キリストの聖体(ルカ9:11b-17)

キリストの聖体の祭日です。イエス・キリストがわたしたちを養う食べ物になってくださいました。そしてこの不思議なわざに、弟子たちの手足で届けていくという弟子たちの協力を求められました。人間の考えを越えた神の働き方について学ぶことにしましょう。

教区司祭の黙想会に参加してきました。今回の黙想会期間中に萩原神父さまと来月5日の打ち合わせをしてきましたので、その話を分かち合いたいと思います。

萩原神父さまとは、おもに典礼のための打ち合わせをしてきました。ここ数週間は白の祭服を着用する祭日が続いていますが、6月5日は年間第10主日で、祭服は緑に戻ります。「神父さまのお祝いをするミサなので、祭服は白でもよいと思いますが、どうしましょうか」とお尋ねしたら、「典礼に従い、祭服は緑にしましょう」という返事でした。

萩原神父さまとわたしとは、30年前からの長い付き合いです。わたしが大神学院の神学科に進み、スータンを着始めたころに郷里の鯛之浦教会に萩原神父さまがやってきました。わたしと、2年先輩の葛嶋神父さまの助祭叙階、司祭叙階は萩原神父さまが主任司祭の時だったのです。

また、わたしが助祭の時に萩原神父さまも叙階25周年の銀祝を鯛之浦教会で迎えました。あれから25年経ち、わたしが田平教会に赴任したことによって、司祭として送り出していただいたわたしが萩原神父さまの金祝をお祝いする側に回るという不思議な縁に恵まれたのでした。

ちょっと話はそれますが、萩原神父さまは人間的には2つの面を持っていました。その一つは「何とかなるさ」という面です。わたしが助祭だった時、小学生の侍者を連れて長崎市内と外海の教会を案内して回ってほしいとお願いされました。「プログラムはお任せします。行ってらっしゃい」とだけ告げてすべてを任せてくださったのです。任せてもらい、無事に務めを果たしたことで成長させてもらったと思っています。

もう一つは、短気な部分です。「瞬間湯沸かし器」でした。大神学院が夏休みに入り、帰省して司祭館にお土産を持って挨拶に行きますと、司祭館から大声が聞こえるのです。評議会で語気を強めている雰囲気でした。わたしは司祭館のチャイムを鳴らすのをためらい、お土産とあいさつは翌朝のミサの時に後回しにしたのでした。「短気は損気なんだけどなぁ。」似たような場面に立ち会ったことが2度ありました。

それでも、わたしは萩原神父さまによって育てられ、司祭職に送り出されたと思っています。主日のミサは鯛之浦で2回、船隠、佐野原、頭ヶ島それぞれ1回、合計5回のミサと説教がありまして、そのすべてにわたしは助祭としてついて行き、説教は田平教会で言えば二番ミサ以外はすべてわたしが担当しました。日曜祝日毎に4回説教をして、助祭の期間を鍛えてもらったことは一生の宝でした。

長くなってしまいました。福音朗読に戻りたいと思います。弟子たちは、一日の終わりにあたり、イエスに進言しました。「群衆を解散させてください。」(9・12)弟子たちのこの言葉には、単に「今日はこれで終わりましょう」だけではない、隠された意味があるかもしれません。

神の国について語り、治療の必要な人々をいやす」この仕事は大まかに言うと祭司の仕事です。祭司の務めは一日が終わればまた次の日に果たせばよいわけです。「先生、祭司の務めは終わりにしましょう。群衆は生活に戻る必要があります。食べ物を与えるのは先生の仕事ではないです。」そういう意味合いが込められていたのかもしれません。

「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」(9・13)イエスは単なる祭司ではありません。祭司であり、預言者であり、王であるのです。ひとことで言うなら「主でありメシアである」お方なのです。主でありメシアである方の務めは、日が傾いてそれで終わりなのではなく、どこまでも民の必要に答える必要があるのです。

昼も夜も、絶えず叫び求める民に答えるために、イエスはご自分が食べ物となることを願われました。御聖体です。ご自分が食べ物となることで、「すべての人が食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった」(9・17)あの豊かさを味わうことができたのです。

