年間第22主日(マルコ7:1-8,14-15,21-23)

9月に入りました。子供たちにとっては夏休みが終わり、新学期に向かう心の準備に今週の説教を聞いてくれると嬉しいなと思います。

8月最後の週に、年間を通して平日にミサの侍者と祈りの先唱をしてくれる子どもたちに呼びかけて下五島に行ってきました。「福江に行ってきた」と言ったほうがわかりやすいのかもしれません。

田平教会出身の啓輔神父様が福江教会の助任なので、思い切って案内をお願いして下五島の教会をあちこち巡礼して回ることができました。宿泊は、名前は忘れましたが井持浦教会そばに建てられている立派な巡礼宿に子供たち保護者たちは泊めさせてもらいました。

この巡礼宿は私の同級生が井持浦小教区の主任だった時に苦労して建てたものです。ついでに話しますと、同級生の神父様は資金集めに苦労しておられ、太田尾教会の私のところまで協力を願いに来たのでした。神学生時代から仲の悪かった私に頼みに来たのですから、よほど困っていたのでしょう。お金を貸しました。余談ですが貸したお金が返ってきたのは去年でした。

子供たちと教会巡礼、海水浴のおまけまで付いて楽しい旅行でしたが、個人的に行ってよかったと思ったのは水ノ浦教会です。この教会の敷地内に、野外の十字架の道行が設置されています。私はこれを見てすぐに、「あー、これが田平教会にあったらいいなぁ」と思いました。

歩きながら、キリストの十字架の道をお供する。もちろん聖堂内でも十分な恩恵を受けることができますが、これが野外でできたらどんなに素晴らしいだろうと思いました。場所は思い描いている場所があるので、あとは土地の所有者にぼちぼち相談に上がって、形にしたいと思います。

福音朗読に「昔の人の言い伝え」をなぜ守らないのかとイエスの弟子たちにファリサイ派の人々が詰め寄る場面があります。「昔の人の言い伝え」を大事にするファリサイ派の人たちは決して言い伝えに凝り固まった人たちではなく、もともとは聖書の教えを実生活に生かそうと努力した人たちでした。

ところが彼らの向かった先は、神の思いを実生活に活かすところまでたどり着いてなかったのです。「清い手で食事をすること」はたしかに神の望みですが、食器だけでなく家のもの一切合切洗い清めて食事をしなさいとは望んでおられないのです。細かな規則を作りすぎたあまり、「清い手で食事をする」ことから遠く離れていってしまいました。

さて十字架の道行を思い出してほしいのですが、みなさんが十字架の道行で思い出すことはどんなことでしょうか。もしかしたら、「十字架の道行は四旬節にするもの」「条件が整えば贖宥を得られる」そういった事かもしれません。

けれども今並べた2つのことが、もし十字架の道行の信心に取り組むのを難しくしているとしたらどうでしょうか。もし「十字架の道行きは四旬節にするもの」という考えがこの信心業を私たちから遠ざけているなら、私たちもファリサイ派の人たちと同じ過ちに陥っているのではないでしょうか。

十字架の道行は、イエスの受難・復活までの場面を思い起こす信心業のはずです。もっと頻繁に、この信心に加わって、イエスのご受難・ご死去・ご復活を黙想できたらと思うのです。十字架の道行を終えて疲れたと感じるのではなく、喜びを感じて帰ることができれば。この教会に野外で十字架の道行を設置したいと思っている私の狙いです。

伝統的な信心業に興味を失っている人は多いと思います。十字架の道行もそうです。こんな流れだからこそ、神への忠実を呼び覚ます信心業を次の世代に伝える工夫が必要だと思います。信心業は、神の思いを実生活に活かす助けとなります。私の在任中に、たとえば十字架の道行のできる「祈りの園」を設けて、親から子に、重荷ではなく喜びと感じられるような伝え方を学ぶ一助ができればと願っています。

「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。」(7・14)イエスは神の思いが何であるかを確実に教えてくださる唯一のお方です。私たちが神の望みをどのように実生活に活かすことができるのか、常に教え導いてくださいます。私も、この教会に熱望している「祈りの園」の計画が本当に神の思いを学ぶ場所になりうるのか、イエスの照らし、導きに心を開いて教えを請いたいと思います。

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼最近よくドラマを観る。韓国の朝鮮王朝時代のドラマばかりだが、ドラマに「ドラマ」があることをようやく教えてもらった。昔、山口百恵とかが出ているドラマを観た頃は、「ドラマ」を理解できる年齢ではなかったが、今は「なるほど、この人たちがドラマを展開する人たちなんだな」とか、「あー、こういう形で再開して、次の展開に進むのか」と考えが及ぶようになった。
▼ドラマを全部見た挙げ句に、Amazonなどを検索してDVDを買い求める。だったらDVDだけ観たらどうなの?と言われそうだが、展開を知った上で観ても面白いものは、まぁ、買っても損はないと思っている。最近観た中で特に良かったのは「根の深い木」と「チョン・ドジョン」だろうか。
▼なかでも「チョン・ドジョン」は景福宮を設計した宰相だから、韓国旅行をしたあとでとても親近感を覚えた。冷静さと情熱で国を前に進めていく姿、「生き馬の目を抜く」そんな政治の荒波を渡る姿、実生活でも考えさせられることがある。
▼時代劇のキャストは、ある程度のメンバーが入れ代わり立ち代わりして配役を担っている。それは長短あって、「中級官吏」の役割だった人が別のドラマで「王」の役割で登場したりすると「あれっ?」と思ってしまうが、最近はそれも慣れっこになってきた。かえって「女官長」まで上り詰めた女優さんが「まずしい猟師の妻」だったりするととても面白かったりする。しばらくはドラマを観そうだ。
▼ところで「ドラマを観ながら韓国語が覚えられるか?」という疑問に私は「すべての韓国語を覚えられるとは言わないが、『なるほど、こう言うのか』と頷くことはある」と言っておこう。ドラマで韓国語をマスターするというのは誇張だと私は思っている。

† 神に感謝 †