聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)

「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。ペトロははっきりと、イエスとの関係を否定しました。マタイ福音書によると、彼は直前まで「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(26・33)「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(26・35)と言っていたのです。それなのに、「わたしはイエスを知らない」と言ったのです。

ペトロが「違う。わたしはイエスの弟子ではない」と言ったことは、その言葉だけでしたら、ゆるされるかもしれません。けれども、言葉の意味している内容は、もっと深刻なのではないでしょうか。

エスはいつも、希望のない人に希望を与える人でした。場合によっては、命をよみがえらせて絶望の淵にある人に希望を与えました。ですから、「わたしはイエスの弟子ではない」と言った時、それは「わたしはイエスに希望を置いていない」と言っているようなものなのです。これまで目にしてきたイエスの姿を、完全に否定したことになるのです。

ペトロが事の重大さを分かっていたかは分かりませんが、結果的に彼はイエスの予言の通り、鶏が鳴く前に三度イエスを否定したのでした。三度、希望を与え続けてきたイエスを否定したのでした。

ペトロの罪は、ペトロだけの罪ではないと思います。大事な場面で責任から逃げ出してしまう弱さや、自分が助かりたいために人を蹴落とす醜さは、どんな人にも隠れています。ペトロと同じ場面に立たされたとき、わたしたちも同じ過ちを犯してしまうのです。

だからこそイエスは、すべての人の罪を背負って、十字架にはりつけにされました。「決してつまずきません」「知らないとは決して申しません」と言ってそれでも裏切ったペトロの罪も、「引き渡したらいくらくれますか」と言って自ら進んで裏切ったイスカリオテのユダの罪も、イエスは背負ってくださったのです。

弱さや醜さのために、背を向けてしまう人間をイエスは憐れに思い、いのちを投げ出して救ってくださいました。問題はそのあとです。弱さや醜さを認めてイエスに憐れみを願う。わたしたちを救ってくださる主に哀れな姿をさらけ出して感謝する。そこに一人ひとりが向かっていく必要があります。どんなに弱くみじめでも、絶望してはならないのです。

「決して裏切らない」と言ったペトロさえ、イエスにとどまることができませんでした。わたしたちは一人残らず、イエスの憐れみによってしか救われないことを認める必要があります。この後に続く十字架の礼拝では、すべてを委ね、救いのわざに感謝しますと態度に表わしましょう。一人ひとり十字架の前で動きを止めて、礼拝いたしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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聖金曜日に愚痴をこぼして申し訳ない。この部分は13日に書き込んでいる。聖週間を過ごす中で、典礼を行う時に不便に思うことがあって、記憶のためにここに書いておこうと思っている。
▼別に今年に限って感じた不便ではないのだが、儀式を進めるための「儀式書」に不備があると思っている。13日(日)で例を挙げると、枝の行列を進めるために、B5変形判の「聖週間の典礼」(青色の表紙)が1冊必要で、さらに福音書の朗読にA5版の「毎日のミサ・聖週間と復活の八日間」が必要である。
▼なぜそういうことになるかと言うと、B5変形判の儀式書には必要な聖書朗読が実は入れ込んであるのだが、昔からの儀式書を使用している場合、その聖書は現在の改定版以前のフランシスコ会聖書が載せられている。これでは信徒のパンフレットと整合性が取れず、先の「毎日のミサ」がどうしても必要になる。
▼さらにミサが進んでいくと、説教、信仰宣言の後に共同祈願を唱えるから、必然的に「聖書と典礼」のパンフレットも手元に用意しなければならない。すると、とっかえひっかえ、実に面倒くさいことが儀式中に発生するのである。
▼わたしの考えはこうだ。ぜひ、すべてを一冊にまとめたA5判の典礼書を用意してほしい。B5変型判でもよいのだが、これは実際に開いてみると大きすぎて邪魔になる。司教様のように本を持つ専用の係が必ず付いているなら話は別だが、われわれ下々は儀式書を持ってすべてを執り行っている。
▼つまり、片手に儀式書を持ち、枝を祝福したり聖水を振りかけたり香炉を振ったり、復活のローソクに文字を刻んだり、忙しいのである。こんなときにいかにも格式ばった大きな儀式書は邪魔になる。だからすべてを一冊に収納した、A5版の儀式書を要望する。
▼それが無理であれば、すべての文字をデータに落として、適宜プリントして使えるようにしてほしい。そうすれば、必要な人は印刷して自分の好みの大きさにするだろうし、必要ない人の分まで無駄に印刷する手間も省ける。わたしの場合、データがあるならタブレットにPDFデータとして置くかも知れない。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===