年間第21主日(ルカ13:22-30)

今年の夏は、たくさん泳ぎました。最初のきっかけは、わたしが生活習慣病検診を6月30日に受診して、その結果高脂血症で、毎日散歩程度の運動が必要ですと言われたことでした。子供たちは子供たちなりに知恵を働かせて、これは夏休みになったら神父さまを水泳に誘ってあげなければならない、そういう結論に達したのでしょう。

おかげでこの夏は子供たちから何度もお誘いがかかり、一緒に泳ぐことができました。ただし、「泳ぎましょう」と誘っておいて、喜び勇んで出てきたら、「今日は泳いじゃダメって言われました」と言い出し、それにつられて「じゃぁあたしも泳がない」と手のひらを返され、1人寂しく泳いだこともありました。

その一方で、2人でわたしを誘っておいて、1人が泳ぎに来なかった時、1人残されて入りづらくなった子供をなだめて、一緒に泳いだこともありました。これは、取り残されたその子と触れあうための貴重な体験となりました。

たくさん泳ぐ機会を作ってもらった点は、子供たちに感謝したいと思います。確かに素晴らしい運動の機会になりましたので、夏の間の健康づくりには貢献してくれました。でも内心は、昼のど真ん中にピンポーンとお誘いを受けるわけですから、いろんな仕事も取りかかっている真っ最中ということが多いわけです。

「あー、ピンポーンと来たかぁ・・・どうしようかなぁ。」そう思いながら海に出て行ったことも2度や3度ではありませんでした。仕事は最初からやり直し、泳ぎから帰って来れば3時間は時間を取られる。ますますもってしなければならないことが追いつめられるわけです。

ですが、結論から言って、机に座って3時間を無為に過ごすよりも、はるかに仕事は進んだのでした。物理的に時間が取られてしまったのですから、もう他に選択肢はないわけで、しなければならないことと向き合わざるを得なかったからです。それまでは「昼に仕上がらなければ、夜に仕上げればいいさ」という調子でしたが、昼は泳いだのですから、「もう夜には、何が何でも書くぞ」と、迷わずに仕事をすることができたと思います。

今週の福音朗読でイエスは、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人に答えて、「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」(13・24)とおっしゃいました。これは、「救われる道の選択肢はそう多くはない」ということだと思います。

間口が広いあいだは、「あー、いつでも入れるさ」と思っていますが、実際には入れなくなることがあり得るのだから、狭い戸口であっても入れるうちに迷うことなく入りなさいとわたしたちに促しているわけです。あとになればいろんな方法が思いつくと高をくくってはいけないのです。選択肢が少なくても、道があるなら、ためらわずにその道を選ぶ必要があります。

考えてみれば、今年の夏はこのイエスの戒めをよくよく考えさせてもらう期間だったような気がします。この夏に、子供たちと触れ合うことがなければ、その後何年間この小教区にいても、目の前の子供たちと触れ合うことはできなかったでしょう。「来年触れ合えばいいさ」というのは幻想です。

同時に、泳いでいればだんだん時間も迫ってくるわけですから、自分に任せられた仕事、小教区の仕事であれ、「よきおとずれ」といった教区レベルの仕事であれ、あるいは全国レベルで読まれているカトリックの読み物の原稿依頼であれ、「迷わず取り掛かる、他に選択肢はない」そういう経験を積ませてもらいました。

つまり、案外「選択肢は少ない、狭い戸口しかない」ということなのです。皆さんがいちばんよく口にする言葉で、このことをさらに踏み込んで考えましょう。しばしば耳にする言葉ですが、「あとでゆっくりなったら、信仰はするさ。」あなたの周りにも、こういうことを言う人がいないでしょうか。本当に、信仰の歩みは人が言うほど間口が広いのでしょうか?

