2005-01-01から1年間の記事一覧

年間第11主日(マタイ9:36-10:8)

司祭の黙想会に参加してきました。大阪大司教区の補佐司教様が黙想の指導をしてくださいました。大変若い司教様なので、私たちからは聞きやすいお話をしていただきました。その貴重な説教のうち、指導してくださった補佐司教様もいちばん心を砕いていたのは…

年間第10主日(マタイ9:9-13)

月曜日、久しぶりに魚を釣ってきました。イトヨリ釣りのつもりで出かけました。ちょっと前まで、「イトヨリはまだ早か〜」という声を背中から浴びながら出かけていたのですが、頑なにイトヨリ釣りにこだわった結果、思わぬ魚「シロアマダイ」に巡り会いまし…

キリストの聖体(ヨハネ6:51-58)

今週私たちは、「キリストの聖体」の祭日を迎えております。先週の三位一体の主日の説教で、神ご自身をお与えくださったという神の計り知れない業から三位一体の神秘を考えてみました。今週のキリストの聖体の祭日も、先週に続いて神が人間にご自身を与える…

三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)

短い朗読箇所でした。今日の朗読から、三位一体の主日に合わせて、御父、御子、聖霊の栄光を等しくたたえたいと思います。今日の朗読から三位一体の神を考える鍵を探すとすれば、神が、御子を世にお与えくださったという朗読のはじめの部分だと思います。「…

聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)

過ぎた一週間で、珍しい体験をしました。そのうちの三つを紹介します。と言っても、大切なのはそのうちの二つです。時間の順に並べますと、一つ目は、夜中の2時半に司祭館のチャイムを鳴らした人がいました。実はその日、どうやら部屋の電気を付けっぱなし…

主の昇天(マタイ28:16-20)

私はこちらの小教区に来て、いっぺん教会学校に来る子どもたちの頭をスイカのように二つに割って、中がどうなっているのか見てみたいと思うようになりました。こんなことを思ったのは生まれて初めてのことです。どう言えばよいのか、私もまだ整理がついてい…

復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)

連休初日の金曜日、なかなか出る機会のない修道院と司祭館の方々を連れて「長串山(なぐしやま)つつじ祭り」に出かけてきました。ちょうど雨が降る前のいちばん見頃のときに当たって、つつじが目に鮮やかでした。きれいに咲き誇っていたのですが、写真を撮…

復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)

ようやく新しい司祭館に引っ越しいたしました。引っ越してみるといろいろ気付かなかったことに気付くもので、これからいろいろ便利に暮らすことを考えないといけないなあと思いました。勉強机を置いている海側の窓から景色がよく見えるのですが、土曜日は釣…

復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)

先週大司教様を迎えての司祭館祝別式と交わりのミサには、大勢の方においでいただき、喜びをともにしていただきました。感謝申し上げます。何とか天気が持ちこたえてくれたおかげで、ほとんどの儀式を滞りなく行うことができました。残念ながら多くの信徒の…

復活節第3主日(ルカ24:13-35)

復活節第3主日がやって来ました。まず、この日曜日にわたしの頭に浮かぶことは、御復活明けの二週間後の日曜日は、司祭の移動の日だなあということです。いろんな教会で転勤した司祭が最初の日曜日を迎える日が、この第3主日です。私も、ちょうど一年前に…

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)

すでに皆さんの多くが何らかの形で教皇様の容態が悪化し、死の危険に瀕していることを耳にしていると思います。強靱な忍耐力でみずからの病と闘ってきましたが、最後の時間は神が痛みを和らげてくださり、平穏な時間を与えていただけるようにと願っています…

復活の主日(ヨハネ20:1-9)

あらためて、主の御復活おめでとうございます。福音朗読に選ばれた箇所は、マグダラのマリアがイエスを収めた墓へ出かけてみると、墓は空であったという出来事が選ばれました。イエスは復活して墓にはいない、墓以外のどこかほかの場所で、あるいは墓以外の…

復活徹夜祭(マタイ28:1-10)

主の御復活おめでとうございます。今年は主日の典礼の暦は三年周期の一年目、A年を祝っていますので、朗読はマタイ福音書です。マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行ったところから物語は始まっています。この一連の出来事の中から、私は今年初…

聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)

今日私たちは、私たちを救うお方が十字架で命を捧げたことを思い起こしています。断食の務めを果たしたり、午後3時の十字架の道行きに参加したりして、心の準備をしてきました。特に午後3時の十字架の道行きに参加された方は見てお分かりと思いますが、肩…

聖木曜日(ヨハネ13:1-15)

今日、聖木曜日に私たちは祭壇を囲み、主が弟子たちと一緒に「感謝の祭儀=ミサ聖祭」を制定し、弟子たちには司祭職を授けたことを記念しています。いろんな面を説教の中に取り上げることができるでしょうが、2005年の聖木曜日、私たちのこの教会の中で考え…

受難の主日(枝の主日)(マタイ27・11-54)

今日の朗読は、役割分担を取り入れて、ふだん以上に場面の雰囲気を味わうことができるように工夫しています。ついでの話なのですが、こうやって役割分担が可能なのであれば、ふだんから、たとえば放蕩息子の話などは、父親・弟・兄・僕たちなど、それぞれ役…

四旬節第5主日(ヨハネ11:1-45)

私事で申し訳ありませんが、間もなく来る三月十七日は私が司祭に叙階していただいた日です。十七日を迎えると十三年間が満了したことになり、十四年目に突入することになります。十年目までは確かに一年一年という感じがありましたが、それからはあっという…

四旬節第4主日(ヨハネ9:1-41)

だんだん日差しも強くなり、暖かい日も一週間のうち何日かは混じるようになってきました。暖かくなると人も生き物も動き出すわけで、今お借りしている家から窓をちょっと見ると、教会を見に来る人が確実に増えているのが分かります。ですが私はお節介ではあ…

四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)

皆さんは、古代の植物の種を蒔いて古代の植物を現代によみがえらせるという話を聞いたことがないでしょうか。調べてみると、のちにハス博士と呼ばれるようになる大賀一郎という植物学者は、古代のハスの種子から立派に花を咲かせたことが知られています。こ…

四旬節第2主日(マタイ17:1-9)

先週は前任地の太田尾小教区にミサを捧げに行き、司祭館建設の寄付の依頼をお願いしてきました。ついこの前までいっしょに苦労し、困難な場面もいっしょに乗り越えてくださっただけに、お願い事で出向くのは心苦しかったのですが、待っていた皆さんは快く迎…

四旬節第1主日(マタイ4:1-11)

思いがけないチャンスを与えていただきました。皆さんとこうしてミサを捧げるのは十ヶ月ぶりです。今回は小教区の行事との兼ね合いで間瀬教会の説教だけをさせていただくのですが、近況報告と今週の福音の分かち合いをしたいと思います。このたびの司祭館の…

年間第5主日(マタイ5:13-16)

今日は投票日です。必ず、一票を投じましょう。さて、私は必要に迫られてたくさんの人の名前を覚えます。何よりもまず赴任している教会の方々の名前をできるだけ覚えます。それは当然のことですが、司祭に転勤は付き物ですから、転勤すれば行った先の教会の…

年間第4主日(マタイ5:1-12a)

今週の説教に入るに当たって、生きているあいだにこの言葉は決して言わないだろうなあという言葉を考えてみました。一つだけ紹介すると、私が「夢彩都」とか「浜の町」の商店に行って、「手を挙げろ」とは、たとえ何回生まれ変わっても言う機会はないだろう…

年間第3主日(マタイ4:12-23)

素晴らしいもの、素晴らしい人を言い表す時に、過去に現れた素晴らしい物や人になぞらえて表すことがあります。私は大相撲大好きなのですが、その中で、先場所あたりからものすごく力をつけてきた力士がいます。白鵬(はくほう)関です。日本人ではありませ…

年間第2主日(ヨハネ1:29-34)

今日の朗読福音に登場する洗礼者ヨハネの証しには、一つの時間の流れを見て取ることができます。この時間の流れに注目して、私たちも今週一週間の糧を得ることにいたしましょう。まずはどこにその時間の流れが見られるか、洗礼者ヨハネの語る言葉を少し区切…

主の洗礼(マタイ3:13-17)

年末年始に大変な目に遭わされた風邪もようやく治りました。まわりの方の心遣いはありがたいもので、金柑をもらったりあんず酒をもらったり、それらのおかげで辛いときずいぶん楽になりました。おおいに励まされたのは年賀状の話です。とある馬込の方が今度…

主の公現(マタイ2:1-12)

今日は主の公現の祝日です。公現という漢字からも読み取れるように、幼子が公の面前に現れる、学者に代表される異国の人々にも王として示された祝日と言ってよいと思います。今年の学びとしては、学者たちを幼子の礼拝に導き、ヘロデ王を慌てさせた「星の働…

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)

皆さん明けましておめでとうございます。新しい年も、よろしくお願いいたします。皆さんといっしょに、今年も信仰の道を歩んでいきたいと思います。新年の初めにまずお断りしておかなければなりませんが、もしも、年賀状のあいさつを出してくださった方がい…