主の昇天(ルカ24:46-53)

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(24・50-51)主の昇天の祭日を迎えました。弟子たちとイエスとの距離は離れたのでしょうか。より近くなったのでしょうか。

不思議な体験をしました。釣り竿と会話を交わしました。ライトジギングのロッドなのですが、わたしがそばを通るたびに「海行きてぇな」「海行きてぇな」って言うんですよ。しばらくは相手にしませんでしたが、あまりにうるさいので「行け」と言い放ちました。

これが効いたらしく、釣り竿はわたしの痛いところを突いてきました。「連れてってくれよ。3月までは毎週毎週毎週毎週、どこかに連れてってくれたじゃないか。」これには参りました。願いを叶えてあげたいのですが、目の前の仕事を横に置いては行けません。もうしばらく待ってくれと、今回のところは宥めました。

わたしの耳がおかしくなったのかもしれません。でも釣り竿が訴えかけている気がしてならないのです。それがわたしの心の中で声となった。そういうことだと思います。道具は決して話したりはしませんが、道具が伝えたいことは、道具の持ち主には分かるのではないでしょうか。

福音朗読に戻りましょう。イエスは、ご自分の弟子たちを祝福し、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられました。イエスが天に上げられた時、弟子たちはイエスが遠く離れて行ったと感じたのでしょうか。

ところでイエスはどのように思っておられたのでしょうか。イエスは弟子たちをこの上なく愛し、すべてを教え、ことごとく思い起こさせてくださる聖霊の約束もなさいました。ですからイエスが父のもとに昇ったとしても、遠く離れて行ったとは考えてなかったでしょう。これまでと変わらず、むしろこれまで以上に、イエスは弟子たちの間にとどまり、弟子たちの中に生きていると考えていたはずです。

問題は、イエスの思いが弟子たちに十分理解できていたかということです。もしイエスのご昇天の際、弟子たちがイエスと同じ理解に達していたら、あるいは聖霊降臨の恵みは必要なかったかもしれません。聖霊の約束は、弟子たちの理解がまだ完成途上であることを暗示しています。自分たちのもとを離れていくのではないか、自分たちは置き去りにされるのではないかと心配していたはずです。

しかし弟子たちは考えるきっかけをもらって立ち直りました。使徒言行録はその様子を次のように描いています。「話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』」(使1・9-11)

復活したイエスは姿が見えなくなりましたが、もはや天を見つめている必要はありません。イエスの存在は弟子たちに残された数々のしるしから読み取れるのです。イエスの声さえも聞き取れるのです。約束された聖霊を受けるまではエルサレムにとどまりなさい。聖霊を受けたら地の果てに至るまでわたしの証人となりなさい。

天に上げられたイエスの姿をぼんやり眺めるのではなく、その向こうにある思いに目を向ける。御父のもとで絶えず呼び掛ける声に動かされ、地の果てに至るまでイエスを証しする。弟子たちは、今は不安の中にいますが、間もなく聖霊に満たされてイエスの復活の証人となります。イエスの声が聞こえている人として、証の場に立つのです。

振り返ってわたしたちのことを考えてみましょう。天に昇られたイエスは、わたしたちにも近くいてくださるのでしょうか。わたしたちのうちにとどまって、導いておられるのでしょうか。例を挙げてみたいと思います。

中田神父は司祭になって24年、幸いに毎週説教を続けてきました。父の葬儀の時とイスラエル巡礼の時で合わせて二度、日曜日の説教をしなかったかもしれませんが、あとは欠かさず続けてきたつもりです。

24年も説教が続けられたのはなぜでしょうか。単に言い方を変えたり例えを入れ替えたりすれば、24年続けられるものでしょうか。わたしはそうは思いません。わたしを含めすべての司祭が、イエスの声が聞こえているので日曜日の説教を続けることができると思うのです。復活し、天に昇られたイエスが語りかける声がなければ、才能だけで続けられるものではないと思うのです。

皆さんの中には、ほとんど休むことなく日曜日のミサに来ておられる方もいるでしょう。何年、何十年とミサにあずかることができるのは、努力したからと言うより、ささげられているミサの中でその人がイエス・キリストを見たからではないでしょうか。司祭が唱える奉献文の言葉を通して、イエス・キリストの声を聞いたので、これまで参加し続けることができたのだと思うのです。

家庭での祈りを欠かさず続けている人もまだまだいらっしゃるでしょう。単なる習慣だけで、何年も何十年も祈りを続けることができるでしょうか。「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18・1)とのイエスの言葉が聞こえているから、ここまで祈り続けることができたのだと思うのです。

わたしたちは皆、何かの形でイエスの声を聞いて今の信仰を維持しています。遠くからかすかに響く声ではありません。天に昇られたイエスは、わたしたちのすぐそばで、わたしたちの中で、今も「(エルサレムから始めて、)あなたがたはこれらのことの証人となる」(24・47-48)と声を上げているのです。わたしたちはその声に動かされて生きているのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼先週の続き。そこで平戸地区で印刷所がないか、コピー機を納入している業者に尋ねたところ、とある印刷所を紹介された。名前を聞いてギョッとした。前任地で福見教会百周年記念のためにパンフレットを制作してもらった印刷所ではないか。
▼ギョッとしたのにはわけがある。何度かやり取りをして完成した福見教会百周年記念ミサのパンフレットだったが、校正をやり取りしているうちに仕事のいい加減さに頭に来て、「あなたたちには金も払いたくない。もう二度とお世話にならない」と啖呵を切って終わった業者だったのである。
▼どんな仕事内容だったかは割愛するが、それでも印刷屋か、素人でもこんなミスはしないぞと、こてんぱんに言った記憶がある。その印刷所の代表取締役が、あいさつを兼ねて訪ねて来たいという話だった。ここは覚悟を決めて、わたしも謝って新しく付き合いを始めようと考えた。
▼その印刷所の社長は思いのほか若かった。雰囲気はマグロの初セリで毎年最高値で落札することで有名な回転寿司社長のようだった。「社長はわたしのことを知らないでしょうが、わたしはあなたの会社を知っています。以前依頼した仕事の出来に腹を立てて、二度と取引しないと言いました。こんな形でお世話になるとは思っていませんでした。当時のことは謝るので、これからよろしくお願いします。」
▼社長は何を言われているのかさっぱりわからない様子だった。わたしは前もって準備していた福見教会百周年記念ミサパンフレットと、当時数回やり取りした校正のゲラ刷りを示して、「こういうミスは、とてもじゃないが受け入れられなかったので、腹を立てたのです。すみませんでした」と説明した。社長は初めて事実を知ったのか、申し訳なさそうに謝ってくれた。
▼ここからようやく仕事の依頼である。背表紙が役目を果たしていない様子を実際の台帳を見せて説明し、状態の良いものを参考にして、同じように製本し直してほしいとお願いした。期間と、費用はこちらの希望を出し、教会の財産なので、立派に仕上げてほしいとお願いした。
▼まぁ人間のすることだから、腹を立ててきついことを言うこともある。しかし言われた相手もなぜ言われたのかを理解して、これからの付き合いで挽回しようという誠意を見せてもらった。2年後は田平教会の献堂百周年が待ち構えている。その時にはぜひ、立派なパンフレットを立派な仕事ぶりで作成してほしい。

† 神に感謝 †