わたしは、信仰の歩みこそ、「狭い戸口から」入っていく必要があるのではないかと思っています。先ほどから何度も繰り返していますが、「狭い戸口から」と言うのは、「選択肢はそう多くはない」という意味です。今、ほんのわずかでも祈りを学ぶ時間があるなら、学ぶべきです。

今、聖書を読んでみようかなぁと思ったのなら、ためらわずに読み始めるべきです。そう言えば8月1日の説教で聖書を1ページずつ食事の前に読み続けましょうと勧めましたが、わたしのほうはもうすでに「マタイ福音書第13章」まで来ました。

他にもあります。先週は聖母の被昇天でしたが、長崎教区のカトリック信者の人たちは、聖母被昇天の前にはしばしばゆるしの秘跡を受けて、お祝い日のための準備をしていました。ゆるしの秘跡はしばしば億劫になりがちで、これもまた「狭い戸口から」入るべき秘跡です。後回しにすると、「入ろうとしても、入れない人が多い」ということになってしまいます。聖母被昇天に間に合わなかったかもしれませんが、来週でも全く問題ありません。思い立ったそのときに、行動を起こしましょう。

家庭で、仲たがいを起こしている人がいないでしょうか。「そのうちに、仲直りできるさ」と思っているかもしれませんが、本当に「そのうち」というチャンスは巡って来るのでしょうか。「チャンスが回ってこなかった」では、取り返しがつかなくなってしまいます。

しばしば、選択肢は多くはないのです。イエスが「狭い戸口から入るように努めなさい。」と言っているのは、本当のことなのです。実際には、もう一度チャンスが巡って来るかもしれません。けれどもわたしたちは、その「もう一度巡って来るかもしれないチャンス」を、自分で用意できないのです。

自分で作り出せないものを当てにできるはずがありません。むしろ、「今日できることなら、今日取り組む」「今できることなら、今取り組む」こういう姿勢で、信仰の歩みを積み重ねていきたいものです。

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ちょっとひとやすみ
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▼五島に転勤して、五島のことはよく知っているつもりだったが、知らないことがたくさんあることを思い知らされる。五島では、しばしばカトリック信者と仏教徒はお互いに摩擦を起こさないために別々の集落を形成して住んでいた。そのため、同じ五島に住んでいながら、言葉が微妙に違ったりしていた。
▼当然、別々の集落を形成すれば、頻繁には交流しないわけで、それぞれの中で習慣や伝統が成り立つことになる。その1つを、8月15日に目にした。浜串の集落から福見の集落に移動する際、途中に岩瀬浦地区がある。大まか、岩瀬浦地区は仏教徒の住む集落である。8月14日に聖母被昇天の前晩のミサを終えての夜の帰り道、目を見張る光景に出合った。
▼お墓に、都会の夜景のように煌々と明かりが灯されていたのである。詳しいことは知らないが、おそらく、先祖の魂をお迎えするために、たくさんの明かりを灯しているのだろう。あるいは、そこにいる先祖の魂が寂しくないように、明かりが灯されているのかもしれない。
▼とにかく、1基のお墓に対して10個から20個の電球が飾られていた。わたしの知っている限り、カトリック信者の墓地では、8月15日のためにそのような飾りを墓地に施すという習慣は聞いたことがない。これまで8月15日を、仏教徒の集落の伝統に沿って過ごしたことがなかったための無知である。それにしても、電球に飾られた墓地は、見事な光景だった。
▼赴任した小教区についての新しい知識。高井旅教会のある一帯の集落は、今から70年ほど前に、集団改宗をして、カトリック信者になったことを知った。それはおそらく教会の歴史を紐解けば明らかになるわけだが、今回は思いがけないことで集団改宗の話を聞くことができた。
▼木曜日に病人を訪問して御聖体を授けて回っているが、病院に入院している高井旅の信者の方が、自分は18歳の時に集団改宗を経験した、今は89歳だとおっしゃっていた。病人なので、詳しい話は聞けなかったが、あとでじっくり聞きたい興味深い話だった。また、この話は機会があれば触れてみたい。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===