待降節第3主日(マタイ11:2-11)

年末、クリスマスはもちろんですが、マラソン大会の話が出る頃だがなぁと思っている人もいるでしょう。毎年1月最後の火曜日は司祭マラソン大会ですが、今年は違う目的に時間を充てようと思っています。

今年青砂ヶ浦に赴任してきた神父さまが、来年2月福岡の今村教会までの徒歩巡礼を計画しています。神父さまの前任地は今村教会でした。今村というと、古くからカトリック信者が住み着いている土地です。

かつて浦上のキリシタンが大浦にプチジャン神父を訪ねて信徒発見につながり、それから程なくして、浦上の4人の信徒が今村を訪ねて行って今村のキリシタンが発見されたという歴史があります。当時のことですから、浦上キリシタンは歩いて今村に行ったわけです。

そこで青砂ヶ浦の神父さまが、「今村の信徒発見の出来事を再現するために、浦上から今村まで徒歩巡礼をしようと思う。だれか一緒に行かないか?」と上五島地区の司祭たちに個人的に投げかけたわけです。

わたしは最初尻込みしまして、「いやそれはちょっと」と思ったのですが、わたしよりも若い司祭たちは二つ返事で、「先輩やりましょう。ついていきます」と参加を申し込んだのです。それでもわたしは、簡単に「行く」とは言えませんでした。何せ135kmくらいの距離がありますから、勢いで「ぼくもわたしも」とは言えないわけです。

そうこうしているうちに、「今度の月曜日、巡礼に備えて歩きます。今回は青砂ヶ浦から、中ノ浦までです。次回は、青砂ヶ浦から頭ヶ島までです」と練習が始まりました。参加を名乗り出た後輩司祭と会うたびに、「先輩、練習に行かんと?」と言われ、「行こうよ」みたいな雰囲気になりまして、ついつい「じゃあ、行こうかな」ということになってしまったのです。それで今回、2月中旬の今村徒歩巡礼に備えるため、マラソン大会はお休みします。ちなみに、先に巡礼に同行すると名乗り出た後輩司祭たちは、マラソン大会にも出るそうです。元気ですね〜。

さて福音朗読は、ヘロデに投獄された洗礼者ヨハネが、弟子を遣わして「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(11・3)と尋ねさせる場面から始まっています。洗礼者ヨハネは、イエスのことを自分が告げ知らせていた「来るべき方」と見るべきか、ためらいがあったということになります。

ヨハネがイエスを信用していないという意味ではありません。ヨハネ自身が炎のような言葉でメッセージを語っていましたから、きっと後から来る方も、たちまちにしてこの世の善悪を裁き、あるべき姿に導く「力に満ちた方」であろうと考えていたのです。ところが、実際のイエスは「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。」(マタイ12・19-20)という姿で登場したのです。

これには洗礼者ヨハネも戸惑ったことでしょう。人は自分で思い描いた印象からその人を判断し、そこからなかなか抜け出せないものです。イエスはあらためて、ヨハネの弟子に「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(11・4-6)と告げたのでした。

これは、イエスが示す神の国の姿です。強い者が権力を振るう国ではなく、弱く貧しい人が守られる国。これがイエスの示す神の国です。たとえ、洗礼者ヨハネの頭になかった神の国の示し方であったとしても、イエスが示す姿でしか、神の国を垣間見ることはできないのです。

エスは群衆にヨハネについて話します。「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」(11・11)もしヨハネが、イエスの示す神の国に希望を見いだすことができなければ、イエスに希望を見出したほかのすべての人、羊飼い、占星術師、シメオンやアンナのほうがヨハネよりも偉大だということになります。

先週、「すべてを横に置いて、おいでになる救い主のために自分を差し出す」ということを考えましたが、ヨハネも、自分が思い描いていた救い主のイメージを横に置いて、今示されているありのままのイエス・キリストを受け入れるよう求められたのです。彼はきっと喜んでありのままのイエス・キリストを受け入れたことでしょう。

救い主は、もうすぐおいでになります。神が、御子を通して、神の国をもっとも具体的に示すためにおいでになります。家畜の小屋にお生まれになること、羊飼いや、占星術を本業とする人たちの訪問を受けること、地上の権力者から命を狙われること、徴税人や罪人の仲間になること、苦しみを受け、十字架にはりつけにされること。それらすべてが、父である神がもっとも具体的に神の国を現そうとした方法だったのです。

