年間第26主日(マタイ21:28-32)

今週選ばれた福音朗読個所は、「二人の息子のたとえ」です。福音の学びとして、「父である神は、二人の息子共にぶどう園に戻る日を待っておられる」としたいと思います。

その前に、今年の司祭団ソフトボール大会が明後日30日(火)と迫ってきました。去年は高校球児並みに練習を積みましたが、今年はそこまでの練習はできませんでした。「練習は嘘をつかない」と言います。練習が少なかったので、けがに注意して、チームのために尽くしたいと思います。欲を言えば、ホームランをお土産に一本打って帰りたいです。

福音の学びに入りましょう。まず「二人の息子」に声をかけた父親の心境から考えてみましょう。父親は二人の息子の性格をよく知っていたはずです。ですから、二人の息子がどのように反応するか、そのあとでどのように行動するか、ある程度予想できたのではないでしょうか。

兄に「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(21・28)と言った時、「いやです」と拒んだことに驚いたかというと、案外予想していたのではないかなと思っています。つまり、「この子は最初は自分の考えを通そうとするけれども、後で考え直してくれる子だ」と理解していたのではないでしょうか。

次に弟に同じように声をかけたとき、弟が「お父さん、承知しました」(21・30)と答えたときには「色よい返事だが、本当だろうか」と身構えたのではないかと思うのです。父親の目はそんなに節穴ではありません。何かを感じ取って、「悪い結果に終わらなければよいが」と心配していたと思うのです。

すると、このたとえは懐の広い神のご計画をたとえていることが分かります。「いやです」と最初は自分の主張を貫く人々がいます。そうした人々はいったん父である神に背を向けるわけですが、あとで父なる神に心を向け直すのです。

たとえ話の中では、出来事は「今日」になっていますが、このたとえが言い表している地上の世界では「いやです」と背を向ける期間は長いかもしれません。それでも、父なる神はこの人々が「後で考え直して」心を入れ替えてくれることを信じて待つのです。「いやです」と言った人々が立派だったから向き直ったのではなく、最後まで信じ続ける父なる神の思いがそうさせたのです。

いっぽうでこの世界には「お父さん、承知しました」と即座に返事する人々もいます。その中には悪意のない人々もいるでしょうが、明らかに父なる神の意に背いて返事をする人々もいるはずです。ですが父なる神は、同時にそのすべての人々が、御自分が命を与えたわが子であることを忘れないのです。

父なる神の期待などまるで意に介さない人であっても、その人に命を授けたのは父なる神です。その人が「お父さん、承知しました」と言ったことの重大さを知ってほしいと願っています。たとえ最後まで理解しなかったとしても、わが子として見守り続けるのです。

「いやです」と言ってはみたものの後で考え直した人々よりも時間がかかったとしても、最終的に時間切れとなったとしても、それでも父なる神は立ち返ることを待ち続けるのです。

最後にイエスは祭司長や長老たちを厳しく叱責していますが、これも彼らを裁こうとしているのではなく、どれだけ時間がかかっても心を開くのを待つ、父なる神の思いを知らせようとしているのです。

「お父さん、承知しました」と答えた弟は最終的にどうなったのでしょうか。父親はその息子をゆるしてあげたのだと思います。たとえのこの部分は、イエスの救いの御業と関係しています。愛深い父なる神に最後まで心を開こうとしない人々のために、イエスは十字架の上で命をささげ、神と人との絆を取り戻してくださったのでした。

今週の「二人の息子のたとえ」は、わたしには「二人の息子共にぶどう園に戻る日を待っておられる父なる神の姿」として映ります。「いやです」といったん断った人々は、人生のどこかで思い直して神に立ち返りました。それだけでも十分に待ってくださっていますが、神は「お父さん、承知しました」と言ったきりとうとう戻って来なかった人々さえもわが子として愛する道を探し続けたのです。ですからこのたとえ話は、現在進行中のたとえ話と言えるのではないでしょうか。

わたしたちではとても信じられない長い間神は待ち続け、すべての人がぶどう園に戻ることを願っておられます。わたしは今、ぶどう園の中にとどまっているでしょうか。「いやです」と拒んでいるのでしょうか。今日のみことばを、後で考え直す機会としてはいかがでしょうか。

または「お父さん、承知しました」と言って、それっきりでしょうか。もしかしたらぶどう園の中にいるけれども、「お父さん、承知しました」と色よい返事だけを返して何もしないで立っていないでしょうか。何もしないまま、人生が終わっても、「お父さん、承知しました」と返事をした責任は残ると考えるべきです。いつ責任を果たすのでしょうか。

エスのたとえ話がまだ進行中のたとえ話であれば、わたしたちは一刻も早く、神のぶどう園で働き始める必要があります。子どもは子どもなりに、大人は大人の身分で、収穫の手伝いをして、父なる神と喜びを共にする必要があります。

一人ひとり、「わたしはあなたのぶどう園でどんな働きができますか」と問いかけてみましょう。すべての人が現状を考え直して一歩を踏み出す時、このたとえ話は完成し、神の国は見える形で実現するのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼月額使用料を払って利用しているサービスの1つを解約してでも利用したくなったサービスが見つかったので、そちらを解約して新しいサービスを追加した。「Radico.jp」というサービスを有料版に切り替えるためだ。
▼現在iPhone5Sを利用しているが、この「Radico.jp」は「らじる★らじる」と並んで重宝している。無料版のRadikoは、地域が限定されていて、長崎県内であれば民放ラジオ1局と、民放FMラジオ1局、ラジオ日経放送大学までしか聞くことができない。
プロ野球ペナントレースがいよいよ終盤になり、この前秋分の日に広島カープのデーゲームを迎えていたのだが、テレビのチャンネルどこを回しても広島の試合を中継していない。何と試合終盤で6対0になっていた。ネットで途中経過を見ることはできるが、それでは辛抱できなくなった。
▼そこへRadikoの有料版の出番。月額350円を払うと全国のさまざまな放送が聴けるらしい。早速これまで利用料を払っていたあるサービスを解約し(残念だが)、Radikoの有料版にグレードアップしてRCC放送を聴く。試合は6対1になっていた。
▼ラジオの解説によると、神宮球場でありながら3分の2はカープファンで埋まっている。まぁ、このままスタジアムの雰囲気を楽しむことができれば上出来だと思っていたその時、「エルドレッド打った!ライナーでスタンドに飛び込んだ!第36号ホームラン!」結果広島が大勝。350円払った甲斐があった。

===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===