年間第7主日(マタイ5:38-48)

無事に、国宝大浦天主堂から福岡県大刀洗町の今村教会まで徒歩巡礼を終えてきました。わたしの体はけっこう頑丈なようで、100キロの徒歩巡礼から戻って金曜日にはミニバレーに参加できるくらいに回復していました。

そうは言っても、ちょうどの時の悪天候で、初日と二日目は雨と風にずいぶん苦しめられました。雨対策でカッパを着て歩いたのですが、正面から雨が当たって体温が奪われ、宿泊先に着くまでみんな必死の思いで歩を進めました。

初日こそおしゃべりしながら歩いていましたが、二日目からはだれも一言も口をきかず、黙々と歩いたのでした。かかとの内側におせちの黒豆くらいの靴擦れができて、内心は痛い痛いと訴えたかったのですが、それぞれ何かしら痛みを抱えて歩いている中で、だれにも訴えることができませんでした。そもそも、足の痛みを主張してもだれも相手にしてくれなかったかも知れません。

まぁそんな中で歩き通しましたが、三日目の30キロを超えたあたりで、今回の計画を立てた先輩の神父さま(この人が今村教会の前任の主任神父さまです)から「もうすぐだよ」と教えてもらったときにはどんなにありがたかったことでしょう。みんな元気を取り戻しました。

ところが、もう少しと声がかかってからなお2キロほど歩くと、広い田んぼの道に入りまして、「あれが今村教会」と言われた方角を見るとたしかにレンガ造りで二つの塔がそびえ立つ壮麗な教会が見えました。しかし、広い田んぼの中で見えた教会にしばらく歩いても近づきません。場所が分かっているのに歩いても歩いても近づかないのは、長い距離を歩くよりもはるかに疲れました。

到着すると、今村教会では100人くらいの人が出迎えてくれました。平日にもかかわらず、こんなにたくさんの人が五島の神父たちを出迎えてくれたことが嬉しくて、歩いてきてよかったなぁと実感しました。

国宝大浦天主堂を出発するとき、ミサをささげて出発しましたが、到着した今村教会でも、無事にたどり着けたことを感謝して、集まっている信徒やシスターとミサをささげました。巡礼が、ミサに始まってミサに終わるというのはすばらしい体験です。

余談ですが、もし何か話をする場面が与えられたらどう言おうかと、三日目の巡礼中考えながら歩いていました。「わたしたちは何のために、この巡礼を計画し、実行したのか」ということです。それは、約150年前の浦上キリシタンが何のために今村まで歩いたのかを考えることでもありました。

今週の福音にその答えを求めてみました。何のために今村まで歩いたのか。それは、イエス・キリストのみことばが真実であることを知らせるためです。260年間、キリシタンたちは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(5・44)とのみことばに生きてきました。その態度が間違っていなかったことを、今こそ知らせるために、浦上のキリシタンたちは今村へ行ったのだと思います。

「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。」(5・46)「自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。」(5・47)自分を愛してくれない人を愛し、すべての人に平和があるように挨拶して今日まで生きのびてきたことが間違ってなかったと、浦上の人々は知らせに行ったのだと思います。

では振り返って、一日30キロずつ歩いたわたしたちは、今村教会にたどり着いたときに何を知らせに行ったのでしょうか。キリスト者として現代に生きることは間違っていませんと、伝えることができたでしょうか。

当時の人々とまったく同じではないかも知れませんが、「わたしたちは、迎えてくださった今村の皆さんと同じ信仰を持っています。」そういう気持ちは伝えることができたかなと思います。

あるいはこう言い換えることができるかも知れません。「三日前に、大浦天主堂でミサをささげましたが、100キロ歩いて今日は今村教会で皆さんと一緒にミサをささげることができます。」迫害を生きた先祖をもつ者同士、敵をも愛してきた者同士、同じ祈りで、同じ礼拝で感謝をささげることができる。その喜びは分かち合うことができたと思います。

今回今村教会まで巡礼して、皆さんにこうして説教の中で話しながら、どうしても一つ足りないと思いました。浦上のキリシタンたちは今村に行って同じ迫害を耐え抜いた信仰の友を得たあと、また大浦まで歩いて帰ってきたのです。

わたしたちは、帰り道は車で2時間、あっという間に帰り着きました。もちろん国宝大浦天主堂に戻ってきて感謝の祈りをささげて解散しましたが、当時の浦上キリシタンは歩いて帰ってきたのです。しかも、長崎で起こっていること、フランス人宣教師が来崎していること、宣教師が建てた教会があることをその目で確かめてもらうために、今村のキリシタン2人を伴って戻ってきたのです。

それが来年実現できるかどうかは分かりませんが、少なくともわたしは、帰り道を帰ってきて、ようやくこの大きな計画は完成すると感じました。幸いに足の状態を含め体のどこにも故障が来ていませんので、次は今村から出発して、国宝大浦天主堂まで歩きたいと思います。

大浦から今村まで車であれば2時間、あっという間に着きます。その距離を三日かけて歩いてみて、イエス・キリストを伝えることは、いちばん困難な方法を選んだとしても伝えに行くだけの価値があることを学びました。「復讐してはならない」「敵を愛しなさい」イエスが命じた戒めは、いちばん困難な道を選んだとしても伝える価値があります。あなたはそれを、だれに伝えますか。わたしは、出会った人すべてに、少しでも伝わるように、人生のすべてを賭けて生きてみたいと思います。

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ちょっとひとやすみ
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▼準備ができるとしても、これだけのことを準備してくれるものだろうか。今村教会に到着して、100人くらいの人が出迎え、わたしたち全員分の花束を用意してくれていた。ミサをともにささげたあと、茶話会を用意してくれていた。
▼今村教会周辺は米所のようで、お土産ですと言って一人10kgずつお米を差し入れしていただいた。ほかにも地域で売られているお菓子とか漬け物とか、とにかく両手に抱えきれないほどの差し入れをいただいて帰ってきた。
▼このもてなしは、浦上のキリシタンたちが今村から連れ帰ってきたキリシタンたちを手厚くもてなしたことを思い起こさせる。浦上のキリシタンたちは、自分たちと遠く離れた場所にも同じ信仰を奉じている人がいると初めて知り、できる限りのもてなしをしたのだそうだ。
▼同じ信仰を持つ、それだけで奉仕しあうことができる。信仰の友というのは本当にありがたいと思った。この点では、いろんな宗教が同じ実践をしていると思う。この体験を分かち合えば、何かお互いに理解し合える部分があるのかも知れない。
▼いやはや疲れた。帰ってきてすぐに通夜の予定が入っていたが、親戚になる後輩司祭に通夜を任せたところ、引き受けてくれたが、彼は正座ができない状態だったようで、ずっとひざまずいたまま式を進めていた。それを思えば、丈夫な体を与えてもらったことを感謝しなければならないと思った。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===