「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」いまだイエス・キリストを救い主と認めない人々に「あなたは何をよりどころにしているのか」と聞かれたときに、「もっとも具体的に神の国の姿を示してくださった幼子を、飼い葉桶の幼子を、わたしたちは信じている」と伝える必要があります。わたしたちが想像する救い主ではなく、わたしたちに伝えられた通りの救い主を、人々に知らせに行く必要があります。

1865年、それまで260年隠れていた長崎のキリシタンたちが大浦のプチジャン神父のもとに出向き、日本の信徒発見の歴史の一頁が刻まれました。2年後の1867年、135キロの道のりを歩いて今村の信徒発見に繋がりました。わたしも不承不承ではありますが、長崎のキリシタンが歩いた今村までの道のりを上五島の神父さまたちと歩いてみたいと思います。当時の長崎のキリシタンが、「行って、見聞きしていることを伝えなさい」というイエスの声を心に携えて歩いた道をたどり、救いの喜びを知らせに行った浦上キリシタンの思いに触れたいと思います。

「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」皆さんも、救い主が来られるという喜びを、あなたの大切な人に伝えに行きましょう。イエスによって示された神の国を、まだ知らずにいる大切な身内や友達に知らせましょう。待ち続けた救い主はもうすぐおいでになり、喜びの知らせ、福音が、今まさに告げ知らされようとしています。

わたしたちが見聞きしたことを伝えて、信じてくれる人も信じてくれない人も出てくるでしょう。けれども、わたしたちが伝えなければ、幸いに招かれる人も招かれずに終わるかも知れません。イザヤは「いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」(52・7)と預言しました。わたしたちが救い主を知らせる足となれますように、このミサの中で恵みを願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼無料のソフト(フリーソフト)のインストールは時に高い代償を支払わされる。さまざまなフリーソフトが出回っていて、たしかに恩恵もある。たとえば、ある音声ファイル形式を他の音声ファイル形式に変換するソフト。特にmp3変換ソフトは多種多様のものがあり、どれか1つはお世話になっている人もいるだろう。
▼または、圧縮・解凍ソフト。これも定番のものがあり、それ以外にもたくさんの類似品がある。わたしもたいていのソフトは定番ソフトを使っているし、恩恵のほうが多いわけだが、今回は手痛い仕打ちを受けた。どれかの無料ソフトをインストールした後に、パソコンの動作が極端に遅くなったのである。
▼たいてい、動作が遅くなるのはハードディスク内のファイルがあちこちにあるせいであり、デフラグという作業をすれば解消する。だが今回はどうもそういった原因ではなさそうである。デフラグをかけたが、まったく問題は解消されなかった。
▼パソコンの動作は、押し車を押して歩く高齢者のような動きになった。さっそうと歩いているのを常とする人にとって、漢字変換が押し車で歩く人の速度になれば、それは耐えられないほどのストレスである。漢字変換だけではない。ファイルの開閉、インターネットブラウザの開閉、すべてが押し車を押して歩く高齢者のような動きになった。
▼そこで原因を取り除くためにネットに当たってみたところ、最近インストールしたフリーソフトに思い当たるなら、いったんそれをアンインストールすべしというアドバイスだった。日常的にいろんなフリーソフトをインストールしてはアンインストールする繰り返しなので、どれがどれか分からなかったが、いろいろアンインストールするうちに劇的に動作が機敏に戻った。たしかにどれかがイタズラしていたのである。
▼あえて付け加えるなら、中国製のソフト(あるいは中国のメーカーが買収し、取り扱っているソフト)には要注意、である。会社名まで名前を出したいくらいだが、そのメーカーは勝手におまけのソフトをインストールさせようと誘導し、知らないうちにさまざまな余計なソフトが追加されてしまう。
▼本当に利用したいソフトをインストールし始めているのでつい「はい」のボタンを押し続けて作業を進めていると、途中でまったく関係の無いソフトがねじ込まれ、インストール前のパソコンの状態をいじられてしまう。その被害からもとのパソコンの状態に戻すのにブラウザの設定、不要なソフトのアンインストール、さまざまな苦労をさせられた。
▼ただ、本当に重宝するソフトであることは間違いない。だが、さまざまな誘導をするのである。中国製の日本語変換ソフトがねじ込まれたり、ブラウザのトップページを中国版のスタートページに強制的に変更されたり、ほとほと迷惑を被った。しまいにはファイルの残骸が残ってしまい、パソコン立ち上げ時に毎回ファイルの残骸がイタズラするような環境になってしまった。本当に高い代償を支払わされた。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===