エスを信じる人は、五千人にパン五つと魚二匹という絶望的な状況でも、満たされる体験ができます。35年前、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が松山でミサをささげた時、人々は寒さに凍えましたが、教皇様を一目見た。教皇様のミサにあずかれた。そのことだけで寒さを忘れました。

長崎市内の滑石教会で、お仕えしていた主任司祭が年末に肺炎で急死したとき、クリスマスは喜べるはずがないと思っていましたが、希望の持てるクリスマスを神様は用意してくれました。聖地巡礼に連れて行ってくれた島本大司教様が亡くなられたとき、あまりのことに何も手につきませんでしたが、当時巡礼に参加した青年たちが立派に育ち、今は慰められています。絶望的な状況にあって、イエスがご自分を食べ物として与えてくれたおかげで、何度も有り余る豊かさにあずかったのです。

一つ、ここに必要なものがあります。弟子たちの働きです。イエスが五つのパンと二匹の魚を群衆に配った時、弟子たちの協力がありました。今わたしたちの手足を必要としています。御聖体はいつもわたしたちのために用意されていますが、それを配る司祭が必要で、「この人は御聖体を必要としています」と案内してくれる信徒が必要なのです。

わたしたちの食べ物となられたイエスは、わたしたちの絶望的な状況にあって豊かになる体験を与えてくださいます。特に聖体祭儀、ミサの中で体験させてくださいます。そして、キリストの聖体に豊かにされるには、奉仕者である司祭、修道者、信徒がこれからも必要なのです。

エスが五千人を満たしたあの体験を現代に再現するためには、奉仕者が必要です。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」このイエスの言葉に従う奉仕者がわたしたち田平教会に与えられますように、ミサの中で恵みを願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼黙想会で思わぬ餌に引っ掛かり、釣り上げられてしまった。例えるなら、ふつうであればたやすく見破る疑似餌に引っ掛かった魚のような気分だ。日本カトリック神学院東京キャンパスに派遣されている後輩の長崎教区司祭N師が黙想会に参加していて、声をかけてきたのが始まりだった。
▼「東京の大神学生たちのために『月の静修(ミニ黙想会のようなもの)』を引き受けてくださってありがとうございます。」「はぁ?知らんぞ。」「またまたぁ(笑)指導をしてくれる神父さまの名前の欄に、ちゃんと先輩の名前書かれてましたよ。」
▼「何の話だ?俺は何も知らんぞ。」「だって先輩、神学院副院長である鹿児島教区のN師の電話依頼を引き受けてくれたんでしょ。快く引き受けてくれたって言ってましたよ。」わたしの頭はさらに混乱し、本当にそういうやり取りがあったのか確認してくれと念を押した。
▼翌日のことである。前任地である浜串教会に赴任したS師がわたしのそばに来て、神妙な顔でこういった。「先輩、落ち着いて聞いてください。実は最近、日本カトリック神学院東京キャンパスから浜串教会に電話がありまして、『月の静修を引き受けてくれ』という依頼があったんです。わたしは当然、自分に依頼されたものだと思い、よく考えた上で『わたしでよければ』と言って引き受けました。」
▼「東京キャンパスで働いている鹿児島教区のN師は、人事異動があったことを知らなかったようで、浜串に中田先輩がいるものだと思い込んで電話をしていたそうです。わたしに名前を聞いてくる雰囲気でもなかったので、まさか人違いで依頼しているとは思わず、引き受けたのです。」
▼「ところが今朝、長崎教区から東京キャンパスに派遣されているN師と月の静修の確認をしてみて、お互い間違いに気づいたんです。東京キャンパス側は中田先輩に依頼しているつもりでした。引き受けたのはわたしですが、東京キャンパス側としては中田先輩が受けてくれたことになっているんです。お分かりでしょうか?」
▼「知らん知らん。俺は知らん。」「先輩。そう言わずに、ぜひ東京に行って務めを果たして来てもらえませんか?」「お前が引き受けたんだろう?お前が行けよ。」この時点でわたしは笑いが止まらなくなっていた。一度も内容を聞かず、返事もしていないのにわたしは東京で講話をすることが決まった。父イサクから祝福をだまし取るヤコブの物語を思い出した。

† 神に感謝 †