三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)

先週先々週と、一週間おきに五島の有川病院に入院している父の元に帰っています。肺ガンの診断で抗ガン剤の治療を受け始めたのが1月下旬でしたが、今はあちこちに転移も見られ、残りの時間をどんなふうに過ごさせるかに先生は心を配ってくださっています。食べることができないため、痛み止めの薬を混ぜた栄養剤の点滴を受けていて、痛みがない代わりに薬の影響と病気の進行の影響が会話に出ています。先週はミサの道具をもって病室に見舞いに行き、病室でミサをしました。

ミサは喜んでくれたのですが、パンを供える祈り「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧となるものです」と祈りを唱え、パンを高くかかげてパンを降ろしたら、父がそのパンに手を伸ばして口に運ぼうとしたのです。息子としては、あまり見たくない光景でした。

ほかにも、記憶が前後したり、会話している相手を取り違えたりすることもあって、こちらが強い気持ちをもって接していないと、力を落としてしまいそうになる場面もありました。一泊して翌朝様子を見に行き、「11時の船で帰るけんね」と声をかけた時に「島原に帰るとか」と言われ、悲しい気持ちになりました。今週も何とかして顔を見に行きたいと思っていますが、もしかしたら今度は、私の名前を言わなければ私が誰か分からないかも知れないという覚悟を持ちました。

たとえ、目の前でミサをしている私が誰なのか分からなくなっていても、ミサのことが分かっている間は、ミサをしてあげたいと思います。私が分からなくなることは悲しいですが、それよりも信仰に関わることが分からなくなるほうが私には心配です。信仰のことが分かっているなら、私はそれで良しと思いたいです。

先週の面会の中で、一つだけ微笑ましい場面がありました。長崎に帰る日の朝、私が顔を出した時父は正座していて、「おー来たとか」と言って、今日帰ることとか少しだけ話をしました。私は、いっぱい話したかったのだけれども、父は私の顔を見たあとすぐに横になり、眠ってしまったのです。眠っているのを邪魔するわけにもいかず、そのまま黙って寝顔を見て、時間になったので病室を出ました。

父は、息子の顔を見て安心し、眠ったのかも知れません。安心して眠っているんだなと思えば、私も慰められます。本当のところはどうか分かりません。もしかしたら私がそこにいることも分からずに、起きているのがきつくてただ横になっただけかも知れません。でも私は、安心して横になったのだなと思いたいです。

父の寝顔を見ながら、私は今週の説教について聖書と典礼を開いて考えていました。今週は三位一体の主日です。御父と御子と聖霊が、完全に一つになっているその神をたたえる日です。私が最初に考えたのは、御父と御子の一致が、何とかこの病室にいる父と子の姿で表せないかなぁと思ったのです。幸い、父の寝ている姿を見て、「この体験は説教に使えるかも知れないなぁ」と思いました。

私たちは身近な経験として、幼子が母の胸の中ですやすやと眠るということを知っています。たとえどんなに泣いていた赤ん坊でも、母親の胸に抱きかかえられると、安心して泣きやみ、しまいには眠るのです。その幼子にとって、母の胸元はどこよりも安心できる場所なのでしょう。そんな光景を見ると、母と子は、深い絆で結ばれて一つになっているのだなと感じます。

私は、この母と子の姿を目の前にいる父と息子である自分に置き換えてみました。父は子が側にいることで安心することができ、一時的にせよ不安から解放されます。その安心感があって、父は眠りに就いたのではないでしょうか。前の日の夕方、私が病室を出たあと、一人きりになって、夜眠れなかったかも知れません。今朝私が見舞いに来て安心し、眠れずに過ごした夜の疲れも手伝って、つい眠ってしまったのかも知れません。私は、父が安心して眠っている姿を見て、言い過ぎかも知れませんが、母親の胸の中で眠る幼子を思い浮かべたのです。

安心して眠った父と、息子である私との間を、静けさが覆っていました。ただの静けさではなく、何も話さなくても、合図を交わさなくても、親子の間は信頼の絆で結ばれていたと思います。父は、子を見て安心する。子は、父の姿を見守る。父と子の間には確かな絆がある。これは、ちょうど今週お祝いしている三位一体の姿に近いのではないかなと思いました。

御父と御子、また御父と御子を結ぶ聖霊。この三者は一つです。病室で、眠っている父を見ながら、そのことが分かりました。同じ時間を、同じ場所で、一つの絆で結ばれて過ごして、あー、三位一体の神の姿って、こんな感じなのかなと思ったのです。

もう一つ考えたことがあります。受け入れがたいことですが、まもなく父を神さまにお委ねしなければならない時がやって来ます。それは辛いこととは言え、失望するわけではありません。同じことが、福音朗読にも示されています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(3:16)。御父は御子をこの世に与えてくださいました。御子をこの世に渡すことは、よほどの思いだったかも知れません。それでも、悲しい出来事ではなく、愛に満ちた出来事だったわけです。

三位一体の神が、この世に御子を与えたという深い愛は、一時的にせよ御子をこの世に明け渡すことです。その決意を、病室の父親と息子である私との静かな時間の中で黙想することができました。大変有意義な時間でした。

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ちょっとひとやすみ
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▼父親の残りの時間もいよいよ短くなってきたようだ。担当医も、そのことを認めざるを得ない状況だと教えてくださった。また、今週のどこかで、水曜日か、木曜日かに上五島に帰り、病室でミサを捧げてあげたい。今度は、私が長男息子であることを分かってくれるだろうか。
▼いつどんな状況になっても親は子供のことが心配なようで、一人ひとり思い出しては、「あいつはとうとう結婚できずに終わるのだろうか」とか「どう言ってあげればあいつはおれの言うことを聞き入れてくれるのだろうか」とか言って、さんざん家族の心配をしていた。自分の心配は最後までしないのかも知れない。
▼皆さんは、両親とお別れしなければいけないというその日を考えてみたことがあるだろうか。特に長男、長女の方は、お別れの時に何を言おうか、どんなことを言葉にして集まった人々に最後の様子を知らせようかとか、考えてみたことがあるだろうか。こうじ神父は、ここ数年の間、「母のお別れのあいさつ」については考えたことがある。
▼具体的に、どんな説教をするかまで、考えている。それはある意味、まだまだ時間があると思っているので、考える余裕があったのだろう。もしかしたら、年齢から言っても順番が先に回ってくるだろう父の将来を予想するのが怖くて避けていたのかも知れない。今は避けることなく、考えなければならないところまで来た。
▼すでに何度か、父の葬儀を果たしている先輩を見てきている。いろんな話を説教の時にしている様子を実際に聞いている。ただ、いずれの場に立ち会っても、しっくりとは来ない。もしかしたら、今まででいちばん身近に感じたのは、一年後輩の司祭が説教した時の経験が自分には一番近いかも知れない。
▼今思い出せることは、謝っても謝りきれないことばかりだ。「バカな息子を赦してほしい」という題で説教したいくらいだ。せめて、最後の親孝行に、父について精一杯の見送りの言葉を用意してあげたい。そして、会話が成り立つ間に、少しでも最後の言葉を聞き取ってあげたい。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===