復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)

最近NHKで何度も取り上げられたニュースですが、皆さんは御覧になったでしょうか。認知症で家に帰れなくなった女性が保護され、施設に預けられている様子をNHKの特別番組に取り上げたところ、女性が7年間行方不明になっていた妻だったという話です。

警察や自治体に名前を間違って引き継いだりした不運が重なり、迷子になったその日に保護されていたのに7年も見つけ出すことができませんでした。その間に認知症が進み、7年ぶりに再会したご主人は、厳しい現実と向き合うことになったのでした。

原因は人為的ミスだと思います。それをとやかく言うつもりはありませんが、人の犯したミスで、家族が7年も目の前から消える。情報がこれだけ共有される今の日本でこんなことが起こりうるということに衝撃を受けました。

昨年度の統計によると、平成24年度、認知症やその疑いで行方不明になった人が9600人いて、そのうち350人くらいは亡くなっています。だれにも見つけてもらえずに亡くなっていく人のことを思うと、胸が痛みます。他にも、何年も行方が分からないままの人がいるのだろうと思います。

今週、復活節第6主日に選ばれたヨハネ福音書の朗読で、イエスは弟子たちに「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」(14・18)とおっしゃいました。

わたしは、日本で行方不明になる約1万人の方々のことを、重ね合わせて考えました。彼らに、イエスのことばはむなしく聞こえるでしょうか。むしろわたしは、だれにも見つけてもらえずにいる人々にも、「あなたがたをみなしごにはしておかない」とのイエスのことばが届き、そして弁護者、真理の霊が与えられるに違いないと思うのです。

7年間身元が不明だった女性は、NHKの報道によってたくさんの情報が寄せられ、それがきっかけでご主人との再会を果たしました。自分がだれであるかを何も話せない状態になって、NHKが報道したとは言え、見つけてもらえたというのは、やはり「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」このイエスの約束が、社会を動かしたのだと考えています。何も話せない人であっても、御父が遣わしてくださった弁護者が、この人に代わって証言し、守ってくださったのだと思うのです。

わたしたちにみことばを当てはめてみましょう。イエスは、無条件で「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と約束してくださる方ですが、イエスを信じるわたしたちは、イエスを知らない人以上にみことばを信じて生きる必要があると思います。

つまり、イエスが無条件で「みなしごにはしておかない」と言ったからといって、自分から何も行動しないのではイエスを知らない人と変わらないと思うのです。イエスのみことばに信頼している証しとして、イエスの掟を守って生きることが期待されています。イエスの掟とは、「心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛する」ということです。

掟を守って生きると、何が明らかになるのでしょうか。イエスを知らない人にも無条件で「みなしごにはしておかない」というのであれば、イエスの掟を守って生きるキリスト者にはなおのことイエスの約束がとどまるということです。

そしてわたしたちの証しを、御父から遣わされる弁護者、真理の霊は支えてくださいます。イエスが示された愛の掟を守って生きるキリスト者が身近な場所で確実に目に留まるようになれば、愛の掟を与えてくれたイエスを知り、イエスにたどり着く人がもっと増えるでしょう。

そのときわたしたちは、「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」このみことばに触れることになります。

愛の掟を守るわたしたちの生き方が、多くの人に知られますように。愛の掟を守るキリスト者の中にイエスがとどまっておられ、聖霊キリスト者の証しを支えていることを多くの人が認めますように。

エスは、ご自分を信じる人をみなしごにはしておかず、ご自分を信じる人を通して、イエスを知らない人もみなしごにはしておかないお方なのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼今年も、国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園(きくちけいふうえん)」を訪問する時期がやってきた。この施設で暮らしている方々は、日本の政策によって社会から隔離された生活を強いられてきた人々である。
▼訪問すると決まってこの施設が入所者に対して行った厳しい処置のことが職員によって説明される。規則(入所者を管理するための規則)に反したということで食事を与えなかったり、罰として独房に入れたりしたことを話してくれる。かつて独房に使われた場所も案内してもらう。
▼入所者に対する職員の行動は、間違っていたこともあったと思う。しかし、法律と、それに基づく政策が間違っていたのだから、間違いに気付かなかったかもしれない。隔離するということ自体が間違っているのに、隔離しようと熱心に行動すれば、間違いも起こるに違いない。
▼法律は廃止された。だから施設を出て生活する権利は回復された。けれども施設の外ではまだ十分な理解が得られていないと思う。わたしたちが「これは正しい」と思いこんだことが間違っていた場合、間違いを正すのは容易ではないのである。
▼施設の中に、目の不自由な方々がおられる。この方々とわたしが現在代表を務めている「声の奉仕会マリア文庫」は30年来の関わりを持ってきた。今年もこの方々を訪ねて、一年ぶりの再会を喜び合うつもりである。最後まで施設で暮らすことになる方々と、ぬくもりのある時間を持つ。それがこの訪問の最大の目的である。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===