年間第3主日(マコ1:14-30)

年間第3主日B年はイエスガリラヤで伝道を始め、四人の漁師を弟子にする場面が選ばれました。四人の漁師を弟子にする場面で、あとに残していく人々のことを考えてみました。

司祭や修道者の中には、よく決断したなぁと思う家庭環境の人がいます。ある先輩はわたしが赴任したことのある小教区出身で、一人っ子です。しかも、ご両親が高齢になってから生まれたと思われるので、周囲の方々の支えはあるでしょうが、晩年を託す人はいないわけです。

ある後輩は、大神学生時代から父親が認知症でした。高齢で、認知症の父を神さまに委ねて司祭職を選ぶ。これもよく決断したなぁと思います。またある神父さまは東芝に就職してすでに課長まで昇進していましたが、司祭職への思いを持ち続けていました。40歳を過ぎて大神学校に入学し、司祭になっています。その方のお父さんはたしか助祭の時代にお亡くなりになったので、司祭叙階は見ていないと思います。

さらに大司教様は、来年度から44歳の韓国人を長崎教区の神学生として受け入れるそうです。これまで韓国から神学生や司祭を受け入れたのは日韓の交流のためで、最終的には契約が終わると韓国に帰っていく人々でした。今回正式に44歳の韓国人を受け入れるのだそうです。

この件に中田神父はとやかく言えませんが、プロ野球でFA選手が鳴り物入りでどこかに入団するような、そんな印象を受けました。わたしが応援するチームは海のものとも山のものとも知れない状態からコツコツ育てるのでいきなり即戦力を期待しませんが、来年度から長崎教区の神学生となるその韓国人は、祖国を置いて、即戦力となって日本の長崎に骨を埋めるつもりなのでしょう。

いろんな状況の中で、「あとに残していく人」のことが気にかかります。選ばれた福音朗読も、シモンとシモンの兄弟アンデレは「すぐに網を捨てて」(1・18)従い、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネは、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して」(1・20)イエスの後について行きました。

この漁師たちのうち、ヤコブヨハネについては明確に「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して」と状況が書かれています。明らかに残されていく家族がいるわけです。残されていく家族のことを、本人たちはどのように考えたのでしょうか。イエスはそのことについてどのように考えたのでしょうか。

エスは、だれよりも残される家族のことを心配していたと思います。意外に思われるかもしれませんが、父親を舟に残して従おうとするヤコブヨハネ以上に、イエスは彼らの父ゼベダイのことを心配しておられたはずです。ヤコブヨハネが心を配るのはせいぜい家族までですが、イエスは常に、すべての人に心を配って語りかけ、行動していたはずです。さまざまなことを考えた上で、イエスは四人の漁師に、最初に声をかけたのです。イエスが心を砕いておられるなら大丈夫でしょう。

ヤコブヨハネはどうでしょう。マルコ福音記者のちょっとした説明が、この疑問に答えていると思います。「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。」(1・19-20)

気を付けて読むと、ヤコブヨハネは「舟の中」で網の手入れをしていました。網の手入れは、狭い舟の中でするよりも、陸に上がって手入れしたほうがよいはずです。しかしあえて、マルコ福音記者は「舟の中で網の手入れをしている」と描きます。「舟の中」とは、「生計を立てる手段の及ぶ範囲内で」ということではないでしょうか。

同じように、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して」というのも、ただ単に「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に残して」と表現する場合とは違っていると思います。

父親と雇い人たちは、舟の中でこれまで通り生計を立て、舟の中でイエスを信じ、生きるのです。しかしヤコブヨハネは舟の中にとどまらず、「舟の外」イエスのもとに留まることにしたのです。いわばイエスという新しく、広々とした舟が、これからの漁の場所になるのです。

「わたしたちはこれまで通り、舟の中にいるから大丈夫だ。あなたは、イエスという新しい舟の中で、思う存分腕を振るいなさい。」残された父親からのたくましい応援が聞こえてくるようです。

わたしたちはヤコブヨハネが、熟慮の上に父ゼベダイを雇い人たちとを残してイエスに従ったと考えるかもしれません。ですがマルコ福音記者は、彼らは舟の中に残るから心配はない。むしろイエスが、残された家族のためにこれからも心を砕き続けると理解すべきだ、その意味を「舟に残して、イエスの後に従った」という短い表現の中に込めたのではないでしょうか。

わたしたちも教会の何かで、協力を求められることがあると思います。ある人は任期何年という期限付きで、協力が必要になります。ある人は生涯にわたる協力です。これまでは「わたしが十分考えて、熟慮の上、求めに応じたのだ」と考えたかもしれません。

次のように考えましょう。「わたしが考えて決めるその前に、神が十分心を砕いて配慮をしておられた。だから求めに応じよう。」神が呼びかけ、神のために働くとき、それはわたしが求めに応じる能力があるから協力するのではなく、あなたのために、家族のことも含めて今後も心を砕いてくださるイエスを信じて協力するということです。

わたしを呼んでくださった神は、残されることになる家族を舟の中に残してくださいます。ただ置き去りにするのではありません。この信仰に立って、神の国のため、田平教会のため、身近に迫った献堂百周年のため、汗を流すことにいたしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼先週「地区対抗駅伝に補欠で登録された」という話を入れたかもしれないが、その話を説教の枕で話したら、金曜日に登録してくれた地区の監督がまたやってきて、「選手でお願いします」と相談に来た。
▼断る理由はないが、正直な気持ち、「補欠でよかったなぁ」と思っていた矢先だったので、「これは大変なことになった」と思った。わたしにとっては一大事である。一斉スタートの区間は教会の目の前を通るコース。ほかの選手全員が通過した後に、トボトボと追いかけるわたしがすでに目に浮かぶ。
▼考えてみれば駅伝の襷(たすき)をつなぐのは小学生以来だ。40年も駅伝に出たことがなかったわけだ。中学生から神学校暮らしをしていたわけで、当然と言えば当然だ。地域に献堂百周年を知らせるきっかけになればという思いだったが、思い襷になりそうだ。
▼声をかけられたので土曜日から8日間、実際のコースに出てみようと思う。土曜日さっそく出てみたが、エライことを引き受けてしまったと実感した。
▼スタート地点から教会までのなだらかな登りが、スタート地点に歩いていくときは緩やかに見えたのに、いざスタートしてみると傾斜は2倍に見える。愕然とした。8日間で練習が間に合うはずもなく、穴があったら入りたい気分である。
▼それでも、恥を覚悟で走る。28日の地区対抗駅伝はわたしにとっては通過点だ。30日に五島市福江での司祭団マラソン大会がメインレース。28日にエンジンをかけて、30日にギアを入れるつもりである。

† 神に感謝 †