待降節第4主日(ルカ1:39-45)

今日の福音で、マリアの挨拶を受けたエリザベトに目を注いでみましょう。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言いました。「あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1・44-45)。救い主を宿したマリアがそばにいる時に、聖霊はエリザベトに働きかけ、彼女はマリアを高らかにたたえたのでした。

私たちは、約四週間のあいだ、イエスの誕生を待ち望んで、内的にも外的にも準備をしてまいりました。日曜日ごとに、降誕が近づいていることを感じさせる朗読が読まれました。馬小屋の飾り付けも済みました。赦しの秘跡を受けた方もいらっしゃるでしょう。馬込教会の子供たちはクリスマスミサに向けてセレモニーの練習を積み上げてきました。

こうして着々と準備し、いよいよ「今日・明日」というところまでやって来ました。残る僅かな時間を、どのように待てばよいのでしょうか。エリザベトがそれを教えてくださいます。彼女は、わが子の誕生のその日を待ちながら、心を神に向けていたのです。エリザベトの次の言葉から、彼女が心を神に向けていることが伝わってきます。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1・45)。

ひたすら、心を神に向けること。これが、あと半日に迫った降誕祭を迎える私たちの準備です。エリザベトにとってそれはわが子の誕生です。神の使いが夫のザカリアに「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」(1・13)と告げました。完全な信頼を寄せることはできなかったかも知れませんが、胎内の子が喜んでおどった、この時期までお腹の子が成長してくると、「主がおっしゃったことは必ず実現する」という言葉は確信に変わってきたことでしょう。

もはや、後戻りはない。神が与えてくださった喜びの日は、確実に近づいている。だから、エリザベトは心を神に向けて、神の言葉が現実になるその時を待つのです。彼女にとって、わが子である洗礼者ヨハネが生まれるその日は、自分たち夫婦の喜びの日として、いやそれ以上に、神に感謝を捧げる日として、はっきり目の前に思い描くことができたのではないでしょうか。私たちにも、もうすぐそこまで来ている喜びを思って神に心を向けなさいと、エリザベトは促しているのです。

神に心を向けたとき、人は何を思うのでしょうか。もっと言うと、神に心を向けたとき、人は何を思うべきなのでしょうか。この点についてもエリザベトは答えてくれます。それは、祝福と賛美、神への感謝ではなかったでしょうか。聖霊に満たされたエリザベトは、自分の心の中にあるものをすべて、あますところなく現したのです。

私たちも、これまでいろいろな方法で、イエスの誕生に向けて準備をしてまいりました。すべての備えが、きっと心のこもった、素晴らしい準備だと思います。今は、私たちの心を聖霊で満たしていただき、祝福と賛美、神への感謝の形で表現していただきたいのです。

エリザベトが聖霊に満たされて、心の中をすべてうち明けたように、私たちも聖霊で満たしていただき、神への思いが溢れ出るようにしていただくことにいたしましょう。聖霊よ、私の心をいっぱいに満たしてください。そうすれば、私は、あなたの助けによって、心の中にある賛美と感謝を神に打ち明けることができるでしょう。心の中の喜びを、じゅうぶん形に現すことができるように、どうか私の心を満たしてくださいと、イブのミサまでの時間、繰り返し願っていくことにいたしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼運転免許試験場のこと。受かっている人の話を聞いてみると、どうやら○○教習所でみっちり練習して受験しているらしい。手にしていたコース表に、さりげなく○○教習所の印鑑を発見した。受験○回目、またもや不合格になったその足で○○教習所に相談に行った。
▼「試験官は何か言いましたか」そこで正直に「一本橋がわずかに時間が足りてません、スラロームはわずかですが時間が超過していました。ほかにもカーブでふらつきが見られます。進路変更のときに合図を出しながらすでに車体が動き始めています、などを言われました」
▼「あー、それだけ指摘されるようだったら回数重ねても合格は難しいですね。ほぼ完璧に乗りこなせてないとダメですから」ときっぱり。「うちで5回くらい練習されてから受験なさるといいですよ」とも。そーんなに難しいのか。何より致命的だったのは、試験官から「うまく乗れてますよー」と言われた挙げ句に落とされたということだ。
▼これで、年内の合格は遠のいてしまった。それに、そもそも試験場で合格する理由さえも怪しくなってきた。どうしても乗りたいものもない。ただ単に「免許持ってるよ」という資格オタクに過ぎない。だったら十分練習させてくれる学校に行って、素直に卒業まで指導を仰いだ方がよいのではないか。そうかもね〜。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===