年間第33主日(ルカ21:5-19)

今日は、堅信の秘跡を受ける中学2年生に話しかけたいと思います。前もって断っておかなかったので、堅信式のミサにあずかれば、今日は務めを果たしたと考えて、朝のミサに来てないかもしれませんが、それはわたしの責任ですから仕方ありません。それでも、今日は、堅信を受ける受堅者に話しかけたいと思います。

今週の福音朗読は、年間を通しても特別に難しい箇所かもしれません。この世の終わりがやってくるとき、今日の朗読に書いてあるような恐ろしいことがいくつも起こるというのです。おそらく、1度読んだだけではとても理解することはできないでしょう。

まずは、面倒くさがらずに、2度3度と繰り返し読むことから始めましょう。堅信の秘跡を受ける人は、聖霊の7つの賜物を受けます。それは、「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し、敬う心」です。知恵と理解が聖霊の賜物として与えられるのですから、2度3度と読み返す努力と合わさって、きっと何かの理解が得られると思います。

繰り返し読むと、次のことに気が付くでしょう。それは、さまざまな恐ろしいことをイエスは予言しますが、同時にどういう心構えが必要かについても、ちゃんと話してくださっているということです。2つの箇所を拾ってみましょう。

「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。」(21・8)「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。」(21・9)

「惑わされないように」「ついて行ってはならない」「おびえてはならない」と、具体的な心構えを示してくれています。では、今拾い上げたようなことは、この21世紀に起こるような出来事でしょうか。「それは起こる」と、わたしは言っておきましょう。しかも、身近な場所で、それは起こると思ってください。

例を挙げましょう。堅信の秘跡を受けて、ますます教会の中で期待される人になっていきますが、堅信の秘跡を受ける皆さんの周囲は、神の恵みを全く理解しない雰囲気に充ち満ちているのです。これまで、学校の授業で、一言でも、次のような話が出てきたでしょうか。「神の語り掛ける言葉に耳を澄ましてみよう。きっと、あなたが進むべき道を、神が示してくださる。」おそらく、1度も出てこないはずです。

むしろ、「部活で心と体を鍛えよう。授業に真剣に耳を傾けよう。これらは、君が将来、高校や大学に行ったとき、社会人になったとき、役立つ人になるために大切なのだ。」そこまでしか話してくれないはずです。高校に行っても、大学に行っても、社会人になっても、堅信を受ける皆さんの周囲は、神の恵みについて一言も教えてくれないのです。

これは、形を変えたイエスの予言の実現だと思っています。「神の恵みなんてどこにもいらない。必要なのは、今学校で勉強し、部活で身につけていること。これより大事なものはないんだ。」わたしたちの周囲は形を変えて、「わたしがそれだ」とか、「時が近づいた」と言っているわけです。

けれども、「ついて行ってはならない。」このイエスの言葉を思い出しましょう。学校の勉強と、部活。これだけであなたの時間をすべて埋めてしまってはいけないのです。先生が学校と部活を大切にしなさいと言ったとしても、その2つで生活時間をすべて埋めてしまったら、道を間違えてしまいます。

皆が当たり前のように考えてしまっている雰囲気の中で、堅信を受ける皆さんは堂々と、別の生き方を示してください。それは、「勉強と部活が、わたしのすべてを形作ってくれるのではない。日々の生活の祈りの中で、また日曜日の礼拝の中で出会っている神が、いちばん深い場所でわたしを形作ってくれている。だからわたしは、教会に行く。」堂々と、証しをしてほしいのです。

もちろん、教会に堂々と行く皆さんには、ものすごい逆風が吹いています。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」(21・10-11)「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。」(21・12)「教会に1回も行ってないカトリック信者も、立派に学生生活をこなしているじゃないか。立派な社会人になっているじゃないか。あなたが時間をかけて出かける教会に、意味があるのか。」面と向かってそう言う人が現れるかもしれません。

エスはどう答えるでしょうか。「それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。」(21・13-15)堅信の秘跡が与えてくれる聖霊の7つの賜物は、必ずあなたを助けてくれます。

考えてみてください。立派に学生生活を務めても、立派な社会人になっても、聖霊の7つの賜物が注がれなければ、教会で神の恵みを受けなければ、何のために人は生きているのかさえ、確かな答えにたどり着けないのです。神だけが、人が生きる目的を教えてくれるのです。教会に1度も来ることなく、神の照らしと導きを受けずに、人生に目的を失っている人がどんなに多いことでしょう。日本には、生きることを断念する人が、年間3万人もいるのです。

堅信を受ける皆さんと、すでに堅信を受けたすべてのカトリック信者は、堂々と証しを立てましょう。わたしは、今日も明日も、人生の目的と意義を教えてくれる神に、礼拝と感謝をささげる。わたしは、すべての同級生の前で、神に証しを立てる。この証しのために、今日堅信の秘跡を受ける皆さんは招かれ、聖霊の7つの賜物をいただくのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼堅信を受ける中学2年生を、ようやく晴れ舞台に送り出すことができた。きっと、胸を張って今日の日を迎えてくれると思う。以前ほど、大人の信者になるんだよと強調しなくてもよいかもしれないが、聖霊の賜物は、格段に自覚を促してくれると信じている。
▼お祝いをしてあげよう。この小教区の受堅者には、オリジナルのプレゼントを用意してあげようと思う。ちょっと、中身には触れることができないが、聖書の中に響く神の声に、生涯にわたって耳を傾けることができるように、そんなプレゼントを用意したい。
▼お祝いに食事はつきものだ。中学2年生と相談して「焼き肉」でどうだ?と尋ねたら、それがいいと言う。ただし保護者からは、「底なしで食べますよ。お財布、大丈夫ですか。」という心配も聞こえている。まぁ、いいではないか。どれくらい食べるのか知らないが、財布の底が尽きるか、子供たちがギブアップするか、勝負しようじゃないか。
▼車の中にカメラを据えることにした。専用のドライブレコーダーではないが、まぁそんなもの。運転の様子を、公開しようと思っている。車内の声が聞こえるのがちょっと心配だが、こうじ神父の活動の一端を、味わってもらえたらと思っている。はじめは、「浜串−福見」「浜串−高井旅」これらのルートの往復を体感できるようなものを準備したい。
▼それが済んだら、各地の教会に行くとか、行事に参加するとか、そのほかにも可能なことがあればいろいろ撮影して「話しの森ホームページ」に動画投稿していく。こういうものはまずは自分が楽しければそれでよいと思っている。議論を巻き起こすようなキワドイものは載らないが、よかったら、見に来てほしい。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===