復活徹夜祭(マタイ28:1-10)

主のご復活、おめでとうございます。今年の復活のメッセージとして、「確かに、あなたがたに伝えました」という天使の言葉を選びたいと思います。

エスが埋葬された墓のわきに現れた天使は、婦人たちに弟子たちへの伝言を残しました。「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」(28・7)

「確かに、あなたがたに伝えました。」この言葉から、2つのことを拾いたいと思います。1つは、天使の言葉の向こうには、さらにそれを伝えるように命じた神がおられるということです。神から託された言葉なので、「伝えました」という言い方になりました。

このことは、次の反応を引き出します。つまり、出来事の向こうにおられる神の働きを信じるかどうか、ということです。今目にしている出来事の向こうに、神が働いておられると直感した人には、次の段階が用意されています。しかし、神の働きを信じることができなければ、その人はもはやさらに踏み込んだ神との関わりには招かれないのです。

エスの墓のそばで、主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座りました。この様子を墓の番人として命じられた番兵たちと、墓を見に来た婦人たちの両方が目撃しました。ところが番兵たちは、目の前で起こっている驚きの出来事の向こうに神が働いておられると、信じることができなかったのです。彼らは目の前の出来事に恐れをなし、死人のようになってしまいました。

婦人たちは、幸いに目の前の出来事だけに振り回されずに、その向こうに神の働きを見たので、天使の言葉を信じることができました。天使の言葉を信じた彼女たちは、同じ天使の言葉で次の段階に進みます。

「確かに、あなたがたに伝えました」天使の言葉はもう1つ、婦人たちに行動を起こすよう期待しています。行動を起こして、イエスの復活の証人になること。天使の言葉を信じた人が行動を起こすことで、さらに踏み込んだ神との関わりが用意されます。

「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って」(28・8)行きました。すると間もなく、その行く手にイエスが立っていて、「おはよう」と言われたのです。天使の言葉を信じ、行動を起こした彼女たちは、もはや叶わないと思っていたイエスとの再会を果たしました。しかも、復活したイエスです。

墓に眠っているイエスしか想像していなかった彼女たちには、大きな恵みとなりました。死の暗闇に置かれていたイエスは、今暗闇を打ち破り、この世の光として婦人たちの前に現れます。イエスはご自分弟子の暗闇を打ち払われますが、婦人たちの心にあった暗闇も取り去り、婦人たちを解放してくださったのです。イエスの復活は、死の暗闇からの解放です。イエスご自身のためだけではなく、出来事の向こうにある神の働きを信じた婦人たちの心も、暗闇から解放してくださいました。

婦人たちが体験したことは、復活を信じるすべての人も体験可能な出来事です。わたしたちは復活徹夜祭の光の祭儀で暗闇から光への「過越し」を目撃しました。この祭儀の向こうに、イエスを復活させた神の働きがあると信じました。

さらにわたしたちがこの驚くべきわざを告げ知らせる証人となるなら、証しするたびに、復活したイエスに出会うことができるのです。人間の死は、イエスの復活に飲み込まれた。イエスが暗闇を打ち破り、まことの光をもたらしてくださったと証言するなら、そこにイエスは現れてくださるのです。

最後に、行動を起こす人、復活の証人になるために、1つのことを付け加えたいと思います。今日のミサは、徹夜祭と呼ばれます。夜を徹して祝えと呼びかけています。文字通りに寝ないで祝うことも含まれていると思いますが、わたしたちにとっての「夜の部分」「眠っている部分」を見直すことも可能だと思います。

わたしたちの活動している時間の中で、自分がイエスの復活を信じるキリスト者であると人々に証しする時間はどれくらいあるでしょうか。全くないとしたら、わたしたちは復活の承認としてずっと眠っているのに等しいのではないでしょうか。

その、「眠っている時間」「夜に等しい時間」を、「起きている時間」「証しする時間」に変えなさいと、復活徹夜祭は呼びかけているのだと思います。もし、これまでの数十年が、復活したイエスを証しする時間となってなかったとしたら、これから、夜を昼に変えて、イエスは復活し、わたしたちに復活の希望を与えてくださったと、証言したいと思います。

「イエスの復活を証言する人」は、自分の生活の一部を充てる人と、自分の生活のすべてを充てる人がいます。多くの人は、生活のある部分を用いて、イエスの復活と、自分自身も復活の希望を持っていることを証しします。

一方で、生活のすべてを充てて、イエスの復活の証人になってくれる人を、いつも求めておられます。イエスが復活し、イエスにかけた希望がわたしの持ち物のすべてですと言えるような人を探しておられます。もし、「自分も、イエスにかけた希望だけを持ち物にして生きていきたい」と願う人がいるなら、何かの行動を起こしてほしいと思います。

復活徹夜祭、夜を昼に変えて祝い、証しを伴わなかった生き方を証しをしながら生きる生き方に変えるまたとない機会です。行動を起こし、復活の証人になろうとする人のそばに、復活の主は必ずいてくださいます。一人ひとり、「確かに、あなたがたに伝えました」との天使の言葉を自分のこととして受け止めましょう。一歩前に出る勇気を、今日のミサの中で願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼主の復活、おめでとうございます。今年、わたしにとっての「復活」は、広島カープの復活です。この文章をまとめている13日(日)の時点で、9勝4敗でセ・リーグの首位に立っていました。13日(日)は雨で中日戦が中止。勢いがあるだけに、もったいないなぁと思ったものです。
▼嬉しくて、サンデースポーツを録画しました。雨で中止でも、録画する価値があります。それは、順位表で堂々の首位だったからです。嬉しくて、順位表の画面で一時停止にして、3時間くらいその画面をテレビに映したままでいました。
▼巨人ファン、阪神ファンには笑われるかもしれないけれど、今年は優勝してくれるのではないかと、本気で思っています。そうなると、クライマックスシリーズで巨人をひと捻りして、日本シリーズ東北楽天、向こうも広島が日本一から遠ざかっている事情を考慮してくれて、1984年以来30年ぶり?の日本一だ。もしかしてだけど。
▼広島カープファンは血の気が多い人が多いとか。真偽のほどはわからないけれども、自分にもそういう傾向があると思っています。去年広島の呉で1度、マツダスタジアムで1度試合観戦に行ったけれど、やはり現地での応援はいい。今年も行きます。
▼風邪からも復活したし、不調のパソコンも多少の出費はあったけれども復活したし、あとは夢の体の復活までこぎつけたいものです。たまたま長崎の大波止で高校時代の同級生が運転する個人タクシーに乗ったところ、わたしの名前を名乗ったら「昔はホリが深かったのに・・・名前を言われても全くわからなかった」と唖然とされました。
▼ちょっと悲しかったので、もっと自分の体と厳しく向きあって、タクシー運転手の同級生を納得させたいです。今は標準体重よりも15kgもオーバーしているから、無理もないです。みるみる・・・とはいかなくても、自分で妥協できるくらいにはなりたいです。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===