復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)

あらためて主の復活おめでとうございます。今年の聖週間、いちばん悔やまれるのは聖火曜日です。前もって聖週間のミサ日程を配って、聖火曜日に浦上での聖香油ミサに参加するので浜串の朝ミサは休みにしていました。

今年は聖木曜日を福見教会で行いましたが、ミサができた日を数えると、福見教会は月曜日、木曜日、復活徹夜祭で、浜串教会は聖火曜日を休みにした関係で水曜日と復活徹夜祭しかミサができませんでした。

今年のような典礼当番の年は、聖火曜日は絶対に休まないほうがいいと思いました。次回以降の反省として、活かしていきたいと思います。もちろん、その時までわたしが居れば、という条件付きです。

では福音朗読に移りましょう。今年の学びを得るために、「見る」という動作について考えてみたいと思います。3つ取り上げます。マグダラのマリアが、「墓から石が取りのけてあるのを見た」(20・1)これが1つ、次にシモン・ペトロが「墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た」(20・6)という場合、そして最後にイエスが愛しておられたもう一人の弟子も墓に「入って来て、見て、信じた」(20・8)この3つを振り返りましょう。

マグダラのマリアが墓から石が取りのけてあったのを見たのは、遠目から見て、あまりにもびっくりして引き返したと想像できます。彼女は慌てていて、よく考えると墓の中は見なかったのに「主が墓から取り去られました」(20・2)と言ったのかもしれません。

次にペトロは、墓に入り、亜麻布を見ました。亜麻布はイエスのご遺体を包んでいたものですから、何かが起こったことを予感させます。けれども、まだこの時点でペトロはイエスの復活に思い至りませんでした。

最後に、イエスが愛しておられたもう一人の弟子は、「入って来て、見て、信じた」のでした。ここで見落としてはいけないのが、「何を見たのか」が書かれていないということです。状況からして、墓の様子を見て、信じたということでしょうが、ヨハネ福音記者はわざと、「何を見たのか」を示さず、最後の場面は特別な「見る」であったことを読者に考えさせているわけです。

特別な「見る」とはどういうものでしょうか。それは例えば、人が人に「眼で合図をする」そういう場合に似ています。「こちらに来なさい」とか、「次はあなたの番だ」とか、相手に目を遣るだけで、相手が理解することがあります。お互いに目が合った時、目に何かが書いてあるわけではありませんが、相手はその意図を汲み取るのです。

それは、「見る」ということが「理解する」ということと同じ働きをしているとも言えます。イエスが愛しておられたもう一人の弟子の「見て、信じた」というさまは、「すべてを理解し、そして信じることができるようになった」ということだったのです。

エスは復活し、墓から出て行かれました。墓に向かった人々は、イエスを見ませんでした。けれども空の墓を通して、復活したイエスはこの人たちを「ちらっと見る」段階から「よくよく見る」段階へ、そして最終的に「すべてを理解し、信じる」段階まで導いてくださるのです。

それはわたしたちにとっても同じことです。イエスの復活は、わたしたちの生活に起こる出来事を、「なんとなく見る」状態から「よく見つめ直す」状態へ、そして最後に「出来事の意味を理解し、その出来事を通してイエスを信じる」ところまで導いてくださるのです。

わたしたちには、簡単には理解できないことがいろいろ生じます。家族を失うこと、人生の大きな挫折を味わうこと、取り返しのつかない失敗などです。こうした深い闇、悩みを、「見る、さらによく見る、そして意味を理解し、イエスに感謝できる」そこまで、復活したイエスは導いてくださるのです。

ここまで導いてくださる復活したイエスが、わたしにとって大切な方であるなら、自分ひとりにとどめず、イエスを知らない人に告げ知らせるべきです。出来事の意味を見いだせず、途方に暮れている人に、意味を理解させてくださるのは復活したイエスだと知らせに行きましょう。イエスの復活は、わたしたちを行動へと駆り立てるものなのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼聖週間の火曜日、この日は浜串教会のミサの日で、ミサの時間は朝6時。前日、実家に帰り、夜中の1時に浜串に帰り着いた。それから準備をしてベッドに入ったのだが、朝とんでもないことになっていた。朝目覚めたのは6時9分だったのである。
▼驚いてパジャマのまま祭服を着替える「香部屋」という部屋に向かった。だが信者が集まっているわけでもなく、ミサの準備もなされていない。どういうことだろうと頭が混乱しながらも、ひとまず着替えてもう一度香部屋を覗きに行った。やはり誰もいないし、その後司祭館のチャイムを鳴らす人もいなかった。
▼キツネに包まれた状態でフェリーターミナルに向かい、朝8時のジェットフォイルで長崎へ。長崎では聖香油のミサに参加し、年齢の近い司祭にこの日のことを話すと、「そりゃぁきっと、ぐっすり寝ているお前に遠慮して、声をかけなかったんだろう」と言う。
▼しかし、わたしの印象ではミサ前の教会の鐘も聞こえなかったし、ミサが始まる前の祈りも聞こえなかった。聖香油のミサを終え、夕方に浜串の司祭館に帰り着くと、まだ賄いのシスターが残っていたので、恐る恐る「今朝、何が起こったの?」と尋ねてみた。
▼するとシスターは、「わたしたちは福見修道院からミサのために浜串教会に来たんです。けれども、教会の電気はついてなかったし、祭壇もミサの準備はなされていませんでした。『火曜日の朝ミサはお休みです』って言ってたかもしれないなぁと思いつつ帰りましたよ」と答えてくれた。
▼最後の最後に思い出した。「聖週間のミサ日程」というのを早くに配布していた。よく見ると、「火曜日、聖香油のミサで長崎行き。浜串の朝ミサ休み」と書いてある。ようやく合点がいった。配布した日程表からまた変更になったことを知らせなかったから、日程表の通りに浜串教会の信者さんは休んだのである。朝ミサは可能だったので、大事な聖週間に、1日分のミサを取り上げてしまい、申し訳ないことをしたと思っている。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===