのは、「自分の言葉で、日本人に分かるように話す必要がある」ということです。そのためには、ローマから伝えられたキリスト教を十分学ぶだけでなく、その上さらにどのように話したら分かってもらえるのかという「日本の伝統や習慣をより深く理解する」ことが必要になるのです。

今日の福音の中で、イエスは12人の弟子を呼び寄せ、使徒として派遣します。使徒として選ばれた弟子たちが、自分の言葉で、イスラエルの家の失われた羊たちに語りかけました。「収穫は多いが、働き手が少ない」(9・37)とは、この辺のことを言っているのでしょう。ただ命じられたからと言ってイエスから指示されたことを棒読みするのではなく、自分の言葉にしっかり置き換えて話す必要があったのです。

こうした「自分の言葉でしっかり語れる働き手」が必要だとイエスは強調します。そのためには、イエスの教えを理解しているだけではなくて、話す相手であるイスラエルの失われた羊の置かれている事情も十分理解できる人でなければならないのです。

迫害の時代に殉教していった中浦ジュリアンは、今日の12使徒が求められていたことを日本で確実に実行した司祭でした。ヨーロッパで学んだことを、日本人に伝えるためにいったん自分の中で十分に消化して、日本人に伝えようとしたのです。ここまで気を配らないと、ヨーロッパで育ったキリスト教をそのまま押しつけても、日本人には理解してもらえないし、日本に根付くこともない。当時の宣教師たちも分かっていたし、宣教師によって育てられた中浦ジュリアンも分かっていたのです。

中浦ジュリアンは最後は西坂で穴吊りの刑にされて殉教しています。そして、彼の最後の言葉は、「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である」という言葉でした。それは、教会と出会い、日本の文化を基礎に置いた教育を受け、さらに世界での体験を経てカトリック教会を理解し、キリスト教を自分の揺るぎない信仰として受け止めた日本人の叫びだったのです。

もっと大胆に言うと、「イエス・キリストの教えは、日本の中で根付くことができます。日本人の中に根付くことができます。わたしがそのことを命を賭して証明しましょう」という叫びだったと思います。

イエス・キリストの教えは、日本の中で、日本人の中に根付くことができる。私はその強烈なメッセージを今年の黙想会全体を通して受け取りました。そしてこれからは、そのことを生活の中で証明していくための日々になります。黙想会に呼び集められたすべての教区司祭が、同じ思いでこれから小教区に戻って全力を尽くします。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼先輩の教区司祭たちは海千山千の強者たちばかりだと思う。中浦ジュリアンを取り上げた説教で、「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である」と自分を証ししたことが心に響いたなぁと言いながら昼食の会場に入ったが、食事中はその話題が思わぬ展開をすることになった。
▼「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である。さすが中浦ジュリアン神父だね」「いやぁ、○○さんも負けてないでしょ。○○さんなんか、3回はローマに行ってるもん」「わたしはローマに3回行った○○○○神父である。どうね」。茶化しているのか本気なのか、こうやって食事の席を和ませている先輩方には恐れ入った。
▼今年の黙想会を終えてみて、1つのことに気付かされた。黙想会は、発見の場だと思う。何か小教区での司牧活動に行き詰まりを感じている時、司祭としてさらに力を得たい時、黙想会で立ち止まって考え、十字架のもとにたたずみ、発見を得てまた任地に帰っていく。その大切なひとときなのだと思う。
▼大切なひとときなのだが、黙想会で本当に何かしらの発見をするためには、黙想会に集まるまでに現場で問題点や自分の不足欠点に悩み苦しむというこれまでの真剣な歩みが前提になっているはずである。前提となるこれまでの生活が、何となく暮らしている、お気楽に暮らしている、問題意識もなく暮らしているのであれば、黙想会に行っても発見などあるはずがない。
▼今年も、葬儀などが飛び込んで最終日まで留まることのできなかった司祭がいた。彼らが急いで準備して小教区に戻る姿を見ていると、黙想会に来るまでが本当は勝負なのだとつくづく感じた。そんな反省に立ってみると、落第点だったなと言わざるを得ない。
▼告白ついでに、黙想会最終日の前日、カタナでぶらっと島原教会に行ってきた。殉教者をたくさん輩出した雲仙・島原。ここに足を止め、しばらく祈り、自分のこれからの歩みのために取り次ぎを願い求めてきた。有意義な単独ツーリングだったが、激しい筋肉痛は今も肉体から去っていない。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===