主の昇天(マタイ28:16-20)

主の昇天の祭日を迎えました。イエスが天に昇られたことを、弟子たちを含めすべての人が喜ぶために、出来事をどのように理解するか、少し考えてみましょう。今週のまとめとして、「天に昇られたイエスはすべての人を見守ってくださる」としたいと思います。

最近釣りに行っています。これまではもったいないなぁと思われるほど、ボートも遊んでいることが多かったのですが、今年は割合よく使っていると思います。先週は浜串地区の定置網から少し沖に出たところで、50cmくらいのマゴチを釣りあげました。

おもしろい夢も見ました。ミズイカを釣り上げている夢です。わたしは浜串小教区に赴任してから一度もイカ釣りに行ったことが無いのに、なぜあんな夢を見たのでしょうか。ミズイカが逃げようとしてグイグイ引っ張っている感触もありましたし、慎重にタモ網ですくい上げる感覚もありました。不思議な夢でした。

さて、主の昇天について、2つのことを考えたいと思います。1つは、天に昇られたイエスをわたしたちはどのように思い浮かべたらよいかということです。もう1つは、天に昇られたイエスとわたしたちは、どのような関係にあるのかということです。

まず、イエスが天に昇られたことをどのように理解したらよいでしょうか。さきほどわたしが見た夢のことを話しましたが、人間は実際には実現不可能なことまで想像したり夢を見たりすることができます。その能力を最大限発揮して、ご昇天の出来事を思い巡らしてみましょう。

わたしたちの住むこの地球は、とても大きいので、ふつうであればその大きさを把握することはできません。ところが、宇宙飛行士は、地球から何万キロも離れるため、地球の大きさを実感することができます。わたしたちも宇宙飛行士が撮影した映像を見ることで、彼らが見ているものに近い地球の姿を想像することができるわけです。

人類の知恵のおかげで、わたしたちは実際には見ていなくても、青い地球を想像し、見ることができます。ただし、人間の知恵は限界もあります。遠くから眺めた場合、どこまでいっても地球は半分しか見ることができないのです。見えている反対側は、見渡せないのです。

天に昇られたイエスに思いを向けてみましょう。イエスが天に昇られたということは、天のすべてを見渡しているということになります。天とは、地球だけを指しているのではなく、神が造られたすべてのもののことです。天におられるのですから、太陽も月も星も、この地球も、すべてを見渡すことのできる姿でおられるのではないでしょうか。

わたしたちはつい、イエスが天に昇られたというとき、何かわたしたちと背格好が同じイエスを考え、そのイエスがどこか遠い場所まで昇られたことを考えがちです。もっと大胆に考えてよいのではないでしょうか。この地球も、太陽も月も星も、今は天に昇られたイエスの手の中にある。そう考えれば、わたしたち人類すべてがイエスの見守りの中にあることも理解できるのではないでしょうか。

次に、天に昇られたイエスとわたしたちは、今どのような関係にあると考えるべきでしょうか。朗読されたマタイ福音書第28章、弟子たちを派遣する場面がその理解を助けてくれます。イエスは弟子たちにこう言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28・20)

これまでわたしは、天に昇られたのに、いつもあなたがたと共にいると言われるその意味が今一つ掴めずにいました。けれども、イエスが天と地の一切の権能を授かっていて、天と地のすべてを見渡していると考えてみたときに、天に昇られたイエスがもっと近くに感じられたのです。

今、イエスがこの地球を包み込むように見守っておられるとすれば、それは確かに、世の終わりまで、いつも共にいてくださると言えます。「どこにイエスはおられますか」とイエスを探す必要はありません。イエスは天におられ、すべてを治めておられますから、わたしたちと共におられるのです。

エスが共におられることをより身近に感じられるようになったとき、わたしたちの目は次の目標に向けられていきます。わたしたちは洗礼によってイエスの弟子、イエスの友とされたのですから、すべての人にわたしたちの生き方を示し、イエスに導かれて生きる道に招く必要があるのです。

わたしたちに託された使命は、イエスが共にいてくださることで実現可能になります。もし、今年主の昇天を思いめぐらしたことでイエスが共にいてくださることがより近く感じられるようになったなら、今年は託された使命を果たすまたとないチャンスかもしれません。

エスが共にいてくださる生き方、イエスの導きに心を開いて生きる道が、あなたにとって意味と価値があるなら、わたしたちの生き方に意味と価値を見出す人も必ず現れると思います。その人に巡り合えるように、また同じ価値観を分かち合える人を教会に招くことができるように、天に昇られたイエスに、聖霊の恵みを願いましょう。

わたしたちが願い、まもなく与えていただく聖霊は、より確実に、イエスが共におられることを感じさせてくださいます。

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ちょっとひとやすみ
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▼熊本の国立ハンセン病施設「菊池恵楓園」を訪問し、盲人会の会員の方々と面会してきた。2時間ほどだったが、時間の経過も忘れていろんな話に花が咲いた。わたしたちのほうで歌のプレゼントと手作り品のプレゼントを用意していった。
▼お会いした方々はすべて70歳以上、中には90歳を過ぎている方もいた。80歳前後の人だが、とても元気で、ずっと座布団に座っておられた。わたしのほうがかえって疲れてしまい、椅子に座りたいなぁと心の中でこぼしていた。
▼盲人会の方々の1人が、歌を披露してくださった。驚くほどの声量、そして歌詞も一度も間違えることなく歌いきった。わたしたちは喜んでもらおうと様々に工夫しで訪問したのに、かえってわたしたちが心満たされて帰ることになった。
▼バス会社に依頼しての移動で、高速道路では金立(きんりゅう)と広川(ひろかわ)サービスエリアで休憩をとった。行きの広川SAで、「チャソポソ」と書かれたのぼりが立った食事処に目が釘付けになった。
▼たぶん、「チャンポン」のことだろうが、わたしの目にはどう見ても「チャソポソ」に見える。一緒にいたマリア文庫のメンバーに、「チャソポソって、どんな料理だろうか」と尋ねたら、その人は真剣に考えたようで、「聞いたことないです・・・。注文してきましょうか?」と言うので、笑いをこらえるのが大変だった